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第9話

 昼近くに起床して荷造りをしていると、送って行こうかとしょうちゃんが声を掛けてくれた。パンパンのスーツケースに通勤鞄と手荷物が多く、ありがたい申し出だった。  昨日のことなどなかったかのように、しょうちゃんは普通だった。さすが長年俺への恋心を隠し通してきたことだけある。  ふと、しょうちゃんがいつから俺のことが好きだったのか気になった。こういう話は酒が入っている時の方が話しやすいのだが、今日でもう帰るし、気になることはすぐに確認しておかないと気が済まないので、昼食の時に聞くことにした。  荷造りの間、しょうちゃんはずっとちまちまと餡を餃子の皮に包んでいた。  今日の昼食はラーメンと大量の餃子である。昼に余った餃子はそのまましょうちゃんの夜食になる。餃子をつまみにだらだらビールを飲むのもいいなと思うが、残念ながらこの後帰宅することになっている。それとなくねだると缶ビールが1本冷蔵庫から出てきた。夏休みに行くおばあちゃん家のように甘やかされるので、どんどん帰るのが億劫になってくる。 「しょうちゃんって、いつから俺のこと好きなの?」  料理と酒が進み、気分が良くなってきたところで切り出す。ラーメンの上に乗っている、ごま油で炒めたもやしを頬張る俺を、しょうちゃんが嫌そうな顔で見た。 「高校の頃」  俺のどこが好きなの、と畳みかける。 「どこって言うか、命令聞いてくれた時からずっと気になってる感じ。何、急に」  別に、とニヤニヤ笑って見せた。俺への好意を口にする時、しょうちゃんは冷たく突き放すような言い方をする。そのつもりだったのだろうが、それだけではないような気がしてならない。  しょうちゃんに送ってもらって帰宅したのは14時頃だった。家族には事前に今日帰ることは伝えていた。ただいまと言ってリビングに顔を見せると、おかえり、と母さんが返事をする。その場を動かずにもう大丈夫なの? と言う母さんに、大丈夫と答えながら階段を上る。  Normalの母から、第2の性のことはわかってやれないと言われたのは、第2の性が発現した中3の頃。しょうちゃんと再開する前、パートナーがおらず薬に頼っていた時期があった。病院へ連れて行くことと心配はしてやれるが、それ以上のことはしてやれないと母は言った。医者以外に相談できる相手がいなかった多感な頃はそんな母を冷たく思ったものだが、今思い返してみればそれだけで充分だったと思う。今ではもう子供ではないのだし後は当事者に任せるというスタンスでいる。  自分の部屋に入ると、すぐに荷解きに取りかかった。しょうちゃんが洗濯、必要に応じてアイロンがけまでしてくれていたので洗い物はなく、衣服とスーツケースを元の場所に戻すだけで荷解きが完了した。  なんとなく、家が寒くて暗いような、物寂しい気がした。実際には窓から日が差し込み、照明を必要としないくらいには明るさは確保されている。しょうちゃんの部屋は、ワンルーム故に常に人の気配を感じていたが、うちは戸建てで今はふたりしかいないからそう感じるのかもしれない。  命令を聞いたから気になったとしょうちゃんは言った。その時は全く気にならなかったが、後から思い返してみるとこれは喜んでいいものかと思う。Subでなかったら、ただの友達でいられたのだろうか。そもそも、しょうちゃんが初めてコマンドを使った相手が俺じゃなかったら、俺のことは好きになっていなかったのだろうか。  首を振って、たらればを霧散させる。考えてみたところで俺はSubだし、しょうちゃんが初めてコマンドを使った相手を変えることもできない。そもそも、何に対してモヤモヤしているのか分からない。無駄に結論が出ない考え事を増やす意味もない。  ベッドで横になっていると、控えめにドアが開いて冬也が部屋に顔を出した。 「おかえり。もう大丈夫なの?」 「あれ? 冬也いたんだ」  隣の部屋で宿題をしていたらしい。彼女はほっといていいのかとからかうと、昨日デートしたから問題ないと答えた。