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第2話 狼と暮らす2

「普通なら、雄だけで発情期になることはないんだけど」  目が冴えてしまった俺はジンと話をすることにした。ソファに座ったまま、ジンが眉を下げて「ごめんね」と謝っている。  発情期というのが、いわゆる欲情していることだというのはわかった。しかし人間には発情期なんてないはずだ。というよりも年中発情していると言ったほうが正しい。 (狼だから発情期って……いや、まさかな)  たしかに拾った日に「俺、狼なんだ」と言われたが「身元を詳しく言いたくないんだろうな」くらいにしか思わなかった。この島には、そういう流れ者がたくさん居着いているから大抵はそう思う。  かく言う俺の祖父(じい)さんも流れ者だった。近所にもそういった人たちはいるし、この島は昔からそういう島だ。 (それに悪い目はしてなかった)  眼差しで人の善し悪しがわかるとは親父の持論だが、スコールに打たれていたジンを見たとき「悪い奴の目じゃない」と思った。だから家に連れて帰った。小さい頃から親父が流れ者の人たちを家に泊めていたこともあって抵抗はなかった。  俺が思ったとおりジンはいい奴だった。そんなジンから発情期だと聞いても戸惑うしかない。「本当に狼だったのか?」なんて尋ねるのもおかしな話だし、取りあえず静かに続きを聞くことにした。 「近くに雌はいないし、まさか発情期になるなんて自分でも思ってなかったんだ。一週間くらいで治まるはずだから、それまではソファで寝ることにする」 「発情期が一週間……」 「大丈夫、カグヤを襲ったりしないから安心して」  最後の言葉に「もしや」と思った。 「もしかして、その発情期って俺のせいなのか?」  俺の言葉にジンが困ったような顔になった。つまりはそういうことだ。 「雄だけではならなくて、でも近くに雌がいればなるってことは……」 「違うよ、カグヤを雌だなんて思ってない。これは俺の問題なんだ」 「でも、おまえが言う発情期ってそういうことなんだろ?」 「……カグヤは狼じゃないから、これは俺の問題なんだ」  大きな体をした男がソファの上で体を小さくしている。眉も下がりっぱなしで何とも情けない表情だ。それがまるで叱られている子どものように見えて、思わず「可愛いな」なんて思ってしまった。 (いつもは母親みたいに俺の世話を焼くくせに)  それがいまはどうだ。小さな子どもみたいに所在なさげにしている。普段とあまりにも違う様子がやけに可愛らしく思えて仕方がない。  気がついたら右手を伸ばしていた。しょげた頭を撫でてやろうと思ったんだが、俺の様子を見たジンが驚いたように体を震わせた。 「カグヤ、離れて……っ」  左手で口元を覆いながら、慌てたようにソファの隅に体を寄せて俺から距離を取る。 「ジン、どうし……」 「駄目だ、近づかないで。危ないから近づいちゃ駄目だ」 「ジン?」  鼻と口を覆いながら必死にそう訴えてきた。灰褐色の目は少し潤み、目元もほんのり赤らんでいるように見える。俺にはそれが何かに必死に堪えているように感じられた。どうしたんだと思って少し近づくと、ジンの体がますます俺を拒絶するように小さくなる。 「どうしたんだよ」 「カグヤ、ごめん。カグヤが悪いんじゃないんだ。ただ近づかれると香りに反応してしまうっていうか、そんな状態で近づかれたらちょっと厳しいって言うか」 「厳しいって」 「本能に……発情に、たぶん、負けてしまうから」 「だから近づかないで」と潤んだ目で言われてドキッとした。 (それってつまり、俺に手を出すかもしれないってことか?)  そう思った途端に胸の奥がたまらなく疼いた。俺に欲情しているのだとわかり、心臓がドクドクと鼓動を速める。  おやすみのキスやハグといった接触が激しいジンだが、これまで好意を告げられたことはない。やたら距離感が近い流れ者もいるから、ジンもそうなんだと思って勘違いしないようにしてきた。 (そう、何度も勘違いしないように言い聞かせてきた)  でも、ジンは俺に欲情している。きっと自分ではどうにもならないのだろう。だからベッドから出たに違いない。そんな状態なのに俺にひどいことをしないようにと必死に堪えている。それってつまり……。 (ジンも、俺に好意を抱いているってことか……?)  ただの性欲だけじゃないってことだ。俺を傷つけたくなくて必死に我慢している。  全身の毛穴が開きそうなくらい興奮した。それならもう我慢することなんてないじゃないかと、もう一人の俺が囁いている。この機に乗じてジンに気持ちをぶちまけろ、なんて悪魔の囁きまで聞こえてきた。 「ジン」 「カグヤ……!」  まるで悲鳴のようなジンの声に小さく笑いながら、座面に膝をついて追い詰めるようにゆっくりと近づく。 「カグヤ、お願いだから、近づかない、で」  ジンの呼吸がハァハァと荒くなっていく。目もますます潤んで、口を覆った左手も震えている。そんな姿にどうしようもなく興奮した。 「ジン」  左手の甲にそっと触れた。たったそれだけの接触なのに、悲鳴を呑み込むような音が聞こえる。 「ジン、その発情期とやらは俺のせいなんだろ?」 「ごめ、ごめん、カグヤ、ごめん」  小さく頭を振る姿が怯える小動物のように見えて可愛い。完全に潤んだ灰褐色の目と真っ赤な目元を見れば、どれだけ我慢しているのかよくわかる。そんな状態でも、俺に手を出さないように必死に堪えている姿に愛おしさがこみ上げてきた。  口を覆ったままの左腕にそっと触れる。ビクッと震える様子が可愛くて抱きしめたくなる。 「いいよ、ジン。俺も、ジンのこと好きだから」 「好きだから」と言った瞬間、触れていたジンの腕にブワッと鳥肌が立ったのがわかった。潤んでいる目が一瞬、呆けたように見開かれる。 「俺に欲情してくれて、嬉しい」  自分の気持ちをはっきり自覚した俺は、煽るような言葉を口にしていた。

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