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第13話
後のメッセージで楓さんの次の来店は日曜日だと知らされた。週末には楓さんに会えると思うと居ても立っても居られなかった。曜日を指折り数える自分に戸惑いながらもほろ酔いの脳内に鮮烈に刻まれたやり取りを思い出してはにやけるのをやめられない。あの夜の別れ難さは言葉に表せられない感覚だった。名残惜しいの一言で片付くようなものではなかったと、時間が経つにつれて嫌でも自覚した。
今まで恋をするのはいつだって異性だったし、それが覆ることなんて考えたこともなかった。女の子が少しでも肌を出していたらうっかり視線が向いてしまうし、近くに寄れば多少なりとも意識してしまう。その理由は単純で、俺が男で、そういう風に身体ができているからだ。二十年生きて来て男の裸なんて数えるまでもなく何度も見て来たし接触することもあった。有象無象の男の身体に対して脳裏に焼き付いて離れないなんてことはただの一度も無かった。それなのにたかだかちょっとだけ開いた襟元だとか、引き締まった二の腕だとか、そんなものが数日経った今でも頭から離れないなんて。
おかしいと思いながらも受け取ったメッセージを読み返しては次に会った時のシミュレーションを繰り返している。
きっと今までにいないタイプの友達に浮かれているだけだ。それに楓さんの見た目が人並み外れて良いのは紛れもない事実だ。華やかな人物に目を奪われてしまうのは不思議なことではない。そういう人が誠実で真面目で優しくて親切で面倒見が良くてちょっとおっとりしていただけの話で、レアな人種に興味を引かれてしまうのは仕方ないはずだ。
『また今度会おうね』
怒涛の言い聞かせをしている間にも思考に隙間ができるとまたあの夜の光景が思い浮かぶ。これもきっと、レアな人種が成せる技だ。性別問わず魅了してしまう魅惑の人からのお誘いをどうして無視できる。これは普通の反応だ。誰しもきっとこうなるはずだ。だからこれは決して特別な感情なんかではない。今は避けているだけで、俺の恋愛対象はいつだって女の子なのだから。
待ちに待った日曜日。楓さんに会える楽しみと過剰な期待を胸の奥に押し込める攻防戦に決着がつかないままその日を迎えた。ドアベルと共に姿を現した汗ばむ楓さんを見て一気に鼓動が弾けたのを感じた。必死に抗っていた違和感があっという間に吹き飛んで行った。
「先週はありがとう。あの後大丈夫だった?」
目が合った途端に切り出された。頭の中は次の約束をどう取り付けるかでいっぱいだ。甲斐と会って間もない頃、こんなに必死になった覚えはない。今は胸がどきどきして目を合わせるのも恥ずかしい。だけど何でもいいから言葉を交わしたくて、格好つけたくて、失敗したくなくて……
「光くんとどこ行ったんですか?」
お冷やも出さずに楓さんのそばで固まる俺を颯爽とフォローしたのは美弥子さんだ。他のテーブルを片付けながら声を掛けてくれた。
「居酒屋ですよ、駅から少し歩くんですけど……」
美弥子さんが楓さんと話している間にすぐにお冷やを準備した。幸い店内は空いており楓さんと話すチャンスはありそうだ。
「日本酒飲ませてもらったんだ! 俺初めて日本酒飲んだ!」
「いいなあ。この辺のお酒は有名だから飲めるならたくさん飲んでおきな」
「美弥子さんお酒お好きなんですか?」
「あれ、話したことなかったっけ? 美弥子の酒失敗談百選」
俺のフォローから本格的なトークを繰り広げそうな美弥子さんにキッチンからマスターの制止がかかった。おしゃべりを注意されていつものように愛嬌たっぷりに肩を竦める美弥子さんは去り際にチラっと俺に視線を寄越した。その瞬間にこにこした顔がさらに愛らしさを増したように見えた。
「俺、また、日本酒飲んでみたいなぁ」
「え、でもこの間は」
どきどきしながら切り出した言葉は情けないくらいに小さな声だった。これがバレー部の先輩ならもっと気軽に誘えるのに。と、くよくよし始めたところでぽーんと明るい声が店に響いた。
「酒の美味い店なら任せとけー!」
「美弥子ちゃん!」
常連客しかいない店内はふたりのいつものやり取りに笑いがあふれた。みんなの笑顔に交じって楓さんが口を開く。
「じゃあ美弥子さんにおすすめのお店聞いてみよっか」
その時ちょうど鳴ったドアベルはまるで祝福の音色だった。そして俺は心の底から美弥子姉様に感謝を捧げた。
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