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03. 再会と温もり

「直ちゃん、本当に大丈夫?お仕事もゆっくり、無理のない程度でいいからね」  花の手入れをしながら、式典用のブーケを作る店主が心配そうに問いかけた。名は東山清子(とうやまきよこ)。四十代前後の彼女はまるで母親のようで、温かくもあった。 「はい。大丈夫です」  美しく花開いたポインセチアやクリスマスローズ、ガーベラ達を眺めてもうそんな時期かと思う。十二月から年明けに掛けてはお歳暮やクリスマスなどで比較的客足が多くなる。  花を見るのは好きだ。綺麗で心が落ち着くし、何よりあの人の事を思い出す。俺の番だった彼は記念日によく花を贈ってくれた。俺が花を好きになったのは彼の影響だし、この店で働き始めたのも店主が彼の知り合いだからという理由だった。 「いけない、もうこんな時間。本当に申し訳ないのだけど、配達に行ってきていいかしら」 「勿論です。行ってきてください」 「ごめんね、すぐに戻るから。予約のお客様もいないから誰も来ないとは思うんだけれど」 「わかりました」  立派なブーケを両手に行くのを躊躇っていたが、大丈夫だからと送り出して一人花に水をやる。この瞬間が一番花達が生き生きしているようで好きだ。自然と頬が綻んで、鼻歌交じりに水やりを続けていた。 「驚いた。こんな偶然もあるんですね」 「…あ」  綺麗に磨き上げられた靴と、どこか聞いた事のある声に顔を上げれば昨夜の彼が店の入口にいた。 「こんにちは。素敵なお店ですね。ここには何度かお世話になっているんですが、まさか貴方が働いていたとは知りませんでした」  質の良さそうなスーツときっちりと締まったネクタイは気立ての良さそうな彼の風貌を一層引き立たせていた。 「先日は、その…ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」 「謝るより、お礼が欲しいかな」 「えっ…と、すみませんお金はなくて」 「まさか、お金なんていらないよ。今度食事でもどうかな」  自然と敬語が抜けて砕けた口調になる。不思議とそれも嫌な感じはしなくて、きっと彼は俺より年上なのだろうと思う。 「…それってお礼になるんですか?」 「勿論。俺は君ともっと話がしてみたいんだ。俺は明後日の二十時から空いてるんだけど、もし君も都合が良かったらどうかな」 「それなら空いてます。けど…」 「俺にはもう会わないつもりだった?」  図星を突かれて小さく肩が揺れる。気づけば俺と彼の距離はほんの一メートルで、思わず後退った。 「ごめんね、困らせるつもりじゃなかったんだ。でも遠回りするのは嫌いだからはっきり言うけど、君の事が気になってる。けどまだ君の事を何も知らないから、友達から初めてもらえたら嬉しいな」  優しく目を細めて色素の薄い柔らかそうな髪が揺れた。困ったように微笑む彼はやっぱりあの人とは全然違って、胸がチクリと痛んだ。 「…友達、からなら」  もう二度と会わない選択も出来た。けれど俺は彼とは違う温もりに縋ってみたくなった。絞り出したようなか細い返事に、目の前の彼は表情を幾分か明るくしてそっと手を握ってきた。 「嬉しいよ、ありがとう。改めて、俺の事は啓太って気軽に呼んでくれていいから。それと、これ」 「…?」 「俺の個人の連絡先だよ。名刺に書いてあるのは仕事用なんだ」  胸ポケットから取り出したメモ帳にサラサラと番号を書いて渡される。 「それじゃあ、明後日君の家へ迎えに行ってもいいかな」 「…はい」 「ありがとう。仕事中にごめんね」  ひらひらと手を振りながら背を向ける彼に、ほっと息を吐いた。雰囲気こそ柔らかいが、α特有の威圧感にはやはり気が張ってしまう。俺に気があるなんて、本気なのだろうか。手渡されたメモを眺めながら俯いた。 「ただいま〜。直ちゃんごめんね、誰も来なかった?」 