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第2話
月曜日。今日最初の講義を受けるために講義室へ向かっていると途中で声を掛けられた。
「草薙、今日ほんとに来ないの~」
「おはよう。行かないって言ってるでしょ」
肩に腕をしな垂れられて思い切り重心が傾いた。香水と整髪料の香りが漂い、ブリーチされた明るい髪色が視界に入る。挨拶も無しで執拗に合コンに誘ってくる友人に朝から少し憂鬱な気持ちになった。俺は一貫して何度も断っているのに諦めが悪い。
「ほら見てみろよめっちゃ可愛くない?」
重たく絡んだ腕を退けようとするも、その腕で俺をロックするように両手でスマホを操作する。そしてSNSに投稿されたらしい写真を俺に見せつけた。邪な感想と共に昨日送られてきた写真だ。
「昨日見たよ。その子と仲良くなりたいなら行けばいいじゃん」
「……草薙が来ないならこの子も来ないんだって」
友人の言葉に俺は足を止めた。ほとんど抱きつく格好で絡む友人をむっと睨む。
「合コン嫌い」
「なんでだよ~」
思い切り引き離すと今度は大きな声で食い下がる。悪い奴ではないだけに冷たくすることもできない。
「前に連れて行かれた飲み会、俺すごく嫌だった。もうそういうの行かない」
「市川さんのだろ? あれは特別ぎらついてただけで今回のはもっと健全だってば」
市川さんは部活の先輩だ。ムードメーカーでチームを明るくしてくれる楽しい人だ。ただ女癖が悪いとこおがあり、その先輩に誘われて参加した飲み会は酷いものだった。店には数名ずつ男女が集まり男は異様な盛り上がりを見せていた。男たちは結束して狙った相手に酒を勧め所謂お持ち帰りをするのに必死だった。ドロドロな思惑が漂っているのは男女共に明白で見るに堪えない物だった。俺は度の超えた下ネタや強引なやり取りに耐えきれず、同じように乗り気で無さそうな女の子と飲んでいた。その場をやり過ごせたら良かっただけなのに、店を出た後で女の子からふたりきりになろうと誘われたことに辟易した。
「彼女作るのはいいと思うけど、ああいう遊び目的みたいな集まりは嫌だ!」
「じゃあ巨乳の彼女作りたいから一緒に行こ?」
とんでもない言い草に目を剥くと言い返す前に別の方向から声を掛けられた。
「おはよう、光今度バイトいつ?」
振り返ると髪を綺麗に巻いた友人が氷の入ったプラスチックカップを片手に歩いている。ブラウスから覗く白くて華奢な肩に思わず目が行ってしまう。
「おはよう。明日バイトだけど、紹介みたいなのやめてよ」
いつか彼女から紹介された女の子と友達として付き合っていたのだが、徐々に相手からのアプローチが過激になっていき、誘いを断るのに大変な思いをしたのだ。好意を持たれることは素直に喜ばしいけれど、身体を差し出されるのは困る。
「なんで? めっちゃいい子だよ? 可愛いし」
そう言うと俺の腕に手を伸ばして引き寄せ、スマホで画像を示す。わずかに腕に食い込む細い指と小さな手に身構えた。画面に表示された女の子は確かに可愛い子だった。
「可愛いじゃん、ニットのワンピースって色っぽいよね」
「ねーあんたに言ってないんだけど。こないだの飲みほんとにだるかった。あんたにはもう誰も紹介しないって決めた」
「先週のでしょ、あれはごめんて、あの日はまじで飲み過ぎた」
部活仲間の友人と同じ学科の友人が俺を介して知り合った。仲が良く、俺のいないところでも遊んでいるらしい。ふたりとも華やかな見た目で出会いを求めているらしいがお互いがその相手にはならないらしい。俺はいわゆる“大学生らしい遊び”が苦手なので誘いを断り続けているがなかなか通用しないのが苦痛だ。
「先に行ってて。俺トイレ寄ってから行く」
朝から苦手な話題を振られてやや気が滅入った。鏡に映る自分の姿を見てまた悩む。大学に合格した時、俺はすぐに髪を染めた。ずっと憧れていた金髪にしたのだ。髪色が明るくなっただけなのに別人に生まれ変わったような感動を今でも忘れられない。そして眉だけ黒いままでは違和感があると思い少しメイクをするようになった。昔からのコンプレックスであるそばかすを隠すためにファンデーションを塗り、真っ白く平たくなった肌にめりはりをつけるために影も付ける。それが意外と楽しくて大学入学までにはすっかり習慣付いていた。俺はただ金髪に浮かれていただけだった。
それなのに、それゆえか、入学してすぐの頃は遊び好きな人間が集まった。
昔から友達作りに苦労したことはなかったが親元を離れて自由を覚えた大学生のやることは高校生の頃とは違っていた。高校生でも派手な奴は派手だったが、俺をそこに巻き込もうとする奴はいなかった。しかし新たな友人達は時に俺を出会いの場に誘う。あの子が可愛い、エロい、ヤレそう、ヤッたヤらない……。付き合う相手の人間性は選んでいるので余程のことがない限り縁を切ることはしないが、久し振りに垣間見る男の欲望の汚さに内心うんざりすることも少なくなかった。
講義室に入るとさきほど会った友人達は他の友人とも合流したようでわいわいと話している。飲み会好きの顔ぶれだったのでまた合コンに誘われては面倒だと思い一歩離れると部活仲間の甲斐が見えた。
