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第99話
「まだ何も始まってないじゃない。夢では散々はぁはぁしてるのに。何にもスタートしてないよ」
曇ったメガネを外して頭の上に乗せながら、
殿上は企みを含む目つきで孝之に微笑みかけた。
「はぁはぁ言うんじゃねぇ」
孝之は目を細める殿上の顔をきっと睨み返すと、大きく溜め息を吐いてまた、顔を両手で覆った。
殿上の言う通りだ。
あんなに近くにいたのに、
夢に駆り立てられるばかりで事は何も進んでいない。
「孝之だけじゃないよ。
天使ちゃんだって、孝之の夢見てるんでしょ。
天使ちゃんだって、はぁはぁしてるかもしれない」
「……やめてくれ」
「同じ夢見てるんだとしたら、あり得る」
甘いの買ってくるねと言って、
殿上は席を立ち、売店に向かった。
小銭入れをポケットに入れながら歩くその背中を手のひら越しに見送って、
孝之は二度目の溜め息を吐いた。
真実を知りたいと思うのに、知ることが怖い。
考えれば考えるほど恐ろしくなる。
こんなことをいつまでも続けたいわけじゃない。
ただサクラに、龍司に会って、他愛もない話がしたい。
ただそれだけなのに。
だた、それだけ?
「孝之の分はないよ」
一口サイズのチョコレートを
ビニール袋一杯に詰めた殿上が戻ってきた。
「何で」
「こないだ熱出した時、
俺が電話したら”寝てれば治る”って言ったくせに、天使ちゃんのことは家に上げたから」
「お前な…」
「妬いちゃったなぁ」
「………」
まもなく昼休みが終わろうとしている。
席についていた社員が次々と席を離れ、
辺りは次第に静かになっていく。
重い腰を上げた孝之は、殿上に向かってVサインをするように、二本の指を差し出した。
「…土曜日。名猫ラッピー鑑賞会。モンブラン二つ付き」
殿上は満面の笑顔を浮かべた。
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