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いじめられオメガの秘密 ⑤

「つまりどの派閥にも無関係で、影の薄い平社員が秘書の方が動きやすいということですか? 確かに私に当てはまりますが、それだけです。私はサポートの仕事はしたことがないのですが、そんな私がお役に立てるのでしょうか……」  千尋も一段声のトーンを下げる。それでも運転手には聞こえているはずだ。大丈夫なのだろうかと思うと、細い身体をさらに縮めてしまう。  成沢もまた、さらに千尋に身を寄せ、耳打ちしやすいようにした。 「実は、あなたにしかできない重要な任務があるのです。……それは」 「それは……?」  また、無意識に喉が上下した。 「────癒しです!」  随分な()をためたあと、成沢が力強く言った。  千尋の猫目がぱちくりと開く。 「いやし……? 癒し? あの、癒しとは」 「専務は猫がお好きなのです。藤村さんは黒猫のように可愛らしく、それでいて優美な雰囲気をお持ちですから、ゴロゴロと甘えれば専務も日々のお疲れを癒やされることでしょう」  成沢は千尋から身体を離し、目を三日月にして言う。 「黒、猫……ゴロゴロ……? ……あーー! 成沢さん、からかっていますね!? もしかして今の、すべて作り話ですか!?」  途中から笑いをこらえる様子の成沢に気づき、千尋は顔を真っ赤にした。 「ふふふ。申しわけございません。藤村さんが素直でいらっしゃるのでつい。ですが光也様が今の体制をよしとされていないことは事実です。ゆえに藤村さんへのハラスメントも掌握され、行動されたわけですから」 (僕のことは放っといてもらってもよかったのに)  そう思いながらも、光也が人格者であることは感じている。成沢のいうとおり、オメガの処遇改善に労力を使った役員は初めてだ。今回の件は他の数名のオメガ社員にとっては朗報となっただろう。  プライドを持って当たっていたエンジニアの仕事が続けられないことに大きな未練はあるが、オメガ社員が人事異動に逆らえばコスニどころか会社にいられなくなるかもしれない。それよりは畑違いの場所でも頑張って認めてもらい、いつか希望を提出してコスニに戻してもらう道を考えた方がいい。  それに、氷の貴公子と呼ばれている専務だ。今日は異動初日だから優しく振る舞っているだけで、仕事に入れば厳しい指導やきつい叱咤が待っているはずだ。  あの人はどんな妄想ネタを与えてくれるだろう。 「藤村さん、社に着きましたよ」 「は、はい!」  まだ深くを知らない鬼上司(仮)について思いを巡らせている間に、車は地下駐車場に入った。  千尋は成沢に促されて先に人事部へ行き、改めて辞令書と新しい肩書きの社員証を受け取る。  社員証には美容院で撮られたと思われる新しい装いの千尋の顔写真があり、‘‘専務執務室・第一秘書‘‘と記されていた。 「ここからあなたは、真に専務執務室の第一秘書です。先ほどあなたは"私にはできない"ではなく"私が役に立てるか"と聞かれましたね。そんなあなたてすから、必ずや専務のお力となるでしょう。専務をよろしくお願いします」  深々と頭を下げられ、半分マゾヒスト妄想を頭に浮かべて異動を受け入れた千尋は慌ててそれをやめてもらった。だがやはり残り半分は、オメガながらにトップ企業KANOUの一社員である自負からだ。  仕事は手を抜かずにやりたいし、会社の役に立ちたい。  その思いに偽りはない。 「精一杯努めさせていただきます」  千尋は真新しいブルーグレイのスーツをまとった背を伸ばし、真っすぐに専務室へと向かった。

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