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第2話

山葉のおじさんの家は、電車を乗り継ぎ、一面の海を見渡しながらバスを乗り継ぎ、少し山道を入ったところに建っていた。決してそこに来たことがあるわけでもないのに、日本人特有の感覚なのだろうか。その佇まいは、どこか懐かしさを漂わせる平屋。 「ごめんなさいね~。もうお父さんったら。今朝ギックリ腰しちゃってね~。困っちゃったわよ。私もお客さん相手あるしで、結局車出してあげられなくて……あら、やだ。男の子五人って聞いてたけど、女の子いたのね~」  パタパタと走りながらやってくるおばさんの視線がオレに向けられ、徐々に皆の視線が集まってくる。 「あ、いえ、オレは……」 「おばちゃん。こう見えて良樹、男だから」 「あらま。あらま~。ごめんなさいね。おばさん勘違いしちゃったのね」 「いえ……」  仕事柄なのか、元々の性格がそうなのか、山葉のおばさんはよく話す。 「今、離れはお客さん取ってないから、みんなはこっちで寝泊まりしながら、お手伝いお願いね」  口々に返事をするオレ達を引き連れ、おばさんが引き戸を開ける。そこは十畳ほどの和室に床の間。そして大きくかれたふすまの先には庭と縁側。その窓から大きな風が吹き込み、真っ赤な風鈴が揺れる。  チリーン……――。チリーン……――。  その音を聞いた瞬間。ぞくりと背筋が震え。オレはここに来たことある。そんな気がした。 「おお。風流~」  本田が短冊を指で突き、チリン、チリンと鳴らしては侘びだの寂びだの最もらしい事を言っているが、その風鈴は、涼やかな水色で波が描かれているものだった。 「あの、ここに豊田議員は来たことありますか?」 「豊田議員?さあ、どうだったかしら?少なくとも私が継いでからはいらしてないわねぇ」 「そう、ですか……」  じゃあ、なんでこの景色をオレは知っているんだろう。 「さて。今日は疲れただろうから、明日からの打ち合わせをしたらお夕飯にしましょう。お風呂は母屋の使って頂戴ね。うちは露天風呂が売りなのよ。源泉かけ流しでね。ここも部屋数減らしてね、各お部屋に露天風呂付けようと思ってるのよ~。改修工事が終わったら、ぜひ彼女と一緒に遊びに来て頂戴ね。特別にお勉強しちゃうわよ」  含み笑いをしたおばさんは、自分に付いて来るように促し部屋を出る。その時、また風鈴の音がして、振り返るとそこには、水色の風鈴がそよいでいた。  離れは、小さく仕切られた部屋が十左右に並んでおり、その殆どが荷物置き場と化していた。 「元々はね。私たち達家族と従業員が使ってたのよ。でもね。今は数年前に近くにマンション建てて、そっちで暮らしてるの。前々から、私の夢があってね。ここの離れで結ばれたカップルが子供を連れて戻ってきた時に、いらしゃいませ、じゃなくておかえりなさいって言いたい夢があるのよ~。そう言う人たちを沢山お迎えしたいの。はぁ~やっと、資金繰りが上手くいって来年から着工できそうなのよ~。楽しみだわ~って、あら、やだ。ごめんなさいね」  とても、素敵な夢だと思う。俺はそんな夢を思い描いたことがない。少し先の未来。遠い先の未来。オレはどこで誰と何をしているんだろう。その時、穂積はどこにいるんだろう。 「で、ここと蔵の物を捨てたり、運んでもらったりするわけなんだけど。その線引きをお父さんにしてもらおうと思ったのに、動けないのよね~。困ったもんだわ……」  頬に手を当ててため息を吐くおばさんと、頭を捻る穂積達。 「おば、女将さん。パソコンは有りますよね?」 「え、ええ……」 「なら、大丈夫です」  オレ以外を離れに残し、オレはおばさんと一緒に母屋に戻る。個人用のパソコンを借りて、適当なクラウドサービスを選び、全員にアドレスとパスを送る。 「この中にオレ達が撮った写真を保存しますので、それをこっちのフォルダに入れてください。オレ達はこのフォルダを頼りに動きますので」 「なんか凄いね。現代っ子って感じだね。息子もこの間、古い写真を整理してくれてね。ほら、紙だと色褪せちゃうでしょ?一枚一枚スキャン?して保存してくれてね。これなら色褪せないし、見たい時にすぐ見られるでしょって。凄いよね。最近は」 「そうですね。じゃ、その写真使ってどうなるのか試して見ましょう」 「そうね。そうね。そしたら、ここにその写真あるから……」  夫婦揃って話し好きなんだろう。うちでは考えられない光景だ。 「これでいいかな?」  蔵(必要)と書かれたフォルダに数枚の写真が保存されている。 「はい。ではオレのスマホを通してこのフォルダを見ます。そうするとこんな風に……」  パソコンと同じように表示された写真。その一枚をタップすると、そこには笑顔で映るセピア色の夫婦。その女性は乳飲み子を抱えている。おばさんが言っていた夢はこういう事なのだろう。それが代変わりしてもずっと続く。それがおばさんの夢。 「おお!凄いね。凄いね。写真も持ち運べちゃう時代だね」 「そうですね」  こんな些細なことで喜んでくれるなんて、おばさんの夢といいこの旅館は本当に素敵なところなんだろうな。  オレは念のためにグループ通話も出来る様にして、離れに戻る。穂積達が大騒ぎしながら、荷物の山を解体し写真を撮っていた。手元のスマホには写真がどんどんとアップされていく。その中にあの写真はまだある。どうしてこんなにも気になるんだろう。あの女性がどこか母親に似ているからだろうか。 「良樹……」 「なに?」  振り返るとそこには誰もいない。ただ、遅れて部屋から穂積が出てくる。凄く気まずい。他の誰かがいればその人を介して会話できるけど、穂積だけだと何を言っていいか分からない。 「……鍵。受け取ったから……」  昨日、帰って来たんだ。なら、帰らなければ良かった。 「どこに、いたの?」 「バイト先の人の家」 「それって……」  性別を聞いてどうするんだろう。関係を聞いてオレはどうするつもりなんだろう。  部屋から微かに風鈴の音が聞こえる。彼女だと言われたら?オレは……。  チリーン……――。チリーン……――。  オレはきっと、発狂する。 「……なぁ。良樹。俺達、おわ……」  終わらせたりなんかしない。場所なんて関係ない。人目なんてどうでもいい。穂積を貪り尽くして、犯し続けて、穂積をオレだけのものにしたい。  チリーン……――。チリーン……――。チリーン……――。チリ……。  ブブッと手の中でスマホが振動する。それは穂積も同じで、スマホを見るとそこにはおじさんがクループ通話を開始した通知が流れていた。穂積はすでにスマホを耳に当て会話を始め、どこからともなく山葉たちの声も聞こえてくる。 「ま~。ま~。みんなの声が聞こえてるわ。凄いわね~。便利ね~。あ、お夕飯の支度そろそろ出来るから、お風呂入って食堂に来て頂戴ね~」  ただ純粋に好奇心で使ってみたかったのだろう。それだけを事務的に伝えると通話は終了し、既に廊下には全員が揃っていた。

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