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野良猫みたいな恋⑪

 でも、この人がどう出るかなんて想像もつかない。「馬鹿」って、軽く叩かれて怒られるかもしれない。呆れられて無視されるかもしれない。  だって、今この部屋の近くにはナースステーションがあって、たくさんのスタッフがいる。もちろん橘先生もいるだろう。  先程から、橘先生が楽しそうに看護師さんと話す声が聞こえてきた。  こんなくだらないワガママ、叶うはずなんかない。わかりきってるけど、なんとなく言いたかった。とにかくワガママを言いたかったんだ。そうやって自分の存在を主張したかったから。 「今、ここでか?」  成宮先生の切れ長の目が見開かれた。 「はい、今ここで……」  そんな戸惑いの視線を真正面から受け止めた。 「駄目ですか?」  更に追い打ちをかけてみる。 「成宮先生、お願いですから……」  みんながいたって構わない。俺は成宮先生に抱き着いた。  その瞬間、成宮先生の体が強張る。 「何があったんだ?お前、この前からおかしいぞ?」 「何もないです。ただ成宮先生にキスして欲しいだけ」 「みんながいるんだけど……?」  困ったように成宮先生が笑う。  遠くから、成宮先生の名前を呼ぶ看護師さんの声が聞こえてくる。もしかしたら、PHSで呼び出されるかもしれない。 「嫌ならいいです」  俺がイジケた様子で成宮先生から離れれば、グッと体を引き寄せられた。 「嫌じゃないよ。ちょっとびっくりしただけ」  耳元で成宮先生の声が聞こえた後、唇と唇がフワリと重なった。 「エロい子は大好きだ」  力一杯引き寄せられたから、想像以上に唇が深く重なってしまい……自分でねだっといてなんだけど、度肝を抜かれてしまった。 「……ん、んん……ッ……」  クチュクチュと舌を絡める音が嫌にはっきり聞こえて、息もできないくらい濃厚な口付けに翻弄される。  パタパタと廊下を走る看護師さんの足音に、異常に興奮してしまう自分がいた。  ここ、ナースステーションの隣の部屋だったんだ……。  ヤバイ、見つかっちゃうかも……。 「もっとするか?」  チュッと唇に吸い付いて名残惜しそうに離れていった成宮先生が、ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んだから、 「もう、大丈夫です……」  俺は恥ずかしくなって俯いてしまった。自分から言っておいてなんだけど、もう恥ずかしくて顔なんか上げられない。  近くにあった検査結果を忙しくかき集め、処置室を後にする。  自分の軽率さ加減に心底ガッカリした。 「おっと……」 「す、すみません」  部屋を出る瞬間、偶然処置室に入ってこようとした橘先生とすれ違う。あまりにも勢いよく飛び出してきた俺に、心底驚いている顔だった。 「何やってんだよ……」  廊下まで走って、俺は顔を覆ってその場にうずくまる。腰が抜けてしまったのように、体がカタカタと震えた。 「馬鹿過ぎるだろう」  成宮先生が追いかけて来なかったことに、ひどく安堵した。

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