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第4話 怒れる狼1
「カグヤ、今日は仕事部屋で作業?」
「いや、材料集めに行こうかと思ってる」
「じゃあ、いつものビーチ?」
「あぁ」
頷きながら、先に出かけるジンにカンカン帽を渡す。
「それじゃ、ランチはビーチで食べよう」
「ランチ?」
「うん、そう。ミチヤくんの助っ人は午前中だけだから、お昼持ってビーチまで行くよ」
「だから一緒に食べよう?」と言われて、それもいいなと思い頷いた。
ジンはいま、繁華街の表通りから一本路地に入ったところにあるカフェで働いている。といっても助っ人が必要なときに臨時で雇ってもらっているだけで、労働日は不定期だ。
今日はミチヤという店員の代わりに助っ人に入るらしい。カフェの店長からは「ぜひ正式に雇いたい」と言われているそうだが本人は渋っているようで、いまだに助っ人しか受けていない。
俺はジンが外で働くことに賛成している。そうすれば島の人たちともっと馴染めるだろうし、ジンのためにもいいんじゃないかと考えたからだ。しかし、働くのを渋る理由が「カグヤと過ごす時間が減るのは嫌だから」と言われると、無理に勧めることも何となくできない。
「ねぇカグヤ、まさかその格好でビーチに行くの?」
「ん? 何か変か?」
帽子を被ったジンが、俺の全身を見ながら眉をしかめた。
今日は気温が上がると天気予報で聞いた。ただでさえ暑いビーチに行くからと、タンクトップに膝丈サーフパンツを着ている。これに麦わら帽を被りビーチサンダルを履けば素材集めには十分だ。海に潜るつもりでもいるから、できるだけ身軽なほうがいい。
「それじゃあ首も肩も、ほら、足だって見えすぎじゃないかな」
見えすぎだろうか。この島じゃ、こんな格好した人ばかりなんだが。
「そうか? 普通だろ」
俺の返事にジンの顔がますます険しくなった。
「ダメだよ、カグヤ。そんな肌を見せびらかすような格好でビーチに行っちゃ。カグヤが俺の恋人だって知らない観光客に、声かけられたり拐われたりしたらどうするの」
「見せびらかしてるわけじゃないぞ。っていうか、声かけられたり拐われたりとか、女の子じゃあるまいし」
俺がジンの恋人云々のくだりは、あえてスルーした。が、俺とジンが付き合っていることはほとんどの知り合いが知っている。
それもこれもジンが嬉しそうに「カグヤとパートナーになった」と話しているからだ。おかげで俺がアクセサリーを卸している店の周辺やジンが働くカフェの周辺では、ちょっとした話題の二人になっている。
(さすがに注目されるのは恥ずかしいんだが)
それでも、すれ違う知り合いに「今日も仲がいいな」なんて声をかけられるのは嬉しい。同時に妙にくすぐったい気持ちになってジンが見られなくなる。
「カグヤはその辺の女の子よりずっと魅力的なんだよ? 気をつけるに越したことはない。だから、もう少し肌を隠す服に着替えて」
言われて、もう一度自分の格好を見た。
ジンと出会ったときも、たしか似たような格好だった気がする。小さい頃から大体こんな格好だし、女の子に間違われるような体つきでもない。祖父 さんが目鼻立ちのはっきりした人だったからか顔立ちは少し濃いめかもしれないが、黒眼黒髪はこの島じゃ珍しくない色だ。
だから変に目立つこともない。日焼けしにくい肌だから褐色とまではいかないものの、ほどよく焼けた肌も島じゃ見慣れている肌の色だ。こんな島のどこにでもいる男に、ジンは何をそんなに心配しているんだろうか。
「言ってる意味がわからん」
俺の言葉にジンが不満げな表情を浮かべた。
「狼とつがいになるとね、狼じゃなくてもフェロモンが強まるんだ。性的な魅力が活性化されると言ってもいい。いまのカグヤは人間から見てもとても魅力的になってる。だから、できるだけ肌を見せたりしないでほしいんだ」
意味はわからないが、あまりにも真剣なジンの表情に「シャツに着替えて行く」と約束した。「半ズボンもダメだからね」と言ったジンの背中を見送ってから、やれやれと長ズボンを引っ張り出す。
(最近とくに口うるさくなってきたな)
恋人になってからというもの、こういうことが頻繁に起きるようになった。たとえば今日のように服装を注意されたりだとか、行き先がどこか気にしたり誰と会うのかまで確認されたりする。