「あ、お帰りなさい。…はい、誰も」  メモを胸ポケットに仕舞って仕事に戻る。さっきの彼は花を買って行った訳でもないから、言う必要もないだろう。 「あ、そうだ。直ちゃん、今晩うちでご飯食べて行かない?ご近所さんからお野菜いっぱい頂いてね、 健二(けんじ)さんと二人じゃ食べ切れなくって」 「え、いいんですか?」 「もちろんよ!健二さんも喜ぶわ」  健二さん、とは彼女の旦那さんの名前。丁度花屋の二階に東山さん夫婦の家があって、こうして食事に誘われるのは稀な話でもない。 「お邪魔します」 「直くんお疲れ様」 「お疲れ様です。健二さん」  先に二階で待っていた健二さんが出迎えてくれる。新聞紙を広げる彼に会釈してから、奥のキッチンで準備をする清子さんの手伝いをと足を運んだ。 「清子さん、手伝います」 「あら、ありがとう助かるわ。じゃあこれお願いしてもいい?」  清子さんに言われた通り野菜を切っていく。自炊ばかりの生活だった為料理は得意な方だ。鼻歌交じりに鍋を火にかける清子さんは楽しそうで、自然とこちらまで頬が緩む。けれど、鍋に調味料が入った辺りで体に異変を感じた。 「…っ、」 「…直ちゃん?どうしたの?大丈夫!?」  気持ち悪さにその場に膝から崩れると清子さんがすかさず駆け寄ってくれる。今朝までは特に何も感じなかったのに、匂いがダメになっている。悪阻については何度か調べていたが、まさか自分にもこの症状が現れるとは思っていなかった。 「…だい、じょうぶ…です」 「顔が真っ青よ…とにかくあっちに行きましょう。歩ける?」 「直くん大丈夫か…!?」 「健二さん布団出してくれる?」 「わかった…!」  キッチンから離れて暫くベッドに横になると幾分か楽になった。ああ、せっかく食事に招いてくれたのにまた迷惑をかけてしまったな。清子さんが持ってきてくれた水を飲んで落ち着いた頃。 「…直ちゃん、子供がいるのね…?」  問いかける清子さんの言葉に目が泳いだ。いつかはバレても仕方ないと思っていたが、こんなに早くバレてしまうなんて、俺は俯いたままぎこちなく頷いた。 「本当なのね…?おめでとう…!」 「え…?」  想像すらしていなかった言葉に思わず顔を上げる。清子さんは瞳を潤ませて「嬉しい」だなんて言っている。 「直ちゃん、聞いてくれるかしら」 「…はい」 「私達はね、貴方と悠人くんの事本当の息子みたいに思っているの。だから何だってしてあげたいし、何だって嬉しいの。直ちゃんは優しいからきっと気を遣ってくれてるんだと思うけど、もっと甘えて欲しいのよ」 「清子さん…」  そっと握られた手が温かくて、清子さんの優しい言葉に視界が滲んだ。初めて言ってもらえた「おめでとう」という言葉に、気付けばぽろぽろと涙が溢れていた。 「俺…っ、悠人さんに伝えられなくて…」 「ああ…そうだったのね…」  たった一人の愛する人にさえ伝えられなかった事実に涙が溢れて止まらない。 「直ちゃん、良く聞いて」 「…?」 「悠人くんも天国で喜んでるに違いないわ。だから、心配かけないように笑顔でいましょう?お腹の子が生まれて安定するまで私達と一緒にここにいなさい。お仕事もしなくていいわ」  確かに一人でいると暗い事ばかり考えてしまうのは事実だ。東山さん夫婦は心優しいし、甘えて欲しいと言われてしまえばそうする方がきっと良いはずだ。また迷惑をかけてしまうかもしれないが、俺は好意に甘える事にした。 「……じゃあ、厄介になってもいいですか…?」 「嫌ね、厄介なんかじゃないわ」  彼女は「勿論よ!」と嬉しそうに手を合わせた。 「でも、ギリギリまで働かせてください。普段は落ち着いてるし、世話になってばかりなのも申し訳ないので」 「もう……わかったわ」  ふわりと優しく頭を撫でられる。何だか照れ臭くて、でも温かい。

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