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オメガじゃないオメガ ④
千尋は返事もできずに身体を強張らせた。
「……入るよ」
扉が開き、就寝用の足元ランプが点けられる。光也の気配が近づいた。
「成沢さんから結果を聞いたよ。千尋、顔を上げて?」
そっと身体を包まれて、凍てついた心と身体にぬくもりが染み入ってくる。
千尋は結果を聞いてから初めて、声を上げて泣いた。
「みっくん、どうしよう!」
「千尋」
「どうしよう、僕、オメガなのにオメガじゃない!」
力強く抱き上げられ、広い胸の中にすっぽりと包まれる。涙でぐしゃぐしゃになった顔を大きな手で包まれた。
「こんなに泣いて……どうして一人で泣くの? ちゃんと俺を呼んで?」
「だって、だって。どうしよう、みっくん、僕……!」
腹の奥によどむ黒い感情が喉につっかえ、嗚咽になる。
「う……僕、はっ、オメガじゃ、ない。んぐっ……みっくんと、番えない」
「千尋、好きだよ」
「僕には、なにも、ぅう……ない。みっくんを、……っ受け入れる身体も、ないっ……!」
「それでも好きだよ」
光也は千尋の言葉すべてに愛情で答え、溢れ出る涙を唇で拭う。まるで、千尋の悲しい気持ちを一滴も余すことなく、呑み込もうとするかのように。
「みっくんと番いたかった! みっくんとずっと一緒にいたいのに……!」
「千尋、俺は千尋から離れない。ずっとずっと千尋のそばにいる」
「みっくん……」
光也の暖かさに、しだいに心が落ち着いてくる。泣いて泣いて澱 を出し切り、嗚咽はしゃくり上げに変わろうとしていた。
***
「……少し落ち着いた?」
どれくらいの時間がたったのか。長い時間とり乱していたが、穏やかな声に重い瞼を開いて見上げてみれば、光也の表情は声と同様に穏やかだった。
千尋を運命の番だと言ったのに、動じていないように見える。慰めて愛情を伝えてくれはしたが、あまりにいつもどおりの様子が複雑で、千尋は小さな声を震わせて聞いた。
「みっくんは……なにも思わなかった? もしかして、僕なんかと番になれなくてもいいと思ってる?」
光也の服の胸元を掴む手が震える。「こんな僕はいらない?」と聞いているようなものだ。
「仕方ないな……」
光也は千尋を膝の上に横抱きにかかえ直すと、頭の後ろに手を回して引き寄せた。
「んっ……」
唇が重なる。背中にも反対の手を添えられ、口づけがもっと深くなった。
「千尋はやっぱりわからず屋さんだね」
ちゅっ、と音を立てて唇を吸われたあと、名残り惜しそうに離れた唇から甘い囁きが漏れた。
「好きだよって、ずっと一緒にいるって、俺は言ったよ?」
「そうだけど……」
自信がない。
今はそうでもこの先、番えないオメガを重荷に思う日がくるのではないか。
ごめん、オメガじゃない千尋はいらないんだ、と言われてしまう日が来るのではないか。
「わからず屋さんは俺が八ヶ岳で言ったことも忘れちゃった?」
「八ヶ岳……」
「オメガだから好きになったんじゃないと言ったはずだよ?」
光也の言葉で、あの夜が満点の星空つきで脳裏に浮かぶ。
二人で座ったハンギングチェア。くっついた体は今みたいに暖かくて。
──千尋がアルファでもベータでも、オメガでも、関係ないんだよ。ただの俺が、そのままの千尋を求めていたんだ。だから、僕なんか、って言わないで。
「あ……」
「あのとき俺は、千尋がオメガでよかった、とも言った。撤回はしない。この世の中で番の刻印を持つ二人になれるのは確かに特別だ。でもそれは単なる付加価値であって、ないからと言って心は変わらないし、幼いころに遠く離れた初恋の相手に自然と再会できたこと自体、運命なんだ。俺はどうしたって千尋が好きだよ? 千尋もそうだから辛くなって泣いてくれたんだろう?」
そう。好きだから悲しくて、好きだから離れたくなくて、オメガでなければ光也のそばにいる資格がないと思って、検査結果に絶望した。
「結果を聞いたとき、俺も悲しかった。でもそれは番えないことが悲しかったんじゃない。千尋が胸を痛めて結果を聞いたとき、どうして一緒にいてあげられなかったんだろうって、それが悲しかった。ごめん、千尋。守るって言ったのに、仕事ひとつ片づけられずに、大事なときに隣にいてあげられなくて」
髪を梳き、また唇を重ねてくれる。千尋の乾いた唇と喉を潤すような温かい光也の湿りは、傷ついてひび割れた心にも染み込んでいく。
知ってはいたが、どこまで優しくて、どこまで人の痛みに寄り添える人なのだろう。
「会議だもの。穴を開けるわけにはいかないよ。それに、つらいときに一人の家に帰るんじゃなくて、僕にはここがあったから……おかしいね。もうみっくんとは駄目かもしれないって思いながらも、ちゃんとここに帰ってきていたなんて」
歩くのもままならなかった千尋を車に乗せて連れ帰ってくれたのは成沢なのだが、自分の意志で足を動かしてここに戻ってきた、そんな気がする。
「そうだよ。千尋は逃げなかった。俺とのことを懸命に考えながら、俺の帰りを待っていてくれた。ノックしたとき、実は部屋にいなかったらどうしようって、不安だったんだ。開けたら部屋は真っ暗だしね」
くすっと笑ってから、光也は幼いころの怖がりの少年の表情をした。
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