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腐れ縁でも愛しい人②
「だーかーらー、疲れてるなら、寝室でゆっくり休んでくればいいじゃないですか?」
そう言いながら、まるで駄々っ子のような成宮先生を、自分の体から引き離そうと腕に力を籠めれば……逆にムキになってギュッとしがみ付いてくる。
「離してください!」
「嫌だ」
「なんで!?」
「疲れてるけど、ここにいる」
「だから何でですか?」
「だって……葵と一緒にいてぇもん」
拗ねた子供みたいに下唇を尖らせながら俯く仕草は、ふてぶてしいけど可愛らしいから悔しいのだ。怒ってしまった自分が、逆に嫌な奴にさえ思えてくる。
『はいはい、わかりました。一緒にいましょうね?ごめんなさい』
『わかればいいんだよ』
って甘やかしてしまうのが、いつものパターンだ。
こんなの良くないなんて分かりきっているんだけど、長年染み付いてきたこの習慣は、なかなか変わるものではない。
「わかりましたよ。ごめんなさい、千歳さん。一緒にいましょうね?」
「うっせぇよ」
「はぁ?」
せっかくご機嫌を取ってあげたのに、不貞腐れた表情は一向に治らないどころか、更に不満そうに俺を見つめてくる。
(えぇ……めんどくさい……)
それでも成宮先生の頭を撫でてやれば、俺の手首を真面目な顔をして掴んでくる。
何かを言いたそうなのに、その形のいい唇が言葉を紡ぐことはなかった。
(今度は何だよ……)
俺は恐る恐る成宮先生の顔を覗き込んでみる。
「千歳さん……」
俺が口を開いた瞬間、ピリリリリ……成宮先生の職場のスマホが着信を知らせた。
「あぁ?」
一瞬、成宮先生の顔が般若のような形相になったから、俺の背筋をゾクゾクっと寒気が走り抜けた。
(成宮千歳様が怒ってらっしゃる。休日に電話をかけてこられたことに……)
俺が、恐る恐るテーブルに置かれていた成宮先生のスマホを差し出すと、
「なんなんだよ、こんな休日に電話をしてきやがる奴は……俺は呼び出されても、絶対に出勤しないからな」
まるで、地獄からの使者のように低い声で呟いた後、俺の手からスマホを奪い去る。そして、スマホが壊れるのでないか……という位の力で、通話ボタンをタップした。
「はい、成宮です。あ、全然大丈夫ですよ。どうされましたか?」
「……え?……」
あまりの変わり身に速さに、俺はポカーンと口を開いてしまった。『開いた口が塞がらない』とは、まさにこういうことを言うのだろう。
スマホを通して、慌てる看護師さんの声が聞こえてくる。恐らく、成宮先生の受け持ち患者さんの容態が急変したんだろう。
成宮先生は看護師さんの話を丁寧に聞いてから、実に的確な指示を出し始めた。
「そうですか。では、酸素を5ℓに上げてサチュレーションを90%に保つようにしてください。それから点滴は……」
突然、部屋の中に広がった雲一つないブルースカイに、仄かに香るミントの香り……俺は、思わず辺りをキョロキョロと見渡してしまった。
ここは、南アルプスか……はたまた、忘れ去られた楽園か……。
恐るべし……成宮千歳……。
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