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04. 揺らぐ本能
約束した、というか半ば強引に決められた予定丁度に彼は現れて、彼の車でレストランへと訪れていた。既に簡単な荷物を東山さんの家へ運んでいた後だったので、今日は友人と出かけてくると伝えてきた。畏まった場所に連れて行かれたら、という不安もあったが、落ち着いた雰囲気で景色が美しい所だった。
隣のテーブルとは会話が気にならない程度に距離が置かれていて、ほんのり温かい照明が落ち着かせてくれる。目の前の彼はやはり畏まったスーツ姿で、気品に溢れていた。
「また俺と会ってくれて嬉しいよ。…正直会ってくれないかと思ってた」
「…家の前に来られたら出ないわけにはいきません」
俺の返事に彼は困ったように笑った。違う、別に突っぱねるような事が言いたかったわけじゃない。ただ、自分に好意があるとわかっている相手に対してどう接していいのかがわからなかった。
「ん、美味しい…!」
濃すぎない味付けとあっさりめのメニューのおかげなのか、この日はダメな匂いはなくて、純粋に食事を楽しむ事ができた。アスパラガスと人参が添えられたロールキャベツは、口に入れた瞬間ほろりと簡単に解れるくらい煮込まれていて、味が染みて絶品だ。
「ふふ、口に合ったみたいでよかった」
「あ…すみません」
「どうして?君が喜んでるところが見たかったから大正解だったよ」
凄く綺麗に笑う人だ。食べる仕草さえ嫌味がない美しさで育ちの良さが垣間見える。彼は典型的な、絵に描いたような理想のαだ。
「…どうして俺なんですか?」
「ん?」
「貴方ほどのαなら周りが放っておかないでしょう。それなのに訳ありで子持ちのΩなんて、どうして相手にするのか気が知れません」
食事を終えて口元を拭いた後そう口を開けば、彼も手を止めて顔色を変えた。
「運命だよ、俺と君は運命なんだ。初めて合った時に感じたよ。今は子供がいるから君自身に自覚はないだろうけど、魂が惹かれてるのを感じる」
所謂俺と彼は魂の番だと言う。生涯の内に会わない確率の方が圧倒的に高いと言われている都市伝説のようなそれ。真っ直ぐ見詰めてくるその強い眼差しに耐えきれなくて思わず視線を逸らす。
「初めはそうだったけど、会う度に君自身に惹かれていると気付いた。色んな表情を見れて嬉しいし、一緒に居るだけで心が満たされているんだ」
幸せそうに、愛おしそうに俺を見詰める。
「俺はきっと君が想像してる俺と同じだよ。αってだけで優遇されて不自由なく過ごしてきた。でも、だからって君の事が気になっちゃいけないなんて理由はないだろう?」
αを憎んだ事が無いとは言えないかもしれない。けど俺は悠人さんの優しさに触れて、人に優しくする事の意味を知った。偏見を持つ人間の方がきっとずっと心が狭い。
「…俺には心から愛した番がいたんです」
不思議と、彼には話せる気がした。俺は俯きながらぽつりぽつりと言葉を吐き出した。
「けど三ヶ月前に事故で失いました。彼は…悠人さんは優しくて、貴方のように恵まれたαだったけど、気さくで明るくていつも俺の事を優先してくれる人でした」
仕事終わりの呑みに誘われたって俺が待っているからといつも定時に帰ってきてくれた。記念日には贈り物をくれたし、少し調子が悪いと思ったらすぐに気付いて声を掛けてくれた。
「彼の両親には俺との事反対されてたんです。けど、悠人さんは俺を選んで絶縁までしたんです。なのに…悠人さんの遺品は全て彼の両親に持っていかれてしまって…葬式にさえ参列できなかったんです」
俺に残ったのは一枚の彼の写真と腹の子だけ。それらは未だに自分でも受け入れ難い事実だったが、俺は彼との間に授かった子を心から愛おしむように腹を撫でた。
「…だから、今はまだ貴方の気持ちには答えられません。でも…正直貴方とは離れ難いと思っています。魂が惹かれるってこういう事なんでしょうね」
そこまで語って顔を上げれば、彼は面食らったように目を見開いていた。つい自分語りをしてしまった。不快な思いをさせただろうか。
「それは…ごめん、上手く言葉が見つからないよ。なんと言ったらいいか…」
「……貴方でもそんな風に困った顔をするんですね」
こういう場面での言い回しは得意な人だと思っていた。適当に慰めて、てっきりキザな言葉でも使われるものだと。
「心外だな。君の中の俺のイメージってどうなってるの」
「いえ、いつも取り繕った表情ばかりだったので、意外で」
クスクスと小さく笑えば彼は不服そうに眉を寄せた。
「妬けちゃうな」
「え?」
「君は愛した人の前ではそんな優しい顔をするんだなと思って。番の話をする君はとても魅力的だった」
触れてもいいかな、という小さな問いかけに頷くと彼の手がそっと頬に触れた。俺の体温よりずっと高い彼の手のひらは温かくて心地良かった。
「…忘れてなんて言わないよ。ただ、少しだけでも俺の存在を受け入れてもらえたら嬉しい。俺は君をずっと待ってるから」
俺と悠人さんとの話を聞いてもなお、それでもいいからと彼は優しく笑った。無意識に頬を撫でる彼の手のひらに擦り寄っていた。
「っ、ずるいなぁ…」
「……?」
彼の小さな呟きは俺の耳に届くことはなかった。
「直くんって呼んでもいいかな」
「…直、でいいです」
「…うん。ありがとう、直」
名前を呼ぶ。ただそれだけの事でこんなに嬉しそうに笑う彼はどこか幼く感じて、つられて自分も頬が緩んでいた。
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