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十五 月が綺麗だから
「先輩、晩ご飯、外に食べに行きましょうよ」
「あー? うん」
あれから、栗原の様子はもとに戻った。いつも通りの可愛い後輩といった感じで、適度な距離で懐いてくる。
最初は警戒したが、次第に元に戻ったのだとホッとして、俺も警戒を緩めた。また、元通りの生活だ。
多分、情緒不安定だったんだろう。誰しも、そう言うときはあるもんだ。
「何食いたいの?」
「俺さっきテレビで寿司特集観ちゃって、すっかり寿司の口なんですよね」
「あー、寿司、良いね」
寮からは少し遠いが、美味しい回転寿司がある。寿司の話をしていたら、俺もすっかり寿司の気分になってしまった。
「他、誰か誘う?」
行くならタクシーになるので、どうせなら人数が多い方が良い。そう思ってスマートフォンでタクシーを手配する。
「二人で行きましょうよ」
「え? あ、うん」
ふわりと、そう囁かれ、心臓がざわついた。どうしてなのか、変に緊張して、手に汗を掻いてくる。
「じゃ、じゃあ、行こうか?」
「はい」
他意はない――はずだよな?
◆ ◆ ◆
「美味かったーっ」
「美味しかったですね。やっぱり、夏はウニだなー」
「俺、魚あんま好きじゃないんだけど、寿司だけは別だよな。貝はマジ駄目だけど」
「美味しいですけどね、貝」
そう言われても、苦手なもんは苦手なんだ。あの見た目も嫌だけど、砂が入ってたときにジャリっとするのも嫌だし、苦味があったときなんか最悪だ。
「うるさいな」
「貝焼きとかやってますけど。楽しそうなのに」
「バーベキューなら肉のが良いだろ?」
「そうですね。今度、バーベキューしますか?」
そう言って笑う笑顔が眩しくて、思わず目を細める。
「寮のバーベキューもあるけど」
「仲間内でやりましょうよ。岩崎とか、鮎川先輩とか誘って」
「吉田にバレたら合コンになりそうなんだけど」
「じゃあ、内緒だ」
カラカラ笑う横顔に、つられるように笑う。そろそろタクシーを呼ぼうかと、スマートフォンを取り出した手を、栗原がやんわりと止めた。
「腹ごなしに散歩しましょうよ。あっち、海が見えますよ」
「ああ、良いな」
心地よい風に吹かれながら、夜道を歩く。街灯はポツポツとしかなかったが、月の光だけでかなり明るい。
「先輩、手、繋いで良い?」
「はぁ? 恥ずかしいからやだよ」
「夜道暗いから、俺転ぶかも知れないです」
はい。そう言って、手を差し出される。
(コイツ……)
そんなわけあるか。頭では解っているが、どうにも栗原は甘えたいらしい。ため息を吐いて、手を握る。
「仕方ないな」
「やった」
口車に乗せられているのは解っていたが、頑なに拒否するのも意識してるみたいで嫌だ。別にどうってことないんだし。栗原の手の大きさとか、暖かさとか、この手で触られたとか、そんなことは、一ミリも思ってないんだし。
(……顔、熱……)
顔は赤いだろうか。栗原にバレてるだろうか。なぜだか、ドキドキしてる。悪いことをしてる気分だ。
「月、綺麗ですね」
ザザ……と、波の音が聞こえる。夜の海に月が反射して、綺麗だった。
「めっちゃ、綺麗」
遠くに船が見えた。漁船だろうか。夜の海は静かで、とても美しい。
「足下、気をつけて」
「あ、うん」
防波堤に波がぶつかる音は、どこか怖くもある。深い深い海に、連れ去られてしまいそうだ。
「んー。スマホで撮っても、綺麗に見えないな」
月を撮ろうとしたが、目で見るよりずっと小さくて、なんだか良く解らない。栗原が手を引いて、肩をぶつけてきた。
「写真撮ってくださいよ」
「ええ? 良いけど」
二人並んで、写真を撮る。じゃれ合いながら二人で写真を撮るのが、なんだかおかしかった。
「夜間モード結構綺麗じゃないですか?」
「最近のスマホってスゲー。あとでちょうだい」
「そろそろ帰りますか。通り沿いのコンビニのところでタクシー呼びましょ」
「そうするか」
海沿いの道を通って、大通りを目指す。海の傍の駐車場には、思ったよりも車が停まっていた。
(車ん中で、月でも観てるのかな?)
何気なく目をやった車の中に人影を見つけて、そう思う。栗原がぎゅっと、手を握ってきた。
「?」
「カップルばっかりですね」
「あー、うん?」
見上げた栗原の耳が、少し赤い。
何気なく視線を車に戻すと、ギシギシと車体が揺れていた。
「……」
ぎょっとして、慌てて顔を背ける。
栗原が不意に、手を離した。
「っ、行きましょ」
「あ、うん」
顔が熱い。けど、それより。
離されてしまった手の方が、気になって仕方がなかった。
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