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第19話

「光くんの髪って本当に良いよね、綺麗な色でふわふわってして、すっごく似合ってるっていつも思ってるんだ」 「ありがとう、あの、俺は楓さんの黒髪も良いと思うけど」 「僕の髪も褒めてくれるの? 光くんは優しいよね。それに素直だし、良い子だなって思うよ。きっと光くんの友達もそう思ってるんじゃないかな? 日向夏もすごくおいしかった。こんなにおいしいものを食べさせてくれるなんて本当に良い子だよ君は。それにこれをお土産にくれるお友達もきっと素敵な人なんだろうね」  少し前からずっとこの調子で次から次へと褒め言葉が紡がれてまともに会話が成立しないのだ。しかもそれらを目を輝かせて説くのだから堪らない。ただただ楽しそうに嬉しそうに心のままに伝えてくる。日向夏を初めて口に入れた時みたいに、ありのまま俺を褒め続ける。そこには何の下心もなく、無償の愛のように賛歌が奏でられるのだ。こんなの勘違いしてしまうじゃないか。 「待って楓さん、ストップストップ! そんなに褒められたら俺どうしていいかわかんないよ!」 「どうにもする必要ないよ。光くんはそのままで素敵だから。きっと彼女だってすぐにできるよ」  その一言でポンと突き放された感じがした。こんなにたくさん俺のことを褒めたって楓さんは俺を欲しいとは思っていないのだ。そんな当たり前の事実を突きつけられ俺が抱く感情は不毛なものだと気付かされた。 「楓さん誰にでもそんなこと言うの?」 「そんなことって?」  こちらは嬉しさと切なさの温度差にげっそりした気分だというのに俺を振り回す本人はけろっとして焼酎の入ったグラスに手を伸ばす。つまみとして出したスナック菓子にはほとんど手を付けないのだからわかりやすい。これでは冷蔵庫にある日向夏をすべて差し出したくなってしまう。 「……なんでもない。俺楓さんの友達と仲良くなれるかもしれない」 「どうしてそう思うの? でもきっと光くんのこと可愛がってくれると思うな」  俺は無自覚に恋の矢を放つ楓さんのストッパー役に同情しただけなのだが、楓さんは俺と自分の友人の邂逅を想像して笑っている。その笑顔の楽しそうなことときたら……。  友人といる時の楓さんはきっとこんな感じなのだろう。ドキドキして落ち着かないが俺に対しても素を見せてくれていることが嬉しくてもっと楓さんに近付きたくなってしまう。いつも頼れる大人なお兄さんが今はすごく可愛らしくて堪らない。 「あ、今友達と電話できそうだけど話してみる?」 「え?!」  珍しく会話中にスマホを触り出したと思えば予想しない提案をされてしまった。正直言ってふたりきりのこの空間を楽しみたいのだけれどこれ以上沼に嵌められてしまったのでは後が辛いだけだ。それならばもっと楓さんを知れる方がいいのかもしれない。 「うん、話してみたい」 「本当? 良い奴だから光くんもきっと気が合うと思うな!」  楓さんはその友人と本当に仲が良いのだろう、俺にその友人を引き合わせるのがまるで宝物を披露する子供のようだ。 「もしもし、あ眼鏡掛けてるね、珍しい」  楓さんが友人とどんな風に接するのか興味深かったが何ということもない、俺やアンセムのマスターたちと同じ態度で安心した。 『そう、欲しかったゲーム買ったから朝からやってた』  スマホを通して間延びした男性の声が聴こえてくる。会話の内容と鷹揚な口調から一瞬甲斐が脳裏を掠めた。それにしても真面目な楓さんが終日ゲームに時間を割くような人と親しいとは少し意外だ。 「そうなんだ、よっぽど面白いんだね」 『そうだよ面白いからしー君もやろうよ~』 「できないし、しー君て言わないで」 「しー君?」  いつ俺が紹介されるかとそわそわしていると随分と気になるワードが飛び出した。今更だが俺は楓さんのフルネームを知らない。 『おう、わざわざ電話してきたんだから新しいお友達見せろよしー君』  しー君じゃないったら、と言いながら楓さんは立ち上がり俺のすぐそばに立った。