からかいがいのない奴だ。 「心配掛けたな。もう大丈夫だから」 「そう」  それだけ聞くと、冬也はドアを閉めて部屋へ戻ろうとした。待った、と声を張って呼び止める。 「冬也くん、パフェでも食べに行かないか?」  これで嬉しそうな顔をすれば可愛いのだが、冬也は思いきり顔を顰めて見せた。 「なんか俺、しょうちゃんと同居することになりそうでさ」  話の続きは、ファミレスですることになった。  ランチの時間を過ぎ、3時のおやつには少し早いこの時間帯、空席が目立ちすぐに座ることができた。早速冬也はチョコレートパフェを、俺はコーヒーを注文した。本当は俺も甘い物が欲しかったが、昼にカロリーを摂り過ぎたので太ることを懸念してやめておいた。  このファミレスは家から近く、家族に聞かれたくない話をするには持って来いだった。 「で、全然帰って来ないと思ったら、どうして同棲することになってんの」  注文が済むなり、早速冬也が切り出した。弟がこの話題に興味を持ってくれてよかった。でなければ、誰にも相談できずひとりで悶々と悩むところだった。 「同棲じゃなくて同居、な。しょうちゃんが引っ越すから同居しようって」  ふぅん? と冬也がつまらなさそうな相槌を打った。 「改めて告白されたから、それを受け入れたんだよ。そしたら一気に話が飛躍して一緒に住むことになってて」 「……俺、惚気聞かされるために連れて来られたの?」 「冷やかさないでちゃんと聞いてくれよ」  渋々、といった様子で冬也が口を閉ざす。確かに、冬也の立場になって考えてみると、ただ惚気を聞かされているだけなのかもしれない。しかし、当事者の立場から言わせてみれば、売り言葉に買い言葉で付き合うことになり、その翌日に不動産巡りに付き合わされて、畳みかけるように外堀を埋められていってる今の状況にただ混乱している。 「兄ちゃんはどうしたいの」  兄の恋バナなど聞きたくない、という態度丸出しで弟が言う。しかし、冬也の問いは的を得ている。俺がどうしたいか、と口に出してつぶやく。 「もうちょっと段階踏んで欲しいって言うか、心の準備をする時間が欲しい」 「同居することについてはどう思う?」 「1週間暮らしてみてストレスを全然感じなかったから、意外といけるんじゃないかとは思ってる」 「心の準備をする時間はどれだけ必要なの?」  ズバッと切り返されて言葉に詰まる。もししょうちゃんがいつまでも待つと言ってくれたら、永遠に待たせることになるだろう。そのことをしょうちゃんにも冬也にも見透かされているようだった。 「とりあえず同居する方向で考えたら? まだ住む部屋決めてないんでしょ。部屋決めるまでに心の準備済ませなよ」  冬也の言うことはごもっともで、ぐうの音も出なかった。  ちょうど話が一段落ついたところで、相談料のチョコレートパフェと俺の分のコーヒーが運ばれてきた。さっそく冬也はチョコレートソースがかかったアイスを口に運び、俺はホットコーヒーに口を付ける。 「しょうちゃんとしては、早く兄ちゃんを囲っておきたいのかもしれないね」  パフェでいくらか機嫌を直した冬也が何気なく言った一言を耳にして、思わずコーヒーを噴きそうになる。慌てて紙ナプキンに手を伸ばし、口を押さえた。冬也が汚な、と呟き侮蔑の目をこちらに向ける。 「Domなんだから、パートナーは常に自分の目の届くところに置いておきたいって思っててもおかしくないでしょ」 「そういうもんなの!? じゃあ冬也も、彼女に対してそう思ってるわけ?」 「まだ高校生だからそういうのは無理だなって弁えてるよ。その代わりほら、GPS」  そう言って冬也が、少し操作して自分のスマホを俺に向けた。マップ上に1カ所、赤い点が点滅している。今は自宅に居るみたい、と冬也が言った。  後になって検索してみてゾッとした。十代のパートナーやカップルの間で位置共有のアプリを入れることは特に珍しいことではないらしい。  冬也はDomなら普通だと言っていたが、しょうちゃんはどう思っているのだろう。一度話をした方がいいのだろうか。  