「甲斐、おはよ!」
甲斐は眠そうな顔で曖昧な挨拶をした後、堪えきれずに欠伸をした。黒縁眼鏡を押し上げてゴシゴシと目を擦る。
「眠そうだね、今日眼鏡なんだ?」
「んー、ゲームしてたら明るくなってた。コンタクト入らなかった」
「あはは」
肘をついた腕をそのままスライドさせて頭を乗せてしまった。眼鏡の具合が悪いのか早々に外して机に置いた。多分この講義を睡眠時間に当てるつもりなのだろう。甲斐はいつもマイペースで見ていて気が抜ける男だ。今日も緩いなあと思って眺めてみると少し髪が跳ねているのに気が付いた。
「寝癖ついてるよ」
アッシュグレーに透けた髪がぴょこんと飛び出している。間の抜けた姿が面白くて寝癖に手を伸ばすと閉じかけた瞼が開かれた。
「光、そういうの」
微睡んでいた空気が一気に引き締まった。俺は伸ばした手を引っ込めて膝に置いた。
「ごめん、つい」
「気を付けろよなー」
そう言いながら甲斐はまたふにゃふにゃになって目を閉じた。
甲斐と出会ったのはバレーボール部の見学会の時だった。短髪に引き締まった長い手足はいかにもスポーツ男子という佇まいだった。大きな猫目で先輩をじっと見つめて話を聞いている姿は集中力の高さを思わせた。
そして後日開かれた新入生歓迎会で俺は洗礼を受けた。一次会は健全な歓迎会だった。部員みんなと親睦を深め、俺は元より人と話すのが好きなため楽しく平和に食事をした。しかし二次会、三次会と場が温まるにつれて下世話な会話が増え、不用意なボディータッチが増え、意味深に消えていく先輩や同期が目についた。連絡先を交換したばかりの先輩からは同じ場に居るのにメッセージが入り、隣に座った同期の女子は彼氏がいると言っていたのに男の先輩に肩を抱かれたままでいる。時間が経つ程に不快な要素が増えていった。耐えかねて席を立つとトイレで甲斐と行き会った。
「なんかさ、ある程度予想はついてたけど、飲み会って性欲駄々洩れで性質わりーのな」
甲斐は手を洗いながらなんでもないことのように続けた。
「俺はいちゃいちゃするなら好きな子がいいけどなぁ。みんな誰でもいいんだね」
あまりに率直な意見に俺は正直面食らった。自分が異常に潔癖なだけでこの年頃なら健全な男はこういうものだと認識していたのだから。それに甲斐の雰囲気はモテる男が纏うもののように感じていた。事実、女子の先輩方が甲斐に向ける目は光っていたし、甲斐の女の子との接し方はとても慣れていた。それだけに甲斐の発言にギャップを感じたのだ。
「あれ? もしかして光も誰か狙ってた?」
これもまた、なんでもないことのように言った。俺にとってはとんでもないことだが。
それから、甲斐に名前を呼ばれたのは多分その時が初めてだった。男の同期からは苗字で呼ばれる方が多かったので印象的だった。
「違う、全然思ってない、俺も嫌だ!」
「それならもう帰っちゃおうよ。俺ん家でゲームやらない? コントローラー二個あるからふたりでできるよ」
「うん、やる!」
俺は思いもよらない誘いに尻尾を振って喜んだ。この飲み会を抜け出せることだけではない、同じ気持ちの仲間を見つけられて安堵したのだ。
「あ、これもお持ち帰りだね」
「えっ」
恐ろしい発言に身体が固まった。世の中には同性相手に欲情する人間もいるのだ。俺は一気に血の気が引くのを感じた。
「ゲームしよって家に誘ってワンチャンってこともあるから覚えておきな」
「お、お、俺、おまえの家、い、行かない」
「え、ちょっと待って違うよ! 変な勘違いすんなよ! なんで俺がお前に手出すんだよ!」
それまで瓢々としていたのに急に慌てたかと思うと甲斐はそのまま腹を抱えて大笑いした。その様子を見て、四面楚歌の状態に陥ったと思っていただけに俺も気が抜けて頬が緩んだ。
「でもさぁ、光スキンシップ多いし距離近いから気を付けた方がいいよ。無意識なんだろうけど女の子は勘違いすると思う」
「嘘、俺そんなことしてる?」
「隣の子の髪留め触ってだろ? あれは偶然にしても先輩の服のリボン触らされたのは結構やばいと思うよ。俺でも光って意外とそういうことするんだなって思ったもん」
バレー以外の場面で甲斐はぼーっとして見えるので、その洞察力の高さに驚いた。そして自分の行動について指摘を受け、無意識とはいえかなり迂闊な真似をしたことに気付かされた。
今になって思えば新歓で三次会まで残っていたメンバーは特にその気が強い先輩達だった。それ以降の部活の親睦会や個人の集まりではあんな下品な雰囲気になるようなことはないし、ある程度俺も見極められるようになった。しかしあの飲み会をきっかけに度々甲斐から指導を受けながら怪しい色恋沙汰に巻き込まれないように立ち回っている。
大学生なら欲望のはけ口を求めて止まないのは身体の反応として仕方のないことだと思う。だけど俺には不純な動機で結びつく関係がどうしても受け入れがたいのだ。当人同士が合意の上なら問題ないのだろう。頭では理解していても心が強く拒絶してしまう。
だから時々この環境が苦しくなる。
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