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第16話

 終業後、値引きされたスーパーの惣菜を見ていた。 「あれ、もしかして三井?」  聞き覚えのある声に呼ばれて振り返ると、大学の頃の友人がいた。ずっと地元にいるが、意外と街中でばったり友人に遭遇するのは珍しい。 「間宮じゃん! 久しぶり。今何してんの?」  夕方の惣菜コーナーは激戦区である。さりげなく人通りの少ないところに移動する。ふと間宮が手に提げてるものに目が行った。俺の視線に気付いた間宮が、嫁に頼まれておつかい、と言う。服装から察するに仕事帰りだろう。間宮が手に持っていたものは、赤ちゃん用の紙おむつだった。 「なぁ、今からちょっと話せる?」  急なお誘いではあったが、何やら断れる雰囲気ではなかった。かごに入っていた惣菜を棚に戻し、間宮は紙おむつだけ会計して連れ立ってスーパーを出た。  嫁と母親に育児を任せておいて酒の匂いをさせて帰れないということで、近場の牛丼チェーン店に来た。  就職で上京し、奥さんと出会って結婚、子供ができて地元へ帰ってきた。現在は2歳になる娘と生まれたばかりの赤子の2児のパパらしい。  とにかく子供の夜泣きが酷いこと、家にいる間はずっと子供の相手をしなければいけないこと。嫁はとにかく赤子にかかりきりで終始疲弊していること。そのストレスをこちらにぶつけてくるのが辛いこと。間宮自身もようやく就職し直したばかりで疲れているのに、家では少しも休まらず、弱音を吐く相手と場所がないこと。要約すればそのような愚痴を延々と聞かされた。間宮は大学時代、どちらかというと物静かな奴だった。圧倒されつつも、話だけならいつでも聞いてやるから、と慰めの言葉で締めた。  会計の時、牛丼を一人前テイクアウトした。店を出る時、それ誰の分? と聞かれる。昔の感覚でしょうちゃん、と答えたが、間宮はピンと来ていないようだった。 「もしかして、鈴鹿?」 「そう。今一緒に暮らしてるから」 「マジで!?」  今日一番の大きなリアクションが返ってきた。ずっと受け身で話を聞くばかりで、全く自分の話をしていなかった。 「話聞いてくれるってやつ、真に受けるからな。今度は絶対飲みに行こうな」  別れ際、しつこく念を押し颯爽と車で走り去っていった。まるで嵐が去ったようだ。  俺が地元でのうのうと日々を過ごす間に、間宮は結婚して子供を二人も授かっている。焦ることなど何もないのだが、俺たちはこのままでいいのだろうかとふと不安になる。 「ただいま」  玄関で物音が聞こえ、しょうちゃんがリビングに顔を出した。コントローラーを手に持ったまま首を巡らせ、おかえり、と返事をした。 「明生くん、今日牛丼屋行った?」  エスパーかと驚いたが、ローテーブルの上に袋に入ったままの牛丼が置いてある。 「ばったり間宮と会って、メシ食ってきた。間宮、覚えてる?」  しょうちゃんがわずかに視線を彷徨わせ、ああ、と曖昧に呟いた。忘れていたことはわかったが、思い出せたのか微妙な返事だった。着替えてくる、と言って自室へ向かい、俺はテレビゲームを中断し牛丼の袋を持ってリビングへ向かった。レンジで牛丼を温め、ケトルで湯を沸かしてインスタント味噌汁を用意する。一応平日はご飯担当だし、しょうちゃんの方が遅く帰ってきたのだからこのくらいのことはしてやりたい。  しょうちゃんが牛丼とビールを合わせているのを見て、自分の分の牛丼も買ってくればよかったと後悔した。しょうちゃんが気を利かせて一口食うかと聞いてくれたが、量があまり多くなかったので遠慮した。  夜のニュースを見ながらもそもそと夕飯を摂る横で間宮のことを語って聞かせたが、疲れているのか反応は薄い。それとも、興味がないのだろうか。  ブ、と音を立ててテーブルの上のスマホが震えた。間宮からの連絡だった。 「間宮から今週の金曜日飲み行かないかって誘われたんだけど、行ってきていい?」 「うん」  視線はテレビに向けたまま、缶ビールを口に含んでしょうちゃんが虚ろに返事をする。  スマホに返事を打ち込みながら、よく奥さんが許してくれたと思う。話を聞く限りでは、恐妻家で尻に敷かれているイメージだった。 「あ、しょうちゃんも来る?」 「行く」 「じゃあ間宮に言っとく」  間宮のことはあまり興味がなさそうだったのに、よく乗ってくれたなと思う。大学の頃から酒の席はよく顔を出していたので、飲みの席は好きなのかもしれない。そういえば、一緒に住むようになってから宅飲みばかりで一度も居酒屋へ行っていない。  ついでに地元組のメンバーにも声を掛けてみたが、あいにく都合が合わなかった。  約束の金曜日、場所は間宮のリクエストで駅近の焼肉屋。