話が発散して話題を戻せなかったが、相談料分の収穫はあったと思う。自分はただ話が性急すぎることが嫌だっただけで、同居自体は抵抗がないことに気付けた。  物件巡りどうすんの?  金曜日の夜まで待ってみたがしょうちゃんからの連絡はなく、痺れを切らしてこちらからメッセージを入れた。すぐに既読がつき、日曜日の朝迎えに行く、と返事が来た。連勤の疲労感も相まって、ふぅ、と溜息を吐く。  しょうちゃんは恋愛にはとことん不向きで、強引に物事を推し進めようとするくせに、気まずいことがあると急に逃げ腰になる。  小学生の頃の印象は忘れてしまったが、高校の頃からのしょうちゃんに対する安定感のようなものが揺らいでいる。  それが悪いというのではない。しょうちゃんには隙がないと常々思っていたので、ようやく姿を現した弱点に親しみやすさや人間らしさを感じる。面倒臭いと言ってしまえばそれまでだが、同時に愛しいとも思う。  しょうちゃんの元から帰宅してから5日が経過した。物理的に距離を置くことで少し視野が広がったというか、しょうちゃんとのことを客観的に捉えられるようになったと思う。半ば自棄でしょうちゃんとの交際を決めたが、うまくやっていけそうな気がする。  土曜日の夜、10時に迎えに行く、と簡潔な業務連絡があった。翌日、予定より6分早くしょうちゃんの車がうちの前に横付けされたのを2階の窓から確認した。着いた、と連絡をもらう頃には、階段を降りて玄関で靴を履いていた。玄関を開けると、運転席でスマホをいじっていたしょうちゃんと目が合った。 「早かったじゃん」  助手席に乗り込むなり、しょうちゃんが嫌みを含ませて言う。待ち合わせをするとき、大幅に遅刻はしないが、どちらかと言うと相手を待たせる方だ。  2階から見えたから、と少々的外れな返答をすると、あ、そう、と適当な相槌を打ってしょうちゃんが車を発進させる。 「今日はどこ行くの?」 「ちょっと高めだけど、駅近のマンション。見るだけ見ておいてもいいかな、と思って」 「ふぅん?」  先週の物件巡りの時から、しょうちゃんはマンションばかりを見ている。その時俺は考えなしに後ろを付いていったが、あえてマンションを購入する意味があるのだろうか。  早く兄ちゃんを囲っておきたいのかもしれないね。  ふと、冬也の言葉を思い出した。自惚れではなく、確かにそうかもしれないと思う。何に対してかはわからないが、しょうちゃんが焦っているように感じる。  不動産の担当に案内されてやってきた駅近のマンションは、築年数こそは経っていたがリフォームがされており中は綺麗だった。広々としたダイニングキッチンと、部屋が2つ。もちろんトイレとバスは別々。窓からは線路が見えるので、最初の頃は電車の音が気になりそうだが、そのうち慣れるだろうか。騒音を考慮してか、駅近の中では安めの物件であったが、ふたりで住むには広すぎる。  その後2件の物件を案内され、返事を保留にして不動産屋を後にした。1件目のマンションに入ったときに12時なのは記憶していたが、いつの間にかあれから3時間経過している。お腹は空いていて、何か食べたいが、その何かが浮かばない。しょうちゃんも何でもいいと言うので、駐車場で車を動かす前に近隣の飲食店を検索した。ファーストフード、イタリアン、ラーメン、喫茶店など何でもある。その中から牛丼屋に決めた。  さすがに昼のピークは終わっていて、店内は空席が目立った。空いているところご自由にどうぞ、と言われたのでテーブル席に向かい合って座った。席に座ったのと同時に水とおしぼりが出てくる。注文を済ませた後、初めて水に口を付けた。 「今日見た物件どうだった?」  しょうちゃんが広げたメニューを片付けながら言う。 「強いて言うなら、一番最初に見たところかな」 「俺も。今日見た中では一番安くて広かった。外見の割に中も綺麗だったし」 「ただ、夜電車の音うるさそう」 「あそこの駅、終電と始発何時だっけ」 「失礼します、牛丼並と豚汁セットのお客様」  あ、はい、と手を上げると、目の前にお盆ごと牛丼が置かれた。