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第4話
そろそろ夏休みが始まる。ということは期末試験も近いということだ。科目によってはレポートの提出期限も提示され遊んでばかりもいられない雰囲気が漂っている。
そのため、試験期間前の最後の現実逃避としてバレー部で早めの納涼会をすることになった。川沿いでのバーベキューとのことで甲斐と共に参加した。車を持っている先輩に乗せてもらい俺たちは買い出しに向かった。スイカ数玉と食材、酒。家族以外でのアウトドアは初めてだったので純粋に楽しかった。陽射しがそれなり強いが川に入れば涼しい。同期と一緒に水を掛け合いずぶ濡れになるが天気が良いのですぐに服も乾く。面白くて、気持ち良くて、たくさん笑って楽しかった。
日が暮れてからは手持ち花火で遊んだ。昼からずっと子供みたいにはしゃいでさすがにくたくたになっていた。中心から少し離れた河原に座って川の音を聞いて休んでいると誰かが隣に腰を下した。
「疲れたね」
同期のエミリだった。彼女は元々控えめであまり騒いだりするタイプではない。だから今日の集まりに来たのは少しだけ意外だった。前に飲み会に出た後に喧騒に負けてぐったりしていたのを見掛けたことがある。見兼ねて家まで送ったのだが、後から周りにしつこく突っ込まれ総じて無視した。
「納涼会来たの意外だったな。こういうの苦手じゃん」
「やっぱそう思うよね」
愛想笑いをしながらエミリは両膝を抱きかかえた。日が暮れた今は昼間と比べるとかなり涼しい。パーカーを羽織っているがハーフパンツにサンダル履きの素足は寒いのかもしれない。
「寒いんじゃない? これ使いな」
「わ、ありがとう」
着ていたパーカーを膝に掛けてやるとエミリは素直に受け取った。恐らく彼女の性格なら「使う?」と聞けば遠慮しただろう。
淀みなく流れる川の音と、遠くから聞こえる宴会の声に紛れてぽつりとエミリが呟いた。
「……今日ね、スイカ食べたいなって思って、来たの」
「え?」
そのあまりに素朴な参加の理由に俺は思わず聞き返してしまった。
「スイカ食べたかったの?」
「そう、みんなで食べたら楽しそうだなって思って」
照れ隠しなのか、恥ずかしそうに笑うエミリは可愛かった。部活の集まりは低俗な飲み会が開かれることもあるが、基本的には仲間として親睦を深めるための交流会だ。純粋に部員と仲良くなれるなら俺だって大歓迎だし、こうして同期と落ち着いて話す機会にもなって嬉しい。もっと仲良くなりたいという気持ちから積極的に会話を続けた。
「……光くんは優しいね。よく言われない?」
「そうかな、普通だよ」
別に俺は性欲を抱くことを悪だとは思わない。自然なことだし、当たり前のことだと思う。それに恋愛に関しても否定しているわけではない。むしろ俺だって誰かと恋をしたいと思うし、心を許し合った相手と触れ合いたいと思っている。その思いは人並みにある。
こんな風に仲良くなりたいと思う異性とふたりで過ごしていると甘酸っぱい感じがして胸に心地いい痛みが広がる。この感じも嫌いではないし、自分がどんどんこの先を期待しているのもわかる。
「光くんて他の人と違って一緒にいて落ち着く」
「本当? そうなら嬉しいな」
相手も好意的に想ってくれていることが嬉しい。こんな風に少しずつ仲良くなって、委ね合える仲になれたらすごく良いだろうなと期待する。
「おーい、戻っておいでー! スイカ食べちゃってー!」
遠くから先輩に呼ばれた。いい雰囲気だったのにな、と思ったけれどこれくらいのペースで良い。少しずつ近付いて、お互いを知って、安心できる仲になれればそれでいい。
「ほらエミリ、スイカ食べなきゃ!」
「もうお腹いっぱいだよ、わッ」
立ち上がってエミリを振り返ると彼女はバランスを崩した。足元で石が動く音がして、エミリが川を背にして後ろに倒れていく。俺は咄嗟に手を伸ばした。
俺も彼女と騙したり、奪ったり、傷付けたりしない、信頼し合える関係になれたら——
エミリの手を取り自分の方に引き寄せたのは覚えている。川に落ちないように力いっぱい引き寄せて離れないように両腕で彼女の身体を抱え込んだ。
それから先が曖昧だった。腕に収まる小さくて細い身体にパニックを起こした。大して強くもない俺の腕力で彼女の全身は簡単に押さえ込むことができた。その事実を実感すると見たこともない光景が次々と頭を過ぎりあまりの恐怖に悲鳴を上げた。その時エミリが怪我をすることはなかったが、取り乱した俺を甲斐や先輩は必死に宥めて車に乗せてくれたらしい。ようやく落ち着いたのは家に到着する目前のことだった。
「落ち着いた?」
ぴったりとくっついた体温に気付き声の方を向くと甲斐が隣に居てくれた。大きな手で力強く肩を抱かれているがもう何の恐怖も感じない。
「なに、おれ、どうした? エミリは?」
さっきまで河原にいたのに。もう川の音も聞こえない。足の下にころころ転がる石もない。夜風も冷たくないし、花火の匂いもしない。楽しい雰囲気が無い。
「エミリは大丈夫だよ。お前は大丈夫か?」
「おれ? おれは大丈夫……」
心臓がバクバクと強く動いている。すぐにでも不安が襲ってきそうな気配があるが、力強く肩を抱く腕のためになんとか平静を保てている。
「何があったの、俺どうして」
曖昧な意識が恐ろしく、なんとか思い出そうと記憶を辿ると途端に鼓動が速くなった。怖くて、息が乱れる。
「いい、いい、光、思い出すな。ここでパニック起こすな」
甲斐が俺に入る情報を遮断するように身体を捩って抱き寄せた。頭を肩口に押し付けられて片腕も抑えられている。
「ゆっくり深呼吸しろ、過呼吸になるぞ」
甲斐と反対側に先輩が居た。大きな手がゆっくりと背中を擦ってくれた。温かい手が力を込めて上から下に滑っていく。泣き出したい気持ちが段々治まっていくのがわかった。
やがて自宅に着き甲斐が部屋まで付き添ってくれた。
「今日泊っていくけどいいだろ」
怪訝な目をしているが、多分それよりも心配してくれているのだろう。
「うん、ごめん。ありがとう」
甲斐はその夜何も聞かずに居てくれた。
この週末は連休だ。一日目に納涼会をして、それ以降はレポートを片付けるつもりでバイトの休みを取っていた。だけど朝目覚めて部屋にいる甲斐を見てとても課題に取り組める気分にはならなかった。
「甲斐、昨日は本当にごめんな」
「おー、もう落ち着いたの?」
俺をベッドに寝かせ、甲斐は床に粗末な寝床を作って寝ていた。布団でぐっすり寝てしまわないように、とのことだった。本当に何から何まで申し訳ない。
「うん、平気。いつも通りだ」
「じゃあ良かったよー」
甲斐はいつもの調子で答え大きく伸びをした。俺の頭を乱暴に撫でた後に「もう少し寝る」と言ってベッドに上がり込んできた。俺がまたいつ取り乱すともわからない状況でまともに眠れなかったのだろう。
俺は甲斐にベッドを譲り、朝食の支度をする。朝食の出来栄えからしてあまりにも細やかな罪滅ぼしだが、甲斐は笑って許してくれた。
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