152 / 184
バニラの香りに包まれて⑤
「葵」
「ん……ッ?」
耳元で優しく名前を呼ばれたから、思わず体を捩らせる。やめてよ、くすぐったい。
「Trick or Treat。お菓子くれなきゃ、悪戯しちゃうよ?」
クスクス笑う成宮先生の声が聞こえてくる。
「ほら、悪戯しちゃうよ?」
寝ぼけ眼で声がする方を見れば、そこには泣きそうな顔で俺を覗き込む成宮先生がいた。
何で、いつもそんなに泣きそうな顔で俺を見るの?
嫌だよ。
俺まで泣きたくなる。
そっと成宮先生の頬を撫でてやれば、すりすりと頬擦りしてきた。
あぁ、可愛い。
ジャックオランタンが、ケタケタ不気味な声で笑っている。向こうには、不気味に笑う魔女までいるじゃん。
成宮先生、ハッピーハロウィン。
「千歳さんには、お菓子あげません」
「え? なんでだよ?」
成宮先生がびっくりしたように目を見開いてから、不貞腐れたように下唇を尖らせる。それが子供みたいで、思わず笑ってしまった。
「だから……お願いです」
成宮先生の首に両腕を回して、その体を抱き寄せた。
体勢を崩して、自分のほうに倒れこんできた体をギュッと抱き締める。
「だからお願い……悪戯して……」
「葵……」
「千歳さんに、絶対お菓子なんかあげないもん。だから……」
「悪戯していいの?」
部屋の中は、むせ返る程の甘たるいバニラの香りが充満していて、心や体……脳ミソまでも蕩けてしまいそうだ。
目の前の成宮先がまるで美味しいお菓子を頬張った時のように、幸せそうに笑う。
よかった……笑ってくれて。
「なぁ、キス、していいか?」
「はい」
恥ずかしくて目をギュッと閉じながら、コクコクと何回も頷けば、「可愛い」って成宮先生が髪を撫でてくれる。
それが気持ち良くて、ギュッと閉じた目から涙が滲んだ。
チュッと、まるでバニラの甘い香りみたいに唇が重なる。
その瞬間、心臓が甘くトクンと跳ねた。
唇を啄まれ、頬や首筋にも成宮先生の柔らかい唇が触れてくる。優しいキスのシャワーに、バニラアイスみたいