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第106話

龍司は覚束ない足取りで部屋に入り、 台所に向かった。 冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出し、 コップに注ぐ。 前に体験した出来事を再生して見ているような感覚。 コップを持つ手は、小刻みに震えていた。 程なくして、玄関から足音が聞こえて来た。 鼓動は騒がしく鳴り響き、平静さを妨げる。 龍司は孝之がゆっくりとソファに腰掛けるところを見計らって麦茶の入ったコップを両手に持ち、リビングのローテーブルの上に置いた。 孝之は小さな声でありがとうと言って、 手に取った麦茶を一気に飲み干した。 「…そういえば、初めて龍司の家に来た時も、 こんな感じだったな」 龍司は再び台所に行き、 麦茶のペットボトルを持って戻ってきた。 少し乱暴にソファに腰掛け、大きく溜め息を吐く。 「…夢の話をされた時は嘘だと思った。信じ、られなくて」 「そうだよな」 互いに蒸した身体の熱を下げようと、 麦茶を喉に通す。 息で曇る透明なコップを寄り目気味に見つめながら、しばらく沈黙に身を浸した。 「その…夢で…」 「言わなくて良い、言わなくて…」 先に口を開いた孝之の言葉を、 右の掌で遮った。 折角下げた熱はまた一気にぶり返し、 掌にじわりと汗を滲ませる。 「多分、同じだから…」 「夢が…繋がってたんだな」 目を合わせることができなかった。 差し出した掌に触れられたような気がして、 肩を揺らす。 手を引っ込めると、孝之はごめんと呟いた。 「龍司」 何度も聴いた、低い声。 分かっている。 恐れてはいない。 もう恐れてはいない。 これはもう、恐れではない。 「龍司…ごめん。分かってる…分かってるんだけど」 抑えられない。 衝動を。 どちらからともなく体温が触れる。 俯く龍司がゆっくりと顔を上げると、 孝之が唇を預けてくる。 麦茶で少し冷えた薄い唇に、 恐れの色は感じられなかった。 もう分かっている。 安心したいのだ。 これが夢がではないことを、 互いにただ、確かめたいのだ。

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