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第6話 怒れる狼3

「ンにしてくれてんだよ、お前……ッ」  俺が頭突きした男がジンに殴りかかった。それを軽く躱したジンが腹に一発拳をぶち込んで男を沈める。入れ替わるように腹を蹴って砂浜に転がした男がジンに拳を振り上げた。 「汚い顔をカグヤに近づけるだけでも許せないのに」  そう言ったジンが、長い足で顎を蹴り上げて男を再び砂浜に沈めた。  これまでケンカどころか誰かと言い争うところすら見たことがなかった俺は、男たちを伸していくジンの姿に呆気にとられていた。しかも一発でダウンさせるなんて普通じゃない。 (格闘技か何かやってたとか?)  ジンがどこでどんな生活を送っていたのか聞いたことはない。それがマナーだと思っていたからだが、ここまで見せられると気になってくる。  そんなふうにジンの初めて知る一面に気を取られていたからか、倒れていた男が近づいていたことに気がつかなかった。 「な……っ」  気がついたときには背後から抱きすくめられていた。ハァハァとやけに荒い息づかいにゾワッと鳥肌が立つ。わずかに血の匂いがしているのは、ジンに伸されて怪我でもしているのだろう。 「……あぁ、この匂い、たまんないよなぁ……。ハァハァ……ほら、嗅いだだけでやばいくらい、ビンビンになる」  さっきよりも遥かに滾らせたモノを尻に押しつけられてギョッとした。 「ここに早く突っ込んで、ガンガン泣かせて、奥に、いっぱい、出してぇ」  まるで状況を解していないような様子にゾッとした。血の臭いがするくらい出血しているはずなのに、痛みなんてまったく感じていないように喋っている。それどころか仲間が伸されていることには目もくれず股間を押しつけてくるなんてどういうことだ。 (なんだよ、こいつら)  初めて心の底から恐怖を感じた。こんなヤバい奴ら三人を相手にしようとしていたのかと思うと体が震えてくる。 「だから、俺のつがいに触るなって言ってるよね」  ジンの冷たい声にハッとした。少し離れたところにジンが立っている。俺がプレゼントしたカンカン帽を被り、後ろ髪を結んだいつもどおりの姿だ。 (目が……)  何もかもが朝送り出したときと同じなのに、目だけが違っていた。感情のない表情よりも、その目から視線が外せない。  柔らかい灰褐色の目は、強い太陽の光を反射しているにしては濃すぎる琥珀色をしていた。それに、白目の部分が少しずつ琥珀色に染まっているようにも見える。中央にある瞳孔もやけにはっきりした色で、まるで獣みたいだ。 「汚い手でカグヤに触れるな」  静かにそう告げると、いつもと変わらない足取りで近づいてきた。背後の男はジンが近づいて来るのがわかっていないのか、変わらずハァハァと気味が悪いくらい息を荒げている。  そんな男の頭をジンの右手が掴んだ。まさに鷲づかみと言わんばかりの状態で男を俺から引きはがし、ブンと音を立てて右に振り払う。砂浜から飛び出ている岩にぶつかったのか、男が「ぎゃっ」と叫んだあとドスンと倒れ込むような音が聞こた。  俺の横を通り過ぎるジンの姿を追って振り向くと男は仰向けで倒れていた。それを無表情で見下ろしたジンが、長い足を上げて男の股間目がけて振り下ろそうとした。 「ジン、ストップ!」  俺の声にジンの足がピタリと止まる。 「ジン、そこまでだ」 「どうして? カグヤに触った汚いものは消してしまわないと」  感情のない冷ややかな声にゾッとした。同じくらい表情のない顔に背筋が冷たくなる。いつもは穏やかで笑顔を絶やさない顔が、まるで人形のような無機質なものに見えてゾクッとした。 (ジン、だよな?)  思わずそんなことを思ってしまった。優しくてふわりとした笑みが似合うジンが、まるで別人のように見える。 (このままじゃ駄目だ)  咄嗟にそう思った。ジンを止めなければ。それができるのは、きっと俺だけだ。 「ジン、もういいから。それ以上やったら、おまえが警察に捕まってしまう」  砂浜に転がっている男の額からは血が出ている。