子供が小さいのでしばらく行けてなかったから、だそうだ。しょうちゃんは後で合流することになっている。  席に通されるとまずは生ふたつと後は適当に肉やおつまみをタブレットで注文した。  ビールが来るのを待つ間、よく許可が出たな、と話を振った。 「義母さんもいるからたまにはいいよって」 「ふぅん。普段ちゃんと頑張ってるんだ」  じゃないと、とても快く送り出してもらえないだろう。 「奥さんとは会社で会ったんだっけ。写真とかないの?」  待ってましたとばかりに、間宮がスマホの画面を差し出してきた。結婚式はしていないが、記念写真だけは撮ったとのことでウエディングドレスとタキシードを着ている写真、それから、子供の写真。学生の頃の間宮しか知らないので、急にお父さんになっていてなんだか変な感じがする。  酒がだいぶ進んだ頃、机上のスマホが震えた。しょうちゃん今から来るって、と伝言すると、間宮が当時は鈴鹿のことが怖かったんだよねと、寝耳に水なことを口にした。 「えっ、何で? よくしょうちゃん家で課題したり朝まで飲んだりしてたじゃん」 「それは三井がいるときだけな」  大学の近場で一人暮らしをしているしょうちゃんの部屋は、学生の恰好の溜まり場だった。そんなことないだろと言いたいが、一緒にいないときにしょうちゃんがどう過ごしていたなんてわかるはずがない。  そもそも世話焼きで優しかった記憶しかないので怖いと言われてもうまくイメージが結びつかない。 「今思えば、あの時から三井のこと狙ってたんだろうな。俺らとお前とじゃ全然態度違ったし」  お、来たんじゃね? と間宮が話を切った。振り返って出入り口を見ると、しょうちゃんが俺たちを探していた。しょうちゃん、と大声で呼び手招きをする。喧噪とした店内ではあったが、すぐに気付いてくれた。 「しょうちゃんお疲れ。上着もらうよ」 「ありがと。間宮久しぶりだな。今更だけど結婚おめでとう」  しょうちゃんの上着を受け取り、壁のハンガーに掛ける。間宮の隣も空いていたのに、当たり前のようにしょうちゃんは俺の隣に座った。いつもなら何とも思わなかったかもしれないが、しょうちゃんの好意が間宮にはダダ漏れだったかもしれないことを知った今は少し尻の座りが悪い。そういえば大人数での飲みの時、絶対しょうちゃんが隣ではなかったか。  俺が過去に意識を飛ばしている間、しょうちゃんと間宮でタブレットを覗き込み肉を追加をしていた。三井も何か頼む? と聞かれ、一緒にタブレットを覗き込む。生と枝豆を追加してもらったが、しょうちゃんは車で来たとのことだったのでウーロン茶だった。 「三井と同棲してるんだって?」  しょうちゃんの飲み物も届かないうちに、間宮がニヤニヤしながら言う。えっ、とふたりで声を上げ、しょうちゃんが何か言ったのかと非難の目を向けてきた。 「ただ一緒に暮らしてるとしか言ってないよ」 「よかったじゃん、しょーちゃん。大学の頃、俺らが必要以上に三井と懇意にならないよう牽制してたろ」  間宮がわざと意地の悪い言い方でからかうが、しょうちゃんは何も言わずに表情を険しくさせる。間宮はすっかり酔っ払っていて、そのことに気付いていない。見ていてこちらがハラハラしてくる。 「もう籍入れてたりするの?」 「ないよ。今後も一切考えてない」  しょうちゃんがバッサリと切り捨て、空気が凍った。  凍った空気を溶かしてくれたのは、若いアルバイトだった。追加オーダーの品を持ってきてくれたが、すでに卓上は空いた皿やグラスでいっぱいになっていた。アルバイトは慣れていないようで、みんなで気を遣い合って、生肉を網に乗せて皿を空けたり空いた皿を重ねたりしてスペースを作った。  なんとか全て卓上に納まり、とりあえずサラリーマンの習慣として乾杯をした。 「間宮、投資信託に興味ない?」  一瞬俺も間宮もぽかんとしたが、察した間宮がここで営業するなよ、と突っ込みを入れる。ふたりの間に笑いが生まれ、表面上は和やかに会話が進んでいく。  籍を入れる入れないの話は、なかったことにされた。  ふたりの会話を聞き流しながら、ビールを一気に喉に流し込む。  しょうちゃんが、俺とのことを茶化されるのを嫌っていることはわかった。だが、籍を入れることを一切考えていないというのはどういうことなのだろうか。  確かに、俺自身も今の今まで一切考えていなかった。だが、漠然とゆくゆくは戸籍上も夫婦に近しい関係になるのだと思っていた。  今聞くのは違うと思うが、気になって仕方がない。話題が戻ったら聞いてみようか。酒を飲みながらタイミングを窺っていたが、話題が戻ることもなくお開きになった。

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