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お仕事開始とあの夜と ⑤

「ここまで立派な社会人になられて、ご両親がお空の上で喜んでおられるのが見えますよ」 「あ……」  かけられた言葉は憐れみの類ではなかった。でも両親の顔を知らないのに「見える」とか、「お空の上」だとか。大の男の光也がそんなことを言うのがアンバランスでなんだかおかしくて、千尋は知らず知らず入れていた肩の力を抜いた。 「そうだといいですね……両親は僕がオメガと知らないままだったから、知ったらどう思うかな、とたまに思うんです」 「同じですよ。性別がどうあろうと、ご両親の君への愛は変わりません。間違いないです」  不思議だ。そんなことわかるはずがないのに、光也が断言すると本当にそんな気がしてくる。これが海外で多くの事業を成功させてきた男の説得力だろうか。 「それに、オメガは愛されるために生まれてきた貴重な(しゅ)です。ご両親はきっと、藤村君が私のような男に愛されて幸せになるのを望まれていますよ。……だからさっさと番いましょう」 「なっ……! もう! またそれですか!?」  顔を赤くして批難するも、光也はあははと笑い、食事を再開する。 (前言撤回! 専務はふざけてばっかり。でも……オメガは愛されるために生まれきた、か)  なんて暖かい考え方なのだろう。そんなことをいう人は初めてだ。それに意図してかはわからないが、明るい方向に話を繋いでくれた。  光也はやはり優しい人だな、と千尋は思う。偽りなく優しい人なのだと。  まだたった一週間だが、同じ家で暮らせばあたりまえに光也の人となりを感じられる。  社内では「氷の貴公子」と言われている光也だが、冷淡な様子も高慢な様子もなく、常に千尋のペースを見計らってくれる。自分の意見ははっきり言うが、千尋の言葉や気持ちを無視したりはしない。だからきっと、過去を話せたのだ。 (あの夜だって……)  あの夜、結局光也は千尋一人を()かせただけで、自身は欲を発散しなかった。 (あのときの専務、間違いなく発情していたのに挿入もせず、うなじも咬まないで……)  無意識にうなじに手が伸びる。 (家に閉じ込めているわりにはあの夜から別々に寝てるし……僕に発情期が来ていたなんていまだに信じられないけど、運命の番だというなら我慢できないはずなのに、無理強いをしなかった。でも、いっそしてくれたら……) 「藤村君? また手が止まっていますよ」 「! はい!」  声をかけられて、なんてことを考えていたのだろうかとうろたえるが、光也の表情が引き締まり、上司の顔になった。 「九時からブラジルLNG案を確認します。それまでに食べて入浴も済ませてしまいましょう」 「はい!」  これがこの家から逃げ出さないもうひとつの理由だ。  千尋がやりたかった仕事を続けさせてもらえること。  鯖の味噌煮と豆ご飯を口に掻き込み、千尋は不意に湧いた雑念を一緒に飲み下した。

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