きっと岩にぶつけたときに切れたんだろう。出血量からして大したことはないだろうが、これ以上やったらどうなるかわからない。 「カグヤに触った奴らは、全部俺が消してやるのに」 「いいから、ジン。ほら、こっちに来いって」  そう言って両手を広げる俺を見たジンの顔が、わずかに歪んだように見えた。困ったように眉を下げる表情はいつものジンだ。 「ジン」  もう一度名前を呼ぶ。「おいで」というように両手をさらに広げるとゆっくりと近づいてきた。そうして壊れ物に触れるように、そっと俺を抱きしめる。 「カグヤ、大丈夫?」 「俺は大丈夫」 「嘘。だってほら、ちょっと震えてる」  ジンに言われて初めて自分が震えていることに気がついた。そのくらい男たちに恐怖を感じていたということだろうか。 (たしかに気持ち悪かったし、最後は怖いと思った)  これまで見かけたどんな奴らよりも危険で不気味だった。だが、それよりもジンのほうが怖かった。あのままいつものジンに戻らなかったらと思うと背中がブルッと震えてしまう。 「……大丈夫。ジンが来てくれたから、大丈夫だ」 「そっか」  ギュッと抱きしめられ、よく知っている体温に強張りが解けていく。「カグヤが無事でよかった」という柔らかい声に、ようやくホッとすることができた。  砂浜に落ちていたシャツは「汚いから捨てる」と言ったジンに奪われた。代わりにジンが羽織っていたパーカーを着せられる。同じ理由でサーフパンツも奪われ、ノーパンで長ズボンを穿かされる羽目になった。  ゴミになったシャツとサーフパンツ、それにシュノーケルや貝殻なんかを包んでいたタオルをジンが持ったところで、コハナと数人の男たちが走ってくるのが見えた。 「カグヤ、大丈夫!?」  小走りで近づいてきたコハナの手には、ジンが働いている店の紙袋があった。何でもビーチに来る途中でコハナに会ったジンが、俺のことを聞くやいなや紙袋を押しつけて走り出したらしい。コハナはあまりにタチの悪い男たちの様子が気になって、そのままビーチの見回りをしていた男たちを呼びに行ってくれたということだった。 「カグヤに何もなくてよかった」 「コハナこそ、何もなくてよかったな」 「カグヤが助けてくれなかったらわかんなかったよ。本当にありがとう」 「いいって。それより、ビーチの見回りを強化したほうがいいかもな」  それについては、見回りの男たちが繁華街の組合も含めて相談すると話していた。  問題の男たちは、警察が到着してから病院に運ばれることになった。ジンはやり過ぎだとお叱りを受けたものの、どうやら何件もの通報があった男たちだったようで、それ以上のお咎めはなかった。 「はぁ、ちょっとだけドキドキした」 「警察にか?」 「うん。もし一晩泊まっていけなんて言われてたら、カグヤを一人にすることになるし」 「おまえの普段の行いがいいから説教だけで済んだんだろうな」  島に来て日が浅い流れ者のジンだが、いつの間にか地元の人たちとすっかり打ち解けていた。普段から穏やかで笑顔を絶やさず、それでいて気の利いた男からだろう。そんな評判は警察にも届いているようで、だからこうも簡単に解放されたに違いない。 (いつの間にか、すっかり人気者になってるし)  おかげで、帰り道でも「活躍したんだってな」と声をかけられまくっていた。 「当然だよ。大切な人は絶対に守らないと」 「ハニーのためなら体を張るのがこの島の男だからな。おまえさんも立派な島の男になったってこった」 「カグヤのことは俺に任せて」 「おうおう、お熱いことで」  ハニーだとか守るだとか、隣で聞かされる俺のほうが恥ずかしくなる。それでも嫌な気持ちにはならなかった。ジンが島に馴染んで、こうしてみんなに受け入れられていることは俺だって嬉しい。 (そこはいいんだけど、やっぱりハニーってのはな……)  俺は恥ずかしさで熱くなった体を誤魔化しながら、ジンより少し前を歩いて家へと向かった。

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