スピードが売りのチェーン店ではあるが、いくらなんでも早すぎる。しょうちゃんの前にも牛丼が置かれると、伝票を置いてさっさと店員が奥へ消えた。  強制的に会話が中断され、ふたり揃って箸を持った。しょうちゃんが牛丼に、俺は豚汁に箸を伸ばす。 「しょうちゃんは何でマンションがいいの?」  しょうちゃんが咀嚼しながら俺を見る。飲み込んでから口を開いた。 「共通の財産があった方がいいかと思って」  なんで、とは聞かなかった。なんとなく理由は聞かない方がいいような気がした。 「俺の家、兄弟ふたりじゃん? この先冬也がどうしたいのかわからないけど、もしかしたら家出て戻ってこないかもしれないし、そしたら俺、仕事地元だし実家継ぐこともあるかもしれないなって考えてるんだけど」  俺が言いたいことを察したようで、しょうちゃんがハッとしたような顔をする。 「もし冬也が戻ってこなかったら将来的に家を手放すのもありだと思ってるし、冬也がどこにも行かずに住み続けるかもしれないし、どうなるかはわからないけど、今マンション買っちゃうと身動きとりづらくなるかなって。まぁだいぶ先の話なんだけどさ」  必死にフォローをしたつもりだったが、先ほどまで楽しそうだったしょうちゃんがシュンとしてしまった。 「わかるよ。ごめん、俺自分のことばっかりで明生くんの都合考えてなかった」 「俺の都合でこっちこそごめん。けど、一緒に住むのが嫌なわけじゃなくて、しばらくは賃貸でいいんじゃないかって」 「うん、じゃあそういう方向で考えよう」  説得がうまくいったようで、ほっと胸をなで下ろす。そういえば明生くん長男だったね、とからかわれて、どういう意味? と怒って見せた。  会計を済ませて店を出ると、しょうちゃんのアパートへ向かった。しょうちゃんの部屋で賃貸に絞って物件探しをすることにした。マンションに比べると賃貸の方が選択肢が多く、だんだんどれも同じに見えてくる。  まずは大まかな場所を決める。俺もしょうちゃんも車は運転できるので、ひとまず互いの職場の中間地点とした。次に希望する部屋数と広さから部屋を絞っていくが、部屋の様子や周囲環境も見ておきたいのでまた現地に足を運ぶことになるのだろう。 「しょうちゃんさ、GPSの共有とかしたい?」  部屋探しをしながら雑談を振ってみる。しょうちゃんがパソコンの画面から目を離し、隣から覗き込んでいた俺の顔を凝視する。冬也が彼女と位置共有してるんだって、と言うと、ああ、と相槌を打って妙に納得した顔でまたパソコンの画面に目を戻した。頬杖をつき、勿体振ったように言う。 「んー明生くんが嫌じゃないなら」 「俺は別にどっちでもいいよ」 「じゃあアプリ入れよ」  しょうちゃんの手が素早くスマホに伸びた。興味はあったが、なかなか言い出しづらかったといったところだろうか。食いつき方が違った。  監視社会について思うところがないでもないが、別にやましいことがあるわけもなく、しょうちゃんとの位置共有くらいならいいかと思う。  他にも俺とのことで我慢していることはあるのだろうか。今後一緒に暮らすことになるなら、必然的にお互い我慢することが増えるだろう。今のうちに少しずつでも、しなくていい我慢はなくせればいい。  一旦家探しは横に置いておき、同じアプリをダウンロードし設定を済ませた。 「明生くん知ってると思うけど、うちは母親が再婚してて」  しょうちゃんの家は再婚で、しょうちゃんには父親が違う歳の離れた妹がいる。両親と仲が悪いわけではないが、子供ができたあたりからなんとなく距離ができてしまって、大学進学を機に一人暮らしを始めたことは昔聞いたことがあった。  今日改めてしょうちゃんがその話を持ち出してきて、だから俺は財産とか、家族とかそこまで気が回らないんだと言った。マンションを買うことで話を進めようとしていたことに対して、思うことがあったのだろう。しかし俺も気が効いたことが言えず、少し微妙な空気になってしまった。

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