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バニラの香りに包まれて③
「よぉ、久しぶりじゃん」
いつもみたいに屈託なく笑いながら、成宮先生が室内に入ってくる。
『久しぶりじゃん』
ほぼ毎日職場では顔を合わせている俺に向かって、成宮先生が言った言葉に、少なからず俺は罪悪感を感じてしまう。
俺が避けてるの、やっぱり気付いてんだ。
どこまでも阿保な自分が、情けなくなる。
もう、早く文句を言うだけ言って終わりにしてほしい。そしたら俺は、あなたの気が済むまで「ごめんなさい」って謝るから。
お願いだから、1秒でも俺の前から立ち去って?
俺、あなたといるのがしんどいんだ。
これ以上、橘先生に嫉妬して拗ねて……こんな惨めな姿をあなたに見られたくないから。
そんな俺の葛藤など露知らず、
「おでん買ってきた。一緒に食おう? 葵の好きな卵とちくわぶもあるよ」
と、俺に気を遣うことなどなく、どんどん部屋に上がり込んでくる。
会いたくないけど、やっぱり凄く会いたかった。シーソーみたいに揺れ動く思いを、俺は持て余してしまっている。
結局は、仲良くおでんを平らげてしまった。
体がポカポカと温かいなぁ。
「よし、腹も一杯になったし。ほら、こっちに来い」
「え? あ、あの!」
突然成宮先生に強く腕を引かれ、俺はバランスを崩してソファーに倒れ込んだ。
「千歳さん、ねぇ、千歳さん!」
思い切り腕を振り払おうとしたけど、俺より力のある成宮先生に俺が勝てるはずなどなかった。
「待って、い、意味わからない……」
「いいから、おいで」
「え?」
「俺が膝枕してやろうって言ってんだ。大人しくされろよ」
「………」
「お前、また橘にヤキモチ妬いてんだろう? だから、特別に膝枕してやるよ」
愛しそうな顔をしながら顔を覗き込まれたから、泣きたくなった。
フワリと体に温かな存在を感じたと思った瞬間、俺は何かに包み込まれた。その温もりの正体が、成宮先生だって気付くまでに、やっぱり鈍感な俺は時間がかかってしまう。
「悪いな、女の子みたいに柔らかい膝じゃなくて。でもお前の気がすむまでこうしててやるから……ありがたくゆっくりしろ?」
そう言いながら、少し窮屈そうな大勢で俺をギュッと抱き締めてくれる。
「ごめんな、あの時は眠すぎて、橘に膝枕されてるのなんてわからなかったんだ」
成宮先生は恋愛経験が豊富だから、膝枕なんて慣れっこなのかもしれない。でも俺は、こんなシチュエーションは本当に久しぶり過ぎて、心臓がバクバクと拍動を打つ。
こんなんじゃ、ゆっくりできるはずなんかない。
逆に酸欠で死んでしまいそうになる。
「目が覚めて腹が空いてたら、夜食作ってやるから」
「え? 何を作ってくれるんですか?」
「そうだなぁ。雑炊かなぁ」
「本当ですか?」
「うん。だから、ゆっくり休みな」
母親が子供を寝かしつけるみたいに、ポンポンと優しく体を叩いてくれる。それが凄く心地いい。
「葵、おやすみ」
優しく髪を撫でられれば、成宮先生の子供みたいな体温が段々心地好くなってきて……意識が少しずつ遠退いていく。
ごめんなさい、成宮先生。
あなたは純粋に俺を大切にしてくれているだけなのに、俺はやましい思いを拭い去ることができない。
今だって、切ないのに、こんなにも嬉しくて幸せなんだ。
それなに嫉妬なんて、本当に情けない……。
「ありがとうございます。千歳さん」
遠慮がちに手を握れば、
「いいよ、手、繋ごう」
指を絡ませてギュッと握り返してくれる。俺が眠りにつくまで頭を撫でていてくれた。
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