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特大エビフライ、のち発情 ①

 専務執務室へ戻ると、光也は経営会議のため不在だった。ちょうど昼時であり、成沢が仕出し弁当を出してくれる。  千尋は遠慮したが、成沢に「専務が自らご注文されたのです。お好きなものが入っているはずですよ」と言われて受け取った。  開けてみるとメインのおかずは特大のエビフライで、二尾も入っている。  確かに大好物だ。なぜ知っているのだろうと不思議に思いながら、促されたソファで箸を割った。と、同時に専務室のドアが開く。光也が戻ったのだ。  千尋は箸を置き、立ち上がって頭を下げた。 「二人ともお戻りでしたか。かまいません、気を遣わずに食事を続けてください」 「そんなわけにはいきません。専務はお食事はどうされますか?」  専務へのお伺い立てってこんな感じでよいのだろうかと考えつつ、急いで弁当の蓋を閉めて確認した。  光也は対面のソファに腰を落とし、首を振る。 「大丈夫。ランチミーティングでしたので。それより予想以上にかわいい仕上がりになった藤村君が、エビフライをおいしく食べる様子が見たいです」 「かっ……」  また「かわいい」だ。専務は今日一日この感じで過ごすつもりだろうか。せっかく秘書らしく頑張ってみようと思ったのに、調子を狂わされてしまう。 「専務、無理してご冗談を言われなくても大丈夫ですよ。いつもの専務でお願いします」  そうそう、氷の貴公子らしくビシッとお願いしたい。 「冗談? 無理? いえ、本音ですよ。うん、本当にかわいらしく仕上がりましたね。まるっとした頭も、スーツの色味もとてもいい。さすが成沢さんの見立てです」  ありがとうございます、と頭を下げる成沢にうなずいたあと、光也は弁当の蓋を開け直してくれ、千尋に食事を勧めた。  氷の貴公子とはなんぞや。春風王子ともいえる微笑みつきだ。 (違う、そうじゃない)  千尋が求めているのはツンドラ気候のような冷たさを感じる見下した笑顔だ。  だが光也はいつまでも微笑んでいて、千尋が食事をするのを待っている。きっともう、今日は「優しい専務」で通すのだ。ここで断っても同じ繰り返しになるだろう。  千尋は再び手を合わせて「いただきます」をして、エビフライを箸で挟んだ。 (あーあ、つまんない。……はっ! 最初に安心させて僕を手懐けて、身体を言いなりにするつもりでは) ♢♢♢ 「やめてください、専務!」 「俺の指示に反抗するのか? つべこべ言わずに従っていればいいんだよ。ほら、ケツを出せ」 「そんな! 私はそんなつもりで秘書になったんじゃありません!」 「上の口と下の口が合ってないな。下はもうこんなにグチョグチョになっている。ほしいんだろう? 特大エビフライよりも、もっと大きい俺のが」 「違います。やめ……あぁっ……!」  ずぶずぶずぶ。  専務の猛りは、まだ充分にほぐれていない秘書の秘所に活け伊勢海老のように喰らいついて、大海を泳ぐかのように突き進んでくる……あ、あ、あーん……。 ♢♢♢ 「……くん、藤村君!」 「はひっ!?」  いけない妄想劇場から呼び戻され、せっかくのエビフライを太ももの上に落としてしまう。 「あっ!」 「落ちますよ、と言ったのに」  光也はナプキンを手に取ってソファから立ち上がると、躊躇なく片膝を付き、千尋の片ももに手をかけた。そして、両ももの狭間に落ちたエビフライを蓋の裏に戻し、汚れたその箇所を拭く。 「専務! 大丈夫です、自分でやりますから!」  ピンポイントな部分をこすられて、思わず両手で光也の手を握ると、うつむいていた光也が顔を上げた。  揺れた髪からふんわりと甘い香りが漂い、今日の中で最も近い距離で視線が絡む。  ────瞬間で、鼓動が跳ねた。 「う……?」  喉が詰まり、息を上手く吐き出しにくくなる。なんとか吸い込むと腹の中が熱くなり、胃にずっしりした重みを感じた。  頭の中に胸の鼓動が響いて、めまいと吐き気までしてくる。  我慢しようと思うのに、腹の中が沸々として、いても立ってもいられない。 「すみません、ちょっとお手洗いに」 「藤村君、待って! 今行ったら」 「すみません!」  光也が何か言おうとするのも聞けず、阻む手をすり抜けてトイレに駆け込んだ。  一目散に個室へ向かい、こみ上げる熱さを吐き出そうと空嘔吐を繰り返す。 (なんだ、この気持ち悪さ。専務の匂い? ……香水? 嫌な匂いじゃないのに、身体中の血が逆流するみたいだ)  結局吐物は出ず、香りから逃れることができたからか、少しの時間で随分落ち着いてきた。深呼吸をした千尋は、いつもの癖で前髪に触れながら洗面台に戻る。 「あ……」  もう顔を隠すものがなにもなかった。  黒目がちの猫目や小鼻が小さい忘れ鼻、薄くて紅い唇。祖父が嫌ったいかにもオメガらしい中性的な顔が鏡に映っている。いつも以上に瞳を濡らし、頬も耳も首筋も、火照ったように桃色を呈して。 「なに、この顔……泣いたみたいだ。こんな顔じゃ戻れない」  一度顔を洗おうかと水栓に手をかけた。と、同時にトイレのドアが開き、二人の社員が入ってきた。 「……? この匂い……お前か?」  千尋の姿を見るなり、一人の社員がすん、と鼻をすする。 「は……? 匂い?」 「ああ、間違いない。こいつのフェロモンだ。お前、オメガか。なんでエグゼクティブ階にオメガがいるんだ」  もう一人の社員は、言いながら手の甲で鼻を覆った。 (フェロモン……? まさか。虐げられてもいないのに、僕からフェロモンが出るわけない) 「違います。私じゃありません」  否定するが、社員は二人とも口元を抑えてふらつき始めた。息が荒く、随分苦しそうだ。 「こんなに匂わせて……誘っているのか。いいさ、可愛がってやる」  面様を変えた社員達がじりじりと千尋に近づく。 (これって)  学生時代の過酷な環境が原因で普通に発情しなくなり、アルファを惑わせる量のフェロモンを放ったことがない千尋にもわかった。 (アルファの、ラット化(はつじょう)!)

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