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第8話 いい知り合い

「休憩中なんですね」 「そうかもしれないですね」 「僕もここで働く前は定職についてなかったんですよ」 「そうなんですか」 「ここで働くまで、ほとんどまじめに働いてなかったんです。ほぼ遊んでました。だから、休憩いいと思います」  この前までこんな雑談なんて夢のまた夢だったのに、雨さまさまだ。 「そういってもらえると心強いです」 彼はにこにこと、ちゃんと表情をつけて相槌をしてくれる。俺の方が絶対年下だけど整った言葉選びで、それに心の壁を感じるけど、根がいい人なんだと感じる。 「それでいろいろ食べに出たりしてるんですか? この店は通りがかりとか?」  まえまえから不思議だった。外観内装はどちらもおしゃれで、男性単身には敷居が高いと思う。昼はさらにメニューが女性向けだ。ヴィーガンだからかなと思っていたけど、本人いわく、そうじゃないらしいし。長い休みで食べ歩くならたまには毛色のちがった店にとなったのだろうか。 「いえ、知り合いが教えてくれたんです。外に出た方がいいって心配されて、ここおいしいからって」  男は会社がなくなると孤独になったりするものだが、店を教えてくれる知り合いはいるらしい。本来はこの人の健康を気遣ってくれていることにも、この店を紹介してくれたことにもその知り合いに感謝すべきなんだけどひっかかる。 「いい知り合いですね」 「ええ、本当に」  彼が微笑んだ。よく微笑むのはこの前と今日で分かった。だけど、今の微笑みはなにか違う。 「大切なひとなんですか?」 「そうですね、とても」  俺を見てしっかりと返事した。完璧な肯定だった。知り合いということは彼女やお嫁さんじゃないのかもしれない。でもこの店をおいしいと紹介したならたぶん女だろう。そして、その人のことが彼はとても大切なんだとわかった。わかっていたことだ、いい年のかっこいい男に女がいないなんてありえない。だから話さない方がよかった。見ているだけで、知らない方が楽しめた。 「ここで食べるまで、肉や魚を使わなくてもこんなにおいしい料理があるとは知りませんでした」  それでも、ここで突き放すわけにもいかないし、こちらも愛想よく返すしかない。だって、ただのお店の料理人だ。 「旬だと生野菜かじるだけでもうまいですけどね。でも、調理は大切です。技術次第でたくさんの味とおいしさを作れますから」 「そうだね、俺にはとても作れない」 「あと、心も」 「心? やっぱり心をこめるのがいいとか?」 「いえ、作る側じゃなくて、食べる側です。おいしいと思いたいって心です。食べたいって思わないと何もおいしくなかったりしますから。ほら、ラーメンも並ぶとおいしいって言うでしょう? 大好きな人の料理はひときわおいしかったり」 「それはそうかもしれませんね」 「だから、いただきますって手を合わせるときは、いまからおいしいもの食べるぞって思うといいですよ。おいしいもの食べると、また今日も生きよって思いますから」  どうでもいいことを、しかも寒めなことが口から滑る。でも本心だ。たった今、失恋がここに転がって、そんなのわかっていたことで、そんなに仲良かったわけでもないのに心が痛む。それでも、お腹はすく。どうせ食べることぐらいしかいいことなんてないんだから、せめて食べることだけは幸せでありたい。おいしく食べたい。

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