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混迷と昏迷のあいだで ②
内容は、千尋が開発したマップシステムを初めて使った案件内で、見積もり書提出期限の五日前からデータの改ざんがあった、とするものだった。
告発者はコスニ元課長の茂部。常務の承認を受けての告発だと付記されており、添付されていた資料はふたつで、千尋の異動日の前日に千尋のIDで提出されたデータファイルと、今回茂部が補正したデータファイルだ。
「これ……私が確かに送信しました。チームから随分前に外れていたのに、どうしてか私に連絡が入って、締め切りまで三分しかないから、課長のパソコンを使ってすぐに常務に提出を、と茂部課長から……」
違和感は感じていた。送信のために案件ファイルを開いた際、長くログインしていないはずのデータの操作履歴に、自分のIDを見たのだ。だが電話口で課長に急かされ、その場では確認できずに送信した。
そして送信後、改めてファイルを開けようとすると案件チームの一人が戻ってきて、課長のパソコンに触れていることを注意され、説明しようにも聞いてもらえず自分の席に戻るように言われてしまったのだ。
「それで次の朝、確認を申し出ると、いつも以上に課長が苛立って、私にお茶をかけようと……」
「あの日か」
珍しく千尋が茂部に追及をした日。茂部に逆切れされたところに光也が現れ、千尋に専務執務室の異動を伝えた、あの再会の日だ。
「……仕組まれたんだ」
光也の声が鋭さを増した。
「元々、常務と茂部は組んで建材の水増しをして、利益を不正に受け取るつもりだったんだ。うまくいけばそのまま、どこかで指摘されればオメガ社員が誤って数値を触ってしまったらしいとか、そのオメガ社員が作ったシステム自体の不具合が生じたとか、理由をつけて逃げられる道を用意して……それを今回、俺への報復に利用した」
光也は専務としての立場を忘れるほど苛立っている。虚偽の不正告発に対してはもちろん、未然に防げなかった自身に落ち度を感じているのだろう。爪が食い込みそうなほど力を入れて手を握り、腕も怒りで震えていた。
「……専務、落ち着いてください。これから私はどうしたらよろしいですか?」
動揺を隠して光也の手に手を重ねる。
当然千尋も大きなショックを受けている。だが、今までもオメガ性が理由で理不尽なことは何度もあった。こんなとき、どこかで「オメガだから仕方ない」と事態を甘受する悪い癖がまだ残っている。
ただそれ以上に、光也の怒りと悔恨を強く感じ取って、この事態を少しでも早く回収しようとする気持ちの方が勝ってはいた。
不思議なもので、自分以上に自分のことで感情を高ぶらせてくれる者がいると、現状が客観的に見えてくる────千尋のためならどんな手段を使ってでも常務と茂部に報復をしてしまいそうな予感もしたので、冷静にならざるをえない部分もあったのだが。
「専務がこのような状態でお戻りということは、私のへ不正疑惑が晴れていないということですね?」
「ああ……」
千尋の冷静さに、最初は驚いた顔をした光也だが、ふう、と深呼吸をし、身体のこわばりを解いた。
「今回の件は常務と茂部にも疑いの目が向けられている。だが相手が常務なのが厄介なんだ。KANOUは一族の血統が役員を占めているから、迂闊に常務に責任追及ができない。だが不正は確かにある。千尋が不正をしたことは虚偽でも、一度告発として監査委員に届けられ、名前が出たことで、調査チームを立ち上げざる得なくなっている。調査対象は……」
「……僕と、茂部課長だけなんですね」
光也が重々しくうなずいた。
「俺には一切の介入を禁ずる、と副社長を含む上役から言われた。あの案件の提出は千尋の異動日だが、その日を含んだそれ以前の件は、俺の管轄外だとね。社長は公平に見ているが、俺にはブラジルプロジェクトを優先するようにと」
ブラジルと聞いて初めて、千尋は肩をびくりとさせた。
(もしかして、もしかして……)
「専務、私は、ブラジルへは」
「……今日から監査委員で五日間のヒアリングが行われる。応じなければ、千尋は解雇処分の対象になると……俺個人への怨恨で千尋を窮地に立たせるなんて、俺の落ち度だ。あいつら、絶対に許さない」
絶望感に襲われる。心血を注いできたブラジルプロジェクトから外され、解雇をほのめかされている。心臓がバクバクして胸が張り裂けそうだ。
だが、光也の怒りが再燃しているのを感じて、千尋は震える手をぎゅ、と握った。
「専務に責任はありません。今回このタイミングだっただけで、茂部課長は僕をいいように利用し続けたでしょうから、遅かれ早かれこうなっていたと思います。大丈夫、僕は後ろめたいことはしていません。ヒアリング、行ってきます」
光也にはブラジルプロジェクトに集中して成功させてほしいし、千尋もこのままでは終わりたくない。
言われるがままだった過去の自分に、もう戻りたくない。
悔しさを闘志に変え、千尋は専務室を出て監査室に向かった。
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