(こうなることを気にしてたってことか)
たしかに恋人としては少々重いのかもしれない。だが、それだけ俺のことを思ってくれているという裏返しでもある。そう思えば多少鬱陶しいと思うことがあっても、本気で嫌だと思うことはなかった。
「だからって、やり過ぎるのはよくないと思うけどな」
あまりに度が過ぎるようなら少しは注意したほうがいいだろうか。そんなことを思いながら、使い込んだ麦わら帽子を被って目的のビーチへと向かった。
ビーチは歩いて十分程度のところにある。途中に露店なんてない普通のビーチだ。
(まだ観光客はそんなでもないかな)
ここは親父がいたときからよく遊びに来ていた。あの頃は近所に住んでいる地元の奴らくらいしか来ない、まさにプライベートビーチのような場所だった。
それがここ数年、少しずつ観光客の姿を見かけるようになった。繁華街からは少し離れているものの、徒歩圏内に大きなホテルがいくつか建ったからだろう。それでもメインビーチよりはずっと人が少なく素材集めの場所として重宝している。
「さぁて、人が増える前に潜っておくか」
ビーチの少し奥まった岩場でシャツとズボンを脱ぎ、下着代わりに着ていたサーフパンツとシュノーケルで海に潜る。
(やっぱり海は最高だな)
海に潜るたびにそう思った。太陽の光が散らばる海の中をゆったり漂いながら、少し遠くで泳ぐ魚を見つめる。そのまま視線を動かして、色とりどりの珊瑚と小さな生き物たちのコラボレーションを眺めることも忘れない。
あちこち眺めながら海底や岩の隙間に落ちているシーグラスや貝殻なんかを拾うが、決して生きているものには手を出さない。それが親父から教わった唯一のことで、海の恵みをわけてもらっている俺が守るべきことだと思っている。
(そろそろ昼か)
そう思った俺は、いくつかめぼしい物を手に岩場に上がった。シュノーケルを外し、頭をブルッと一振りする。
持ってきた水を頭から被ってザッと海水を流し、ざっくりと上半身をタオルで拭ってからシャツを羽織った。右手にはズボン、左手にシュノーケルやシーグラスなんかを包んだタオルを持ちビーチへと戻る。
この格好だとジンにうるさく言われそうだが、この陽射しの強さならすぐに乾くだろう。それからズボンを履きシャツのボタンを閉めれば問題ない。
さて、乾くまで浜辺で少し探し物でもするかなと足元に目を向けたとき、少し離れたところで騒ぐ声が聞こえてきた。視線を向けると、明らかに観光客だとわかる男たちが女の子を取り囲んでいるのが目に入る。
「またか」
観光客が増えると、こういう場面に出くわすことも多くなった。ほとんどはバカンスにのぼせた軽いナンパだが、たまにタチの悪い男たちもいる。
目に入った男たちは、どうやら後者のようだ。女の子が「ちょっと、やめてくれない!?」と声を荒げているのに、三人の男はニヤニヤ笑いながら腕を掴んだり肩を抱き寄せようとしたりしている。
(ったく、胸糞悪いもん見せやがって)
しかも声をかけられているのは知り合いだ。見て見ぬ振りなんてできるわけがない。足早に近づいて口を開いた。
「コハナ、親父さんが呼んでたぞ」
「カグヤ……っ」
いつも勝気な目が、俺を見た途端に少し潤んだ気がした。ナンパなんて何度も蹴散らしているコハナがそんな顔をするなんて、よほどしつこい男たちなんだろう。「あぁ? なんだテメェ」と俺を睨む男たちにため息が出る。
旅行に来てまで何をそんなにいきがる必要があるんだろうか。ちょっとしたバカンスの恋を楽しみたいなら、せめてもっと紳士的に誘えよと思う。それなのに嫌がる相手にしつこくつきまとうのは男としてどうなんだ。そんなことすらわからないのかと哀れなった。
「そんなんじゃ女の子と仲良くなれるわけないだろ」
「ハァ? なんだおまえ、ジャマすんじゃねぇよ」
「邪魔するだろ。その子、俺の知り合いだし。コハナ、親父さんのとこ帰れ」
男たちの意識が俺に向いている間に逃げろと目で言えば、小さく頷いたコハナが素早く走り出した。男たちもすぐさま気づいたようだが、コハナを追いかけるより俺で憂さ晴らしをすることに決めたのだろう、一瞬迷うように足を動かしたものの三人とも俺のほうに体を向けてきた。
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