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第7話 この前は

「いらっしゃいませ」 上品なベルの音がして長身の男が入って来た。声をかけると彼はまっすぐにこちらを見た。 「この前はありがとうございました」  いつもメニューを言ってさっさと席に座るのに、彼はこっちをみて愛想といえど微笑みかけてくれた。それだけで胸に花が咲く。 「いえ、やんでよかったですね。あっ、好きな席に」 そんな日なのに今日は他に数組の客がいて手が上がる。 「えぇ、Cランチで」 彼も俺を邪魔しないためにさっさとメニューだけ言って、いつもの席に行こうとしたけど、そこには客がいた。  どこに座るのだろう。カウンター、カウンターにお願いします。と心の中で願いながら食べ終わった一組をレジのほうに誘導する。こんなことなら、まだお客さんいるから残りましょうか? と言ってくれたバイトに残ってもらえればよかった。  レジを打ってると、しばし店の中を眺めた彼はカウンターに座った。心の中でガッツポーズし、レジを打ち間違えそうになったけど、無事にお会計を終えた。  厨房に戻ると、彼のランチに、主婦の女子会のデザートの追加注文に、人待ちなのか席でのんびりしている女性のお代わりコーヒーなんかでばたばたしてしまい、せっかくすぐ前に座る彼のことをあまり見ることができない。彼に食事を出して彼が食べ始めてからも、重なる会計にあと片付けと、ぜんぜん厨房にもどれず食べてる彼の背中ばかりみることになった。  やっと厨房に戻ってきたときには彼はほとんど食べ終えていた。うちは女性向けで全体的に量は多くないので男性ならすぐ食べ終わる。 「おかわりいかがですか?」  勇気をふりしぼって声をかけてみた。 「大丈夫です」  愛想よく断られる。いつもおかわりなんてしないのでそんなことわかってる。 「お米はおかわり無料なんで気軽に行ってくださいね。男の人には量、少ないでしょ」  それでも、重ねて言ってみた。お代わりの話は前々から言いたかったことだし、店員としておかしくない会話のはずだ。 「大丈夫です。いま、恥ずかしいんですけど無職なんですよ。働いてないから、これぐらいがちょうどいいというか」 「そうなんですね」  改めて彼を見る。四十歳ぐらい。ブランド物などは身に着けてないけど安そうな感じでもない服装で、いつも身ぎれいだ。貧している様子はない。というか、うちは特別高いわけじゃないけど無職でランチにきて数か月というのは、逆に優雅すぎる気もする。 「今は退職金があって少し休んでいるんです。もう少ししたら働こうとは思ってるんですけど」 「すみません、そんなこと話させてしまって」  見すぎていただろうかと焦る。これは無職が物珍しくてというのは1割ぐらいで、9割は下心でと心の中で釈明するけど、どっちにしても言えない。 「いえ、いい年の男が平日にやたらランチに来るから不審に思ってるんじゃないかと思っていたので、話せて逆にすっきりしました。どっちにしても不審ですけど」 彼は眉尻を細めて笑う。はっきりした顔立ちで冷たそうなのに、しゃべり方はいつも丁寧でやわらかい。

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