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第6話

 金曜の夜は、しょうちゃんが飲みに行こうと言うので、しょうちゃん家の最寄り駅周辺の安居酒屋で待ち合わせをした。月曜の夜から居座り続け、週末を迎えていた。 「お疲れ。もう何か頼んだ?」  ガヤガヤと騒がしい店内で、先に入ってると言ってたしょうちゃんを見つけ、前の席に腰かけた。 「とりあえず枝豆と焼き鳥の盛り合わせ」 「最高じゃん。あと唐揚げ食べたいな」  着席と同時に席に来たアルバイトから温かいおしぼりを受け取り、その場で生と唐揚げを注文した。 「今週4日しか働いてないけど、5日分を凝縮された感じで疲れたよ」  手癖で少しネクタイを緩める。居酒屋で飲む時、大体俺がこぼす愚痴をしょうちゃんが適当に相槌を打ちながら受け流す。店内は酔っ払ったオッサンのガヤで騒がしく、フロア担当のアルバイトが慌ただしく動き回る。  しょうちゃんはDomだけど俺をペットのように扱わないし、Subだと下に見て絡んでくるオッサンや俺の存在を見てはいけないもののように気まずそうにする人も居ない。こんなに賑やかなのに、みんながみんな、自分のことしか見えていない。  落ち着いた雰囲気のバーも良いが、こちらのほうが俺の性に合っている。 「明生くん、悪いんだけど」 「失礼します、生ビールと、こちらお通しです」  しょうちゃんが何かを言いかけたとき、ビールとおつまみが到着した。お通しは塩キャベツだった。ごゆっくりどうぞ、と言いながら早足で席を離れていく。  忙しそうだな、と独り言のように言いながらジョッキの持ち手に手を掛けた。 「その前に話を聞いて欲しいんだけど」  しょうちゃんからストップが入り、渋々ジョッキから手を離した。そういえば先ほど何かを言いかけてたっけ。 「明生くん、悪いんだけど荷物まとめて帰ってほしい」  言いにくそうにしているから何かと思えば。ああ、いいよ、と軽く返事をしながら、お通しに箸を付ける。言われるまでもなく、そろそろお暇しようと思っていたところだ。むしろ、自分から帰ると言うべきところを、催促させてしまって申し訳なかったと思う。  元々しょうちゃん家に身を寄せたのは、Subドロップの治療が目的だった。目的は早々に達成していたし、本当は長居するつもりはなかったのだが、居心地がいいのでつい居座ってしまった。しょうちゃんにしてみたら迷惑な話だったのだろう。 「それから、もう来ないで欲しい」 「は?」  反射的に大きな声が出た。店内は相変わらず騒然としていて、一部の客がこちらに目を向けたが、すぐ何事もなかったかのように目を逸らした。一瞬注目を浴びてもしょうちゃんは顔色ひとつ変えず真顔だった。 「俺が告白したこと覚えてる? もう今まで通り何事もなかったふりするの無理」  なんでと思うよりも、やっぱりそうだよな、と納得するのが先だった。 「俺が告白した後、マッチングアプリで女探してたって聞いて正直すごくショックだった。なのに頼られて嬉しいとか、明生くんに尽くすことで満たされていることとかすごく悔しくて、もうこれ以上は無理だなって思った。一方的にごめん」  俺には制しておいて、しょうちゃんは一口ビールを口に含んだ。せっかくの仕事終わりの一杯、しかも一番美味しいはずの一口目だというのに、まるで渋い茶でも飲んでいるかのような表情だった。  自分が好意に甘えている間、ずっとしょうちゃんは苦しかったのだ。わかっていたのに、気付かないふりをしていた。ずるいという自覚はあるし、きっと、自分はしょうちゃんにふさわしくないのだとも思う。  リカコさんとうまくいっていれば、こんなことにはならなかった。しかし現実にはリカコさんとは合わなかったし、この一件で冬也としょうちゃん以外のDomと試してみることに抵抗感が生まれてしまった。  俺は、しょうちゃんじゃなければダメなんだ。ここで引き下がるわけにはいかない。 「しょうちゃん、今、俺に尽くすことで満たされてるって言った?」 「うん?」 「俺とはもう会わないんだったら、Domの欲求はどうやって満たすの」 「それは明生くんが気にすることじゃない」  取り付く島もなく、それもそっか、と返事をした。活路を見いだそうとしたが、完全に閉ざされてしまった。 「明生くんも飲んだら? もう話は終わったから」  俺は終わってない、とも言えずジョッキに口を付けた。時間が経って泡が霧散してしまい、うまいと感じられなかった。  料理が次々と運ばれてきてテーブルの上を埋めていく。それらをしょうちゃんが無表情で片付けていく。これが最後だなんてとても受け入れがたくて、酒にも料理にも手を付けずに止まった思考をなんとか動かそうとする。 「明生くんは他のパートナー探そうとして苦労したみたいだけど、多分俺はこれから先も明生くんしか欲しくならないし、Domとして支配したいって思うのも明生くんだけだと思う」  都合のいい言葉を聞かされたので、最初は幻聴かと思った。 「もう会わないって言っておきながら、どうしてそんなこと言うの?」  しょうちゃんが少し間を置いてから口を開く。 「やっぱり、もう二度と明生くんと会えないのは嫌だなって思って。でも、本当に今日で最後にするから」  意思は固いようで、だったら最後にしなくても良くない? と提案すると、それはダメだと却下される。 「言ったでしょ、女と会ってショックだったって。もうそういうの堪えられない」 「あれは女だからというよりもDomとの出会いを求めてたんだよ」  間違ったことは言っていない。男女の付き合いがなくても生きてはいけるが、Subの欲求が満たされないと生命に関わる。ほとほと面倒臭い性だと思う。しかし、相手探しをDomの女性に限定していたことはここでは言わないでおく。  このままでは平行線だ。ごちゃごちゃ考えるのが面倒臭くなってきた。 「もう相手探しはしない。女とは付き合わない。これでどう?」  しょうちゃんが箸を止めて顔を上げた。 「明生くんはそれでいいの?」 「いいよ」 「やっぱり結婚したくなったとか、子供欲しいって言ったら許さないよ?」  一瞬考えて、いいよ、と繰り返した。Subである以上、恋愛はとっくに諦めている。実家暮らしの独身貴族を謳歌しており、結婚や子供などは考えたことがなかった。  ライフイベントを引き合いに出してくるあたり、しょうちゃんの本気度が窺い知れる。  これで気は済んだかとしょうちゃんの顔を盗み見た。納得してもらえるかと思いきや、険しい顔をしていてもしかしたら地雷を踏んだのかもしれないと内心焦る。 「明生くん、俺とセックスできる?」 「はい?」  声が裏返る。正直、そこまで考えが至らなかった。 「明生くんがかなり譲歩して歩み寄ってくれてるのはわかる。悪いけど、それだけじゃ足りないんだよ。性的な意味で明生くんが好きなんだから」  絡め取るような、ねっとりした目を向けられて首筋がゾッとした。  目が自然としょうちゃんの持つ箸や、食べ終えた焼き鳥の串に行く。一度しょうちゃんの口に入ったものだ。それを汚いと思ってしまった。  これからキスとかするんだろうかと想像したときに、生理的に無理かもしれないと直感した。それでも引き下がれないのだから、覚悟を決めるしかない。そう思うことに絶望感が伴う。 「一緒に帰るなら抱くって言ったら、それでも一緒に来る?」 「すみません、生ひとつ!」  しょうちゃんに返事をする代わりに通りかかったアルバイトに声を掛け、半分ほど残っていたジョッキを空にする。しょうちゃんが意地の悪い顔でふっと笑った。  馬鹿にしやがって。  正直怖いし、逃げたい。なかったことにしたい。それでももう決めたのだから、突っ走るしかない。  運ばれてきたビールを、今度はすぐに空にしておかわりを頼む。自棄になって杯を重ねる俺の前で、しょうちゃんもまたジョッキをイッキする。傍から飲み比べしているように見えていたかもしれない。

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