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第16話

 そして迎えた当日。駅で待ち合わせをしてから店へ向かった。俺は家を出るまでああでもないこうでもないと服や髪をいじくっていたのだが、待ち合わせ場所で手を振っている楓さんのシンプルな装いに驚いた。黒のTシャツにグレイのパンツとスニーカー。その場にもっと気合の入った男はたくさん居たが、視界に入るどの男よりも楓さんは際立っていたのだ。もっと言えば、俺に気付くまでスマホに視線を落とす姿はモデルさながらの佇まいでわかりやすく道行く人の目を惹いていた。そして顔を上げ、俺を見つけるとぱっと笑顔を見せてふりふりと手を振るのだから堪らない。 「すみません、時間ぎりぎりになっちゃった」 「そんなに待ってないから大丈夫。お店の場所も確認できたからちょうど良かったよ」  そう言う楓さんについて行くと実にスムーズに目的地へ到着した。  そこは事前にネットで見た通り、大きくはないが小綺麗で雰囲気の良い居酒屋だった。まず大学の友人とは来ないような落ち着いた店で、周りもやはり学生らしき客は見掛けない。自分のような金髪の若造は場違いな気がするが、店内に飾られた看板のおすすめメニューを見て「美味しそう~」とにこにこしている楓さんを見ると安心した。 「この間も思ったけど、光くんはお洒落だね」  一杯目のドリンクを注文し終えると楓さんはおしぼりで手を拭きながらそう言った。楓さんの目線が俺の髪を、服を、軽やかに掠めていく。ただそれだけなのに首から耳にかけてぶわ、と熱くなるのがわかった。 「金髪もよく似合ってるし、服も爽やかだし。僕はいつも黒ばっかり選んじゃうから余計に地味になっちゃうんだよね」  駅前で突っ立ってただけで誰よりも目立っていた男のどこが地味だと言うのだろう。 「楓さんも黒よく似合ってると思うけどな」 「うん、結局黒が無難なんだよね」  この世には黒が似合う人種とそうでない人種がいることを知らないんだろうな。そしてその真っ黒な髪と真っ黒な服が白くて清潔な肌をより洗練して見せていることも自覚していないんだろうな。「一周まわってスーツが一番楽だよ」と困った顔をするあたり、本当に自分のことを黒一色の地味な男と思っているのかもしれない。え、そんなことある? 「楓さんは服はどこで買うの?」  もしかして学生には手が届かないようなブランドか、とも思ったが今着ているTシャツは量販店の物で、俺も色違いで持っている品物だった。決して同じ価格とは思えないのはどうしてだろう。 「パンツは別のお店のだけど、友達に選んでもらったんだ」  聞けばその友人に定期的に買い物に連れ出されて、散々試着をしたあとに指示された物を買うのだそうだ。 「僕がこういうの疎いから、美容室まで連れて行かれるよ」 「楓さんはお洒落に興味ないの? そんなに格好いいのにもったいない」 「個人的には人前に出て恥ずかしくなければ充分なんだけど、でもやっぱり光くんみたいな髪は憧れるな。学生の内にやっておけば良かった」  ここまで話したところで一杯目のビールが運ばれてきた。楓さんにとってファッションの話は一杯目までの雑談のようだったが、俺はその会話をきっかけに脳内で楓さんを様々な服に着せ替えて楽しんだ。きっとその友達も同じ気持ちなのだろう。上等なダイヤの原石を見つけたなら放っておく人間の方が稀だ。  お通しはほとんど凍った状態の枝豆や塩加減のまばらなフライドポテトなどではなく、上品な細長い器にクリームチーズと燻した沢庵、煮凝り、いんげんの胡麻和えが少しずつ盛られていた。クリームチーズの肴はいぶりがっこというらしい。  唐揚げが運ばれてきた頃にビールを飲み終わり、二杯目からは美弥子さんおすすめの日本酒を注文した。楓さんは出来立ての唐揚げをせっせと自分の皿に移して満足げにしている。 「楓さんって仕事何してるの? 聞いたことないよね」  至って普通の、今さらな質問であるが、楓さんのリアクションを見て実はこの話題が避けられていたのだと気付いた。