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第6話
家に帰ってからスマホを確認すると予想通りたくさんのメッセージが届いていた。朝起きた時点で簡単に目を通してはいたが、落ち着いてから確認するとその件数から俺がどれ程心配を掛けてしまったのかが伺えた。あまり深く考えたくはなかったが、楽しかった空気が一気に凍ってしまったことだろう。恥ずかしさや気まずさと同じくらい申し訳ない気持ちが募った。まずは主催の先輩に謝罪して、家まで送ってくれた先輩たちに連絡を入れた。朝まで一緒にいてくれた甲斐にも改めてメッセージを送り、あとは各人へ返信をした。
気が進まない、勇気のいる作業だったがこういったことのフォローは早い方が良いと知っていた。その成果か電話で話した先輩は始めこそ俺の扱いをどうしていいか持て余す気配があったが、俺がいつも通りに話をすることできまずさは解消された。メッセージでのやり取りも同じだ。進んでやりたいことではないが、腫物扱いされることを思えばそれ程辛いものではなかった。エネルギーの必要な仕事だが、朝よりずっと心が軽くなったことで俺はすぐに行動に移すことができた。
連休が明けて大学へ向かい、講義室で既に席に着いている甲斐の姿を見つけ隣に座る。
「こないだは本当に迷惑掛けてごめん」
甲斐は部活以外の友人と居たため挨拶の後で甲斐にだけ小声で話し掛けた。机に肘を乗せた甲斐がこちらに向き直りじっと見つける。特にこれといった表情もなく固まってしまったように動かない。
「草薙! あの後大丈夫だったのか?」
甲斐が何か言う前に身体にどっしりと寄りかかられた。同じバレー部の友人だ。
「何? 光なんかあったの?」
納涼会に参加していた友人が声を掛けてくれたが事情を知らない友人もいる。あまり公にしたいことではなかったので反応に困っていると、肩を組んだ友人が答えてくれた。
「飲み過ぎたんだよな」
そのトーンと表情は気遣わしげだった。彼は遊び好きなところがあるが決して悪い奴ではないのだ。
「光が? 珍しいね~」
彼らも近くに座り講義が始まるまで賑やかだった。
このままいつも通りに日常が過ぎてくれることを切に願った。
試験勉強をするために図書館へ行くと言うと甲斐もついて来た。パンツのポケットに両手を突っ込みのろのろと歩いている。それでも歩幅が大きいのでペースが遅いという事もないが試験勉強をする気概は感じられない。
「甲斐はレポート終わった?」
「いや? ゲームして寝てた」
横目でちらっとこちらをみるだけだ。やっぱりあまりやる気は無さそうだ。
「光はどうなの」
学生が行き交う廊下は静かとは言えない。それでも甲斐の声はすんなりと耳に届く。
「連休中に終わらせた!」
俺は得意になって告げた。部活のみんなに諸々のメッセージを送り終えるとひとつ胸の重荷を下ろした感じがした。それから頭を占めたのは楓さんとのやり取りだった。まさか教会に通っているなんて思いもしなかったのにいざ楓さんと教会の前で出くわすと妙な納得感があった。それから俺を心配して手を取ってくれたことやアイスの冷たさは何度も感覚が蘇った。それに何度も楓さんとの会話を思い返した。そのうちのひとつである、仕事や勉強に対して楓さんが誠実に向き合っているということを思い出した。単純な俺は楓さんに影響を受けてあれからさっさと机に向かったのだった。
日曜に甲斐と別れる前の俺は多分本調子でなかったはずだ。その俺があれから課題をひとつ終わらせたとあれば驚くのも無理はないだろう。甲斐は当然大きな目を見開いた。
「あれからレポートやったの? まじ?」
それから甲斐は軽く唸った。
「全然大丈夫そうだな」
「もしかして心配してくれてる?」
俺は甲斐の気遣いに驚いた。甲斐はまた俺がおかしくなると思ってそばに居てくれたのだ。友人の優しさに感動するがそれ程の失態だったということだ。
「いつも普通に女の子と話してるから光は単に生真面目なだけだと思ってた」
感情の起伏が何もない言葉は平然と俺の中に入り込み内心を脅かした。甲斐はするりと懐に入って来る。
「エミリとはいい感じだったし女嫌いってわけでもないだろ」
甲斐は余計なことを口にしないだけでよく見ている男だ。
「何か、」
そこまで言って見えない壁にぶつかったみたいに言葉が途切れた。見えない壁は俺が作った。
「……頼むから普通にして、俺、変かもだけど、頼むよ」
怖くて甲斐の顔を見ることはできなかった。ただ縋る思いで口にした。やっと戻った普通の生活なんだ。どうか壊れないでほしい。
図書館に着いてからしばらく甲斐も勉強をしていたようだがすぐに舟を漕いでいた。俺に付き合ってくれたのだから咎めることもしないし呆れることもない。切りの良いところまで進めて早めに図書館を出ることにした。
「あー夏だなあ」
外に出るなり甲斐は多く伸びて欠伸をした。本来なら家に帰って昼寝でもしていたかもしれない。そう思うと少し気の毒に思えた。
「最近暑いよね、アイス食べない?」
奢るよ、と言って甲斐をスーパーへ誘う。それは完全に楓さんと一緒に過ごした時間の再現だった。
「バイト先に来るお客さんですっごいイケメンがいるんだ」
俺が買ったのはもちろんあの日と同じアイスで、甲斐はスイカのアイスを選んだ。お互い次の講義まで時間が空くため俺のアパートで昼ご飯を食べることにした。ふたりでアイスを齧りながら歩道を歩く。
「すっごいイケメン、へえ?」
俺はアンセム以外で楓さんの話をしたことがなかった。本当は誰かに話したかったけれど話せる程のエピソードがなかったのだ。それが今回は違う。どうにか甲斐の気を引けるようにしたい!
「すごく雰囲気がある人で、日曜によく来るんだけどその人目当てに来るお客さんが多くて手が足りなくなったからって先輩がバイトとして雇われたんだって」
「え、まじ? やば。芸能人じゃん」
「でしょう~?」
見事に食いついた甲斐に俺はフフンと胸を反らせた。
「背も高くてスタイルが良くて、何せ優しいんだ」
「ただのお客さんだろ? そんなに話す事あるの?」
まさに欲しい反応が得られて待ってましたとばかりに昨日の出来事を披露する。
「甲斐が帰ったあと落ち着かなくて散歩に出たんだ。そしたら丘の教会のところでその人に会ってね、コンビニでアイス奢ってもらったの」
「教会?」
甲斐は怪訝な顔をして嫌なところに引っ掛かった。何故教会に行ったのかと聞かれるのは嫌だ。だからあえて散歩と言って濁したというのに。
「そう、たまたま」
「その人宗教やってるの?」
さくっと真っ直ぐ心に刺さるような声色だった。俺は特に何かに対して信仰心があるわけではなかったし、楓さんがどういう目的で教会に通っているのか知らないが恐らく信仰があるために通っているのだろう。それを知ったからと言って何か悪い印象は感じなかったし、何より俺もいわば神頼みで教会へ向かったのだ。甲斐の言外の意味するところは察するがそれは要らない世話だ。
「よくは知らないけど……教会の前で会ったんだ」
まだ何も知らない甲斐に楓さんのことを悪く言われるのが嫌だった。
「よく知らないならなおさら気を付けろよ。人を疑わないのは光の良いところかもしれないけど、世の中には悪い奴もいるんだぞ」
「……わかってるよ」
溶け掛けのアイスは嘘みたいに不味かった。
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