目線で画面に映していいか確認してきたので軽く髪を整えて頷いた。すると楓さんはすとんと隣に座り俺と並んで画面に映るように身体を寄せた。俺のすぐ後ろに片腕を突き、反対の腕を伸ばしてスマホをテーブルに乗せる。微かにあちこちが触れ合い、今まで気が付かなかったなんとも言えない良い香りが襲い掛かった。 『は、随分若い子連れて来たな?! 学生?』 「光くんです、こちらは鈴木くんです」  密着した楓さんにパニックになっていたがスマホの画面を見て驚いたことにそこには大きな眼鏡を掛けたセミロングヘアの女性が映っている。 「えっ、女の人?」  思わず楓さんを振り返るとごく近い距離で対面してしまいまた慌ててしまう。 「ねえ、藤也は美人さんだから女の人にも見えるよね。昔から藤也はおしゃれで、お化粧なんかもすごく綺麗にするんだよ。いつも僕の服とか髪の面倒も見てくれて」 『ちょっと待って、光くんもしかしてそいつめっちゃ酔ってる?』 「は、はい、しばらくこんな調子で……」  どうやら噂の回収役である鈴木さんは当然心当たりがあるようで、表情が硬くなり今までののんびりした様子が一変した。 『確認させてほしいんだけど、君たちふたりはどういう関係なのかな?』  リラックスしたムードが一気に締まった空気に変わった。楓さんだけは不思議そうに画面を眺めている。 「楓さんは僕のバイト先のお客さんでして、今は一緒に自分の家で」  と端的に事実を伝えている途中で鈴木さんの表情が見る見る険しくなるのを感じ自分の発言が誤解を生んでいることに気付いた。 「そう、光くんが日向夏を分けてくれるって言うからお邪魔してる」 『はあ何? 日向夏?』  鈴木さんの口調はより鋭くなった。 「あの、誤解ないようにしたいんですけど、楓さんはうちの喫茶店の常連さんで、今日は元々ふたりで飲む約束をしていまして、今は二次会としてうちで飲んでる感じです」  楓さんが日向夏の魅力を話し始める前に鈴木さんに説明すると眉間に寄った皺が解消されるのがわかった。 『なんだ俺はてっきり、なんというか、まあそういうことなら良かったよ……』  どうやら俺がバイト先でナンパされて楓さんをお持ち帰りしたというシナリオは間違いであると伝わったようだ。 「なんだと思ったの?」  わかっていないのがひとりいるがきっとわからないままでいいのだろう。 『お前が学生さんに迷惑掛けてるんじゃないかって心配したんだよ』  小突くような口調で返されると楓さんは申し訳なさそうに「今度何かおいしいもの持ってくるね」と言ってくれたので俺は棚ボタ展開に内心大いに感謝した。  それからは三人で少し話して過ごした。楓さんと鈴木さんは学生時代からの付き合いのようで当時バイトしていたバーの先輩と後輩なのだという。鈴木さんが年上のせいか楓さんの世話を焼いているように感じるが、恐らく鈴木さんは楓さんのことが可愛いのだろうというのが伝わって来た。 『ところで君たちどれだけ飲んだの? 学生相手に彼がこんな風になるなんてあまり考えられないんだけど』 「最初にビールを一杯と、その後は日本酒を飲んで今はうちにあった焼酎を飲んでますね」 『日本酒飲んで焼酎飲んでるの?』 「だよね、僕もまずいと思ったんだ」 「え?」  鈴木さんはぎょっとして楓さんはその反応を見て他人事のように笑っている。 『それで光くんはけろっとしてるの? 意外と酒豪なんだね』 「いえ、日本酒は楓さんのを分けてもらっただけで焼酎だってそんなに……」 『可愛い顔して悪い男だな』  特別酒に強くないと言った楓さんに俺は無理に飲ませてしまっていたことにようやく気が付いた。しかも良くないと聞くチャンポンをさせてこんなに酔わせてしまったのだ。一方の俺は楓さんにドキドキして酒は進まないし酔えないしで平気な顔をしているのだから鈴木さんにそうからかわれても仕方ない。だけど決して楓さんを酔わせようとしたわけではない、それだけは弁明したくて俺は意中の人と向き合った。 「悪い男じゃないよね?」  それはキュン、では済まない衝撃だった。性別だとか身分だとか関係性だとか、そんな葛藤をすべて吹き飛ばすほどの破壊力。恋に落ちるなという方が無理な話だ。  俺が絶句している間も楓さんと鈴木さんはやりとりを続けている。すぐそばで聴こえるその会話が頭に入ってこないくらいに俺の心はいっぱいだった。 『光くん、この人零時過ぎると寝ちゃうから早めに帰ってもらいなよ』  名前を呼ばれてはっとした。気付けば二十二時を三十分過ぎている。同時に楓さんも時計を確認しテーブルの上をそれとなく片付け始めた。視線をスマホの画面に戻すと鈴木さんの目が笑っていないことに気が付き背筋が寒くなった。が、それはほんの一瞬だけのことですぐにまた微笑んでくれた。それでも整った顔の冷たい視線の破片は頭の片隅に刺さったままでいる。俺は釘を刺されたのだ。 「電話付き合ってくれてありがとう。十一月またスケジュールわかったら連絡してね」 『せっかくだから通話しながら帰ろうよ』 「タクシーで帰るから切るよ」 『あー来月そっち行こうかな、そしたら飲もうよ光くんも』  そうして鈴木さんはこれでもかと俺に牽制を施し楓さんとの通話を終えた。楓さんは空いたグラスをシンクに運びそのまま洗い始めたが、俺は少しでもそばにいたくてそれを止められずにいた。  鈴木さんは本当にただの友達なのだろうか。楓さんは彼女はいないと言ったが果たして彼氏はどうなのだろう。恋人がいなかったとしても、同性同士で酒を飲むことをこんなに警戒される友人とはどんな存在だろうか。お互い未成年でもあるまいし、何かあったとしてただの友人がそこまで口を挟むのは不自然だ。 「長居しちゃってごめんね。日向夏もお酒もごちそうさま。今日は見栄を張って飲み過ぎて、格好悪かったな」  楓さんから受け取ったグラスの水滴を拭きながら今日の別れの挨拶を聞かされる。 「……そんなことない。俺の方こそ知らずにたくさん飲んでもらってごめんなさい」 「今度何かおいしいもの持って行くね」  徐々に楓さんの酔いが醒めているのは感じていた。それでも変わらない優しい口調はまるで頭を撫でてもらっているような錯覚を起こす。  俺を心地よくさせながら楓さんはそのまま玄関へ進む。 「……楓さんが鈴木さんに俺のこと悪い男じゃないって言ってくれたの嬉しかった」  スニーカーを履く後姿に向かって伝えたかった言葉を注いだ。楓さんは振り向いて向き合ったくれた。 「事実だからね。藤也のあれだってもちろん冗談だから気にしないで」  俺にとっては冗談だが今思えばあれは本当に冗談としての発言だったのかはわからない。脳裏に過ぎるあの視線が焦燥感を煽る。 「しー君って何?」 「ああ、たまにああやって子供みたいな呼び方をしてからかうんだ」 「本当はなんて呼ばれてるの?」  俺はまだ楓さんのフルネームを知らない。 「シヅキだよ。友達でも下の名前呼ぶのはあいつと幼馴染だけだなあ」  初めて知った楓さんの名前は楓さんによく似合う清廉とした響きだが俺にはその漢字も思い付かない。それよりも今になって鈴木さんと「あいつ」「そいつ」と呼び合う距離感に悔しさが込み上がる。 「じゃあ今日はありがとう」  そう言って楓さんはドアの方へ身体を向けた。それがどうしようもなく寂しくて、悲しくて、諦められない気持ちが溢れてしまった。衝動に任せて楓さんの後ろからドアノブを掴んだ。 「好きって言ったら、悪い男だって思う……?」 「え?」  俺の腕の中で楓さんはこちらを振り向く。吐息が掛かりそうな程近くにある顔は当然驚きに満ちている。 「光くんもしかして結構酔ってる?」  楓さんは顔を背けることも、身を引くこともしない。 「……酔ってる」  少しだけ踵を浮かせて、ゆっくりと唇を寄せた。  唇が触れても楓さんは逃げなかった。

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