楓さんは言いづらそうに視線を横に逸らして僅かに声を低くした。 「法律関係、だね」 「え! すご、弁護士? 公認会計士?」 「うーん、ここではちょっと……」  なんと、まあ。その身だけでも充分食べていけるくらい恵まれた容姿を持っているのに、性格も良くて、職種も堅いと来た。こんな完璧な人間が俺と酒を飲んでいるのか。 「仕事の話は申し訳ないんだけど」 「そっか、そうなんだ、へえ、すごい……。雲の上の人だ」 「そんなことないよ、恐縮しないで」  楓さんは眉を下げながら機嫌を伺うように唐揚げをひとつ俺の皿に寄越した。その唐揚げはなんだか特別な物のように見えた。 「楓さん相当モテるでしょ」 「モテない! モテないからやめて!」  このスペックでモテないとは無理がある。ただでさえわかりきっていたはずなのに楓さんが遠くなった気がして寂しかった。誰も勝ち目が無いような無敵の美女が楓さんの隣を狙っている、もしくは既に誰かいるのだろう。 「彼女いる?」  勢いに任せて口にすると喉の奥がグッと痛んだ。……なんでだよ。 「いません」 「好きな子は?」 「いません」 「どんな人がタイプ?」  と、聞いたところで日本酒が来てしまった。楓さんはこれ幸いと酒を受け取り、とびきり魅力的な笑顔で店員にお礼を伝えてまたひとり無防備な人間の心を鷲掴みにした。 「そういえばマスターが、楓さんが酔っ払うと面白いらしいって言ってたんだけどどうなるの?」  俺は少し自棄だった。知れば知る程魅力的な楓さんに言い知れない焦りのような感情を抱いていた。もはや酔ってナンパなどするはずもないことは明白だが白黒つけなければ気が済まなかった。目の前に居るイケメンピラミッドの上位数パーセントに属する生き物の理性が朧げになった時に何が起きるのか。地味でモテないと現実とかけ離れた謙遜する美男子が友人に抑制される理由は何なのか。 「光くん今日は鋭いことばっかり聞いてくるなあ……」 「だって楓さんのこと知りたいんだもん、酔うとナンパ癖が出るって本当なの?」 「ええ、マスターがそんな風に言ったの?」  たじたじになったかと思えば今度はぎょっとした表情を見せた。それはどれも見たことのない顔で、楓さんも血の通った人間なのだとよくわかる。完璧の鎧を着ているように感じたが、そんな物は着ていない。ただ纏っているのは黒いプチプラのTシャツだけだ。それに気付くと胸が軽くなった。 「誰彼構わず話し掛けて友達に止められるって」 「ああ……だけど誓ってナンパじゃないよ、本当に」  完璧の鎧は見えないけれど、潔白を訴える瞳は耳を垂れ下げる犬を思わせた。 「……僕、酔うと人を褒めるのを抑えられなくなるみたいなんだ」 「え? なんて?」 「知らない人に服が格好いいとかスマホケースがお洒落とか言って目に付いた物がいいなって思ったらすぐ口に出ちゃうんだ。それで相手が話してくれたらまた声が良いとか仕草が上品とか何にも考えずに全部言っちゃうから友達に回収されちゃうんだ」  それはやっぱりナンパでは、と思うが何も考えずに褒めちぎるだけというのはナンパとして成立するのだろうか。ただ楓さんに褒められたら良い気分にはなるだろう。意欲のある相手なら確かにその気を煽られても不思議ではない。 「知らない人にいきなりあれこれ褒められたら警戒するよね……怪し過ぎる……」  美弥子さん、俺達の楓さんはどうやら酔うと愛想が制御不能になって保護されてしまうそうです。ナンパではないようです。 「……俺その友達の気持ちわかるなあ」 「今日はそんなに飲まないから安心して」  そういうことではないのだけれど、何故か訂正する気は起きなかった。恐らく楓さんの友人も同じ気持ちだろう。間違えているのだけど気付かなくて良い、そのままで居てくれることの方が重要だ。  俺はもしかするととんでもない人と知り合ってしまったのかもしれない。

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