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第11話(※ご注意)

 日曜日、ドアベルが鳴る度にホールへ飛び出した。本当は昨日の内に今日店に来るか聞きたかったのに、楓さんは朝から出掛けていたらしくあまり連絡ができなかった。 「随分張り切って、どうしたの?」  この時間帯に店が混むのはもう慣れた。夏休みに入って学生は少ないものの平日、土曜の朝の時間帯と比べると明らかに浮足立った客が多いのだ。あの綺麗な人を一目見たいという気持ちはよくわかる。動物園に孔雀が居れば羽根を広げたところが見たいと思う。雨が上がったら虹が出ないかと空を見上げる。今まではそういう期待だった。  だけど今は明らかに違う。 「一昨日楓さんと飲みに行ったんです!」 「いつの間にそんなに仲良くなってたの?」  美弥子さんはコーヒーをトレイに置きながら驚きの声を上げた。もうすぐバイトを辞めてしまう美弥子さんのお腹は誰が見ても妊婦そのもので、出産時期が近付いているのがよくわかる。初めて会った頃はわからなかったけれど、確かに順調にお腹の中の命は育っている。 「はあ驚いた。マスター以外と連絡先交換してるところ見たことなかったのに、やるねえ光くん」  表情豊かな美弥子さんがまさにニヤリという顔を作って見せた。もちろん冗談なのだけど美弥子さんの言葉は俺の胸をくすぐった。 「マスターがね、ふたりが仲良くなって良かったってよく言ってるよ」 「俺と楓さんが?」  俺が一方的に懐いているように思っていたけど、傍から見ても俺たちは親しくなったように見えているのならとても嬉しい。  もっと詳しく聞きたいと思ったところでマスターから声が掛かる。 「美弥子ちゃん名残惜しいのはわかるけどおしゃべりは後だよ!」 「やば!」  肩を竦めた美弥子さんは一瞬ですまし顔に戻り、コーヒーを乗せたトレイを客席まで運んで行った。  日曜午前のお客さんは大半が楓さん目当てだと思っていた。多分、始めの内はそうなんだと思う。噂が噂を呼んだとか、たまたまモーニングを食べに来たらそこに居たとか。だけど楓さんが来ていなくても、来なくても、足を運んだお客さん達は帰らない。コーヒーを一杯だけ飲むとか、そのまま朝食を摂るとか、ゆっくりおしゃべりしたり本を読んだり、みんなそれぞれ腰を落ち着けてから帰っていく。そしてその内また店にやって来るのだ。あの人は居るかな? と。居なければまた来て、何度目かにマスターや美弥子さんあたりにあの人いないの? なんて聞いて。素敵だよね、と話して。外の樹が揺れる音とか、コーヒーの良い香りとか、木目の温かいインテリアに癒されて。 「光くん、大学は楽しい?」  結局楓さんは来ないようだ。ランチ前の小休憩でマスターが淹れてくれたコーヒーを飲みながらサンドイッチを食べる。美弥子さんはリンゴジュースをもらった。こうしてふたりで賄いを食べるのはあと何回もないだろう。美弥子さんは俺より十個近く歳が離れているけどそんな風に感じさせない愛嬌がある。  だけど今日は、お姉さんだ。 「うん、楽しいよ」  美弥子さんは嬉しそうに笑う。 「良かった」  たったその一言で何故だか目の奥がぎゅう、と痛くなった。もう少しで美弥子さんとは会えなくなる。そう思うと途端に寂しさが込み上げてきた。 「最初ここに来た時は、本当に、マスターも奥さんも心配してたんだよ」  優しい声色に耐えかねて涙がひと粒、パンの上に落ちていった。美弥子さんは笑いながら俺の頬を拭ってくれた。マスターはランチの準備で忙しなくしている。 「ちゃんとご飯も食べられるようになって、友達とも仲良くできて、合宿にも行ってさ」 「ッ、うん」 「安心した」  またひと粒涙が零れた。  体調を崩していた時も、夏休みが始まってからも、マスターも奥さんも美弥子さんも実家に帰らないのかとは聞かなかった。帰れば実家には愛の仏壇がある。まだ不安定な母が居る。愛の部屋はきっとそのままにしてあるだろう。兄もまだ帰って来いとは言わないし、負担が大きいはずの父も俺に心配を掛けまいと気を張り詰めている。  それに故郷はあまりにも思い出が多すぎる。良い物も悪い物も数えきれない程にある。愛が死んでから家を出るまでの二年と少しの期間は思い出したくもない闇だ。帰りたくても帰れない。頼りたくても頼れない。  それでも見守ってくれる人達がいた。 「美弥子さん、元気な、赤ちゃん、産んでね……っ」  本当はずっと伝えたかった。たくさんの祝福を受けて授かった命を大切にしてほしい。けれど今までどうしても伝えられずにいた。愛と一緒に消えてしまった命が寂しくて悲しくて、どうしても切り離しては考えられなかった。  まだきっとこの先もこの悲しみは離れないけれど、大切な人を祝福できたのは俺にとってひとつの救いだった。 「可愛いなあ光くんは」  そう言って美弥子さんに頭を撫でられると、明るくて優しい母を思い出した。きっと美弥子さんも素敵な母親になるんだろうなと温かい気持ちになった。

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