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第7話(※ご注意)
バイトを始めて間もなく、美弥子さんのお腹に子供がいると知った時、俺はバイトを断ろうかと思った。妊婦といえば悪阻が酷いイメージがあるが美弥子さんは特に体調の変化は無かったらしく、一緒に働く機会も今と変わらなかった。美弥子さんは長女だそうで、生まれてくる子は親御さんの初孫にあたるらしい。そのため尚更ご両親は美弥子さんが子供を授かったことを喜んでいるそうだ。
美弥子さんは明るくて面倒見が良い。俺のことも可愛がってくれて歳の離れた姉のように思うことがある。それくらい人柄が良く親しみのある人だ。顔馴染みのお客さんたちも美弥子さんの子のことを気に掛けてよくお腹を撫でている。美弥子さんもその子も周りの人に愛されるべくして愛されていると思う。もちろん俺も美弥子さんが好きだし、無事に子供が産まれることを願っている。
だけどそれとは別にべっとりとした嫌な感情が胸の中にへばりついている。
祝福される命とそうでない命の差はあまりにも大きいと。
愛とは年子だった。さすがに記憶にないが、愛が母のお腹にいた時、俺は三つ上の兄にならって母のお腹を撫でながら愛の誕生を待ち望んでいたらしい。三人兄弟になった俺たちはそれなりに喧嘩もしたけれど割りと仲の良い兄弟だった。
兄の真似を俺はバレーボールを始め、愛は俺たちを真似して同じくバレーボールを始めた。俺と愛は同じ高校に通い、同じバレー部に入った。愛は昔から明るく、人懐っこく、友人も多かった。高校に入ってからはバレー部の先輩と付き合っていた。本当に普通の、明るい学校生活を送る高校生だった。
俺は俺で楽しい高校生活を送っていた。部活で汗を流して、友達と遊んで、テスト勉強に苦しみ、彼女とも仲良く付き合っていた。俺もまた普通の高校生だった。
愛も俺も普通の高校生だった。
俺は今よりももっと性に素直だった。隙あらば彼女に触れたいと思っていたし、頭の中では色んな女の子の痴態を妄想していた。周りもそう変わらなかったし、男にとってエロいことはエンタメのひとつであると思う。だから友達同士でこそこそとエロい情報を共有しては密かに盛り上がることもあった。そういう点も含めて俺は普通だった。
しかしそれは愛が死ぬまでのことだ。
愛の遺書を読むまで俺は何も知らなかった。男にとっては娯楽でも、女は地獄に堕とされることもある。それがセックスなのだと。
絶望の決め手は腹に宿った命だと、そう書かれていた。
試験が終わると夏休みが始まった。その最初の日にエミリを食事に誘い改めてあの日のことを謝罪した。エミリは気にしないと言ってくれたがその目は真相を知りたがっていた。俺はそれに応えることはできず曖昧に誤魔化していつも通りに談笑してやり過ごした。エミリとはせめて友達のままでいてほしい。彼女を家まで送る帰り道、最後の曲がり角のところで引き止められた。徐々に減る口数や上の空な返事。店を出るまでは楽しく話していたはずなのに、ついに立ち止まったエミリは真剣な表情だった。俺はもう少しエミリと時間を共有すればきっと彼女を好きになる。そうなればまたあの時のようなことが起きるだろう。エミリに触れれば我を忘れて取り乱し、現実と自分に絶望する。その時エミリはどんな気持ちになるだろう。俺はきっとまた同じ選択をする。それは何も進歩していない証だった。
立ち向かっていくだけのエネルギーが足りない。俺には覚悟がなかった。
エミリが口を開く前に別れた。失う前に手放した。エミリの勇気を無下にすることになってしまうけど、何もなければまだ友達でいられる。
高校時代に付き合っていた彼女には自分から別れを切り出した。それで良かったと思っている。彼女は今違う恋人と幸せにしていると聞く。
俺が誰かと恋をするのはあまりに難しい。理不尽な現実に涙が滲んだ。
ランチタイムが終わり、落ち着いた頃に来客を告げるベルが鳴った。やってきたのは黒髪に黒縁眼鏡を掛けた長身の男だった。
「おーエプロン似合ってるじゃん」
「実家帰ったんじゃなかったの?」
夏休みに入り数日経った。九州の実家に帰ると話していた甲斐が来店したのだ。説明されずともゲームをして過ごしているのが見て取れる不摂生さが漂っている。
「実家に帰るのはお盆明けにちょっとだけね。パフェあんのうまそうじゃん、食べよっかな~」
Tシャツにハーフパンツというラフな出で立ちで現れたが程々に付いている筋肉のおかげでそれほどだらしなく見えない。が、彼を知らない人からすればこの男がコートの上では機敏に動くようにも見えないだろう。甲斐は今日も緩かった。
「今日は来てないっぽいね」
クリームのてっぺんに乗ったチェリーを摘まみながら甲斐は言った。甲斐の他には離れた席で本を読むお客さんがひとりいるだけだ。楓さんのこと言っているのだろう。
「日曜日に来ることが多いみたい」
「ふーん」
甘党という印象はなかったが甲斐は美味しそうにパフェを食べ始めた。背も高くそれなりに体格の良い男がひとりでパフェを食べているのはなかなかアンバランスに見えるが不思議と目を惹くものがある。
「じゃあ今度は日曜に来ようかな」
口の端に付いたクリームを舐めながら大きな猫目がキラリと光った。
「……日曜は忙しいからやめて」
少し前なら是非と答えていたが今は甲斐と楓さんを遠ざけたかった。今は快いものにしか触れたくない。
バイト後はふたりで体育館へ行きバレーの自主トレをした。身体を動かすのは余計な事を考えなくて良い。
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