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おとぎ話の時間 ⑥

 スプーンを持つ手が固まる。 「オメガって、弱者のふりしてあざといよね。いいよねぇ、人間性関係なく、フェロモンを出せば好きになってもらえるんだから」 「えー、でもあのオメガ、かわいいじゃん。目なんか大きくて潤んでてさ。肌もツルツルじゃね? 一回なら相手してやってもいいかも」 「趣味悪ぅ。さっきのアルファもイケメンなのにがっかりだな。所詮はヤれたらいいってやつ?」  揃いも揃って下品な発言のテーブル客に、周囲の家族連れやカップルは批難の目を向けている。  だがうつむいている千尋には見えず、ホールの客全員が同じことを言っているように感じた。  身体が震える。だんだんと、客たちの声が祖父の声に聞こえてくる。  ──卑しいオメガ。  ──アルファが本気でオメガを愛すると思うな。厭らしいフェロモンに騙されているか、アルファの子を生む道具として見ているかのどちらかだ。いいか、千尋。お前はアルファに依存せず、一人で生きていきなさい。 (じいちゃん、わかっています。僕はアルファも誰も、好きになったりしません……)  心の中で念じるように返事をする。そのとき、鋭い声が斜め前で聞こえた。 「大きな声でヘイトスピーチはいかがなものでしょうか。食事を楽しまれている皆様にもご迷惑になります。ここは私が支払いますから、あなた方は別の場所で続きをお話されてはどうでしょう。ただし、少しでも実のあるお話をお薦めしますが」  洗面室から戻った光也が、グループ客をたしなめている。遠目からでもわかる威圧感が彼にはあった。  グループの若者たちは反論しようとしたが、他の客が光也に拍手を贈って賛同したものだから、安いドラマのように「ふん、偉そうに!」とか「こんな店、こっちから出てやるよ」などと言って、慌ただしく出て行った。  それでも千尋はまだ肩を震わせていて、動けないでいる。  光也が気づき、そばに来て肩に手を添えてくれた。その手はとても優しく、ついさっきまでの威圧感はどこにもない。 「お待たせしてすみませんでした。シャーベットも溶けてしまいましたね。藤村君、私たちも出ましょうか。外の空気を吸いに行きましょう」  うなずく前に肩を抱かれ、出口へと連れられる。   光也は会計口でも非礼をしたと詫び、謝罪として今いる客の支払いも済ませた。 「専務、私のために申しわけありませんでした」  おとぎ話の噴水を囲む柵に寄りかかり、息を整えると、やっと祖父の顔が頭から消えた。  震えがおさまった千尋は光也に頭を下げる。 「藤村君に悪いところなんてないですよ。私こそ大人気なく大勢の前で怒りをあらわにしてしまい、それこそ嫌な気持ちになったでしょう?」  千尋はふるふると頭を振った。  そんなわけがない。専務は冷静で、正しくて、やっぱり優しい。 「いいえ、やはり私です。私がオメガなのが悪いんです。専務のことまで悪く言われてしまい、本当に申しわけないです」 「そんなこと……間違っているのは彼らですよ。だから他のお客様方も私に同意してくださったでしょう? 世間のオメガ性への認識も日々変わってきているのですよ?」  視線を落としたままうつむいている千尋の頬を、長くて綺麗な指がさすった。  暖かい。心の奥深くまで染み込んでくるような暖かさだ。  ホラーハウスから出たあと、繋いだ手を離したくなかったように、ずっとこの手に触れていてほしい。 (ああ……僕、専務に依存しかけてる)

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