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混迷と昏迷のあいだで ④

 空港まで光也に付き添う成沢に光也を頼み、二人を見送ると仕事部屋に入った。  千尋のデスクと千尋用のパソコンがあり、ここでヒアリングを受け、仕事に関する操作を行える。  今思えば、「軟禁された」として屋敷にいた期間、プロジェクトの資料はこのパソコンで、会社とは違うIDで操作していたし、現下のデジタル時代において、作成した資料を印刷して紙で提出・共有するように光也に言われていた。  おそらくだが、プロジェクトを光也に奪われた常務が姑息な手段で介入してくるのを考慮してのことだったのだろう。  功を奏してブラジルプロジェクトはここまで常務の手には還らなかったし、チームの情報もチーム外には一切流出しなかった。光也の用意周到さには感心するばかりだ。  だが光也に救われる以前の、マゾ気質を理由にして言われるがままされるがまま、すべてに受動的だった頃の不始末は自分自身で片をつけるのだ。  千尋はパソコンを開き、まずはマップシステムに仮想数値を入力してチェックをかけた。 「やっぱり自然に是正する……」  マップシステムはコストカットとマンパワーのバランスが崩れないようにプログラムを組んでいる。適正を大きく超える数値では実行確認の通知が出て数値を変えるよう指示が出るから、これで適正外(不当)の数値を確定をしようとするなら一時的にでもマップシステムを解除して、手入力でひとつひとつ数値を入力するしかない。膨大な時間を要するはずだ。   「僕がチームから外された以降に不正入力があったとして、誰が……課長? いや、チームの誰か?……どっちにしても、データ入れ替え時のIDと使用時刻履歴を見てもらえらればすぐにわかるはずだ」  正規の勤務時間内はそれぞれに与えられたIDでパソコンを開いているから、千尋が通常業務をしながら外された案件のデータを操作することは不可能だ。定刻時間外に操作され、不正に千尋のIDで入力されたとしても、千尋は課長から残業を許されなかったから会社にいない。操作の立ち会いさえも不可能なのだ。  千尋は十時からのオンラインヒアリングで、その確認を申請した。だが申請はあっさりと却下された。  すでに最終データが適正値に是正されたものが通ってプロジェクトが動いているため、茂部には不正としての告発を取り下げるよう伝えるから、千尋にはマップシステムのエラーチェックミスとして始末書を上げるように、というのだ。 「やってもいないミスで始末書は書けません!」  「藤村さん、データの最終確認を怠ったことはシステムのエラーチェックを怠ったのと同等です。この件を長引かせることは、今後マップシステムを使えないと判断する材料になり、叶専務が手がけるブラジルプロジェクトにも差し障ります」 「……っつ!」  足元を見られていると感じる。反論できない。 「今回は叶専務の厳密な管理下でデータが組まれたためミスはないと判断されましたが、逆に言えば今後使用する際にも厳重管理が必要ということになります。その無駄を省くためにも始末書の他、システム修正改善済みの報告書を上げてください。そうすればブラジルプロジェクトについても引き続きシステムを利用することが可能です」  次から次に、端的に言葉を重ねられる。  やはりヒアリングなどではなかった。懸念したように、会社は是が非でも「日々のありがちなミス」として処理しようとしている。 「……わかりました」  千尋は歯を食いしばり、絞るように声を出した。  不本意だが、断れば千尋が関わったデータは全削除され、旧型のシステムを使ってデータを再作成しなくてはならなくなる。ここまでやってきたチームの頑張りを無駄にしてしまう。 「それでは、ヒアリングは本日で終了です。始末書と修正書の雛形はこちらで用意したものを送信しますので、作成後に自署を加えて週明けまでに提出をお願いします」 「はい。……あの、ひとつ確認させてください。この件かおさまれば、私はプロジェクトチームに戻ることができるのですか?」  先程、画面の向こうの調査委員は「ブラジルプロジェクトについても引き続きシステムを利用することが可能」と言った。継続が可能ならば、システムを作った千尋のチーム残留も望みがあるのではないか。 「そちらは叶専務が戻られてからの調整になりますが、おそらく難しいと思います」 「どうしてですか!?」 「藤村さん、あなたは秘書として専務執務室に異動になりました。プロジェクトにエンジニアとして関わることは秘書の範疇を超えています。今回は叶専務の業務執行権によりあなたもチームに入りましたが、役員会でも、社内でも否定派が多数います」  閉口する。もっともな言葉だと思った。専務室に異動して秘書らしい仕事はほとんどしていない。専務(みつや)に守られ、専務が組んだ人徳者のチームに守られて、コストエンジニアの仕事を継続させてもらっていた……否定派の意見が耳に届くこともなく。 「それから藤村さん」  うなだれていた千尋に、画面の向こうから声がかかる。 「……はい」 「マップシステムの権限は放棄していただくことになります。修正改善書の提出後は、権利はコストエンジニアリング部第二課に移ります」  そんな……。  もうその言葉さえ出なかった。今まで多くのものを奪われてきたけれど、コストエンジニアとして足跡を残したただひとつのものまで奪われてしまう。 「役員会ではあなたの解雇処分も議題に上がりましたが、社長と叶専務のご意向を踏まえて却下されています。こちらで済んだことで、お心をおおさめくださいね」  調査委員は淡々と言って回線を切った。  言い表せない脱力感が千尋を襲う。

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