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離れ離れの夜に③

「どうか、平和な夜になりますように……!!」  夕飯のカップラーメンにお湯を注いで三分待つ間、俺は神頼みに余念が無い。  今日は俺が当直の日なのだが、新米医師にとって、当直というものはプレッシャーとストレスでしかない。ただでさえ未熟なのに、夜間に救急外来を訪れるありとあらゆる症状を抱えた子供達を、一人でさばかなければならないのだ。  ちょっとお腹が痛いとか、指を切ったとかなら何とかなるけど、明らかに重症な患者さんが来てしまったときには、パニックになりそうになる。  今の俺にできることは、とにかく平和に朝を迎えられるよう祈るだけ。 「いただきます」  いつ、緊急の連絡がきてもいいよう急いでラーメンを食べてしまおうとしたとき、無情にも呼び出しのDr callが、静かな室内に響き渡った。 「あー、来たか……」  俺は盛大に溜息をつきながら、カップラーメンの蓋を閉じた。 「これは、マズイ……」  たった今救急車で運ばれてきたのは、まだ二歳になったばかり男の子。全身がチアノーゼと言われる紫色に変色し、呼びかけても全く反応がない。 「窒息……いや、心不全……もしかして全然違うことが原因か……」  背中を冷たい汗が流れて行く。呼吸が浅くなり、目眩がした。立っているのもやっとで、発狂したくなる衝動を何とか堪える。  駄目だ、俺一人で手に負える状態じゃない。でも、それでも自分は医師だ。迷ってる暇なんかない、何とかしなければこの子は死んでしまうかもしれない……。  助けなきゃ……!  俺は拳を握り締めた。  咄嗟に脳裏を横切る、意地の悪い笑顔。  あの人なら、成宮先生ならこんな場合どうするだろうか。成宮先生なら……。  俺は震える指先で、PHSのボタンを押す。その番号は、もうかけ慣れた番号だ。  プルルル……。  その呼び出し音が長く長く感じられた。  成宮先生、お願い……出てください。お願いだから……! 「もしもし?」  PHSの向こう側から聞こえてくる、ぶっきらぼうな声。やっぱり看護師さん達と話してる時の声とは全然違う。それでも、俺からしてみたら誰よりも頼れる声なのだ。 「成宮先生……」 「ん? どうしたよ?」  あまりの俺の慌てぶりに、成宮先生も困惑しているのがわかる。でも、成宮先生の声、メチャクチャ安心する。 「今、救急搬送されてきた二歳の男の子なんですが、全身チアノーゼで意識レベルはⅢ-300。目立った外傷はありません。でも呼吸がいやに浅くて、脈は微弱です。それから、それから……」  目の前にいる男の子の症状を、ノンブレスで報告した。 「わかった。わかったから、まず落ち着け。俺がついてるから」 「え……」  その言葉に、心臓がトクンと甘く跳ねる。それと同時に「あ、大丈夫なんだ。何とかなる」と全身の力が抜けて行くのを感じた。 「血圧とサチュレーションは?」 「血圧は78/40。サチュレーションは86%です」 「そうか……。いいか、葵。今から俺が指示する通りに動け。大丈夫だ、慌てるなよ。わかったか?」 「はい」 「よし、いい子だ。じゃあ、まず……」  俺は成宮先生からの指示を必死にメモをする。ペンを持つ手がカタカタと震えた。  その瞬間、男の子に装着されている心電図モニターのアラーム音が鳴り響く。 「先生……血圧と心拍数がどんどん下がってます」 「大丈夫だ。とにかく点滴をフルオープンで落とせ」 「死んじゃう。死んじゃうかもしれない……どうしよう……」  俺は、パニック状態だった。せっかく成宮先生が色々指示を出してくれたのに、果たして自分はそれができるだろうか。俺に、この男の子を救えるだろうか。 「先生……成宮先生……」  全身がガタガタ震え、呼吸がどんどん浅くなる。全身の体温がスッと引いていくのを感じた。それと同時に、その場から逃げ出したいと思う自分もいる。怖くて仕方ない。結局、俺は出来損ないの医師なんだ。  俯いて唇を噛み締める。もう、声を出して泣きたかった。 「葵……」  そんな俺の鼓膜に、優しくて低い成宮先生の声が響く。俺が大好きな成宮先生の声だった。 「大丈夫だよ、葵。葵ならできる」 「先生……」 「行け、葵。俺がついてる」 「…………」 「頑張ってこい」  その声に、背中を押された気がした。大丈夫だ、自分には、こんなに優しい恋人がついているんだから。 「はい。やってみます」 「よし、いい子だ」  電話を切った俺は、深く深呼吸してから、不安そうに自分を眺めていた看護師さん達と向き合った。 「点滴を開始します。24|G《ゲージ》のサーフロー針ください。それから、至急でCTを撮影するので連絡入れてください。酸素もマスクで三ℓから開始しましょう」 「はい!」  一斉に看護師さん達が散って行く。その姿に、俺は心強さを感じた。それから、自分で目の前で苦しそうな呼吸を繰り返す男の子に、俺はそっと声をかける。 「大丈夫だよ、俺が……ううん。俺と成宮先生が、絶対に君を助けてあげるから」  それから「よしっ!」と気合いを入れて邪魔な白衣を脱ぎ捨てた。  

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