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第40話 手放したくない
直哉さんは一口コーヒーを飲む。
「嫁が亡くなって、慌わただしい中で、食べ物の味がしなくなったんだ。ブラックのコーヒーだけなんとなく味がわかるから、そのころからよく飲むようになった。それが今は君の作る料理はどれもとてもおいしい。初めは野菜だけなのに普通の献立にびっくりして、見た目もきれいで、無理なく食べられるぐらいだったけど、食べてるうちにどんどんおいしくなって、今は本当にとても、おいしい。知花君のおかげだ。ありがとう」
直哉さんは本当にありがとうと心から言ってくれている。そんなの直哉さんにとって立地が良い場所にうちがあっただけだ。時間も解決を手伝ったに違いない。俺は志高く料理を作っているわけでもない。
「たまたまです。たまたまそういう食事をつくってただけだから」
自分を襲った奴に感謝するようなお人よし。俺には手に入らないに決まっている。まんがいち上手くいっても苦悩して生きてきた直哉さんの次の相手が俺なんてそんなのかわいそうだ。
「そんなことない。知花君が肉を食べても食べなくても、おいしいと思える食事の方がいいと教えてくれた。それで俺は食べて生きている。……少し前に息子の料理を一緒に食べたんだ」
「息子さん料理するんですか?」
「うん昔からしてる。でも俺が肉と魚が苦手なことを悟られたくなくて、ちょうど反抗期なのもあったし、あまり一緒に食べてなくて。そしたら、息子が作らなくなって。この前やっと息子に肉と魚が苦手だと話をすることが出来た。そしたら息子が動物性由来不使用の料理をつくってくれて、おいしく食べられた。話せたのはヴィーガン食も立派な食事だと知花君のおかげで思えたからだ。ありがとう」
丹念にねられたありがとうの言葉は俺のこころにいい意味でも悪い意味でもずしっと来る。
「そんな」
好きな人からの感謝の言葉はあまりにもうれしいのに、でも俺がいま受け取るには重くておこがましくい。
「やっぱり寒いね」
冬の夕方はすぐに日が暮れてしまう。目の前の子供達は元気いっぱいだけど、遠くの空は赤く染まっていく。
「まだ少し、忙しいんだ。片付いたら、店に行っても?」
好かれているのはわかった。きっと彼にかかった呪いをさまざまな運が作用して俺が解いたのだ。だから水に流す、許すから安心しろと、そういうことだろう。それは俺が望んだものではない。それでも来てくれるならいい。本来なら終わってた。
直哉さんへの好きが悲しいほどなくならない。つらく苦しくても、こんなに優しくて紳士な人をまだ手放したくない。
「また来てくだざい。次も絶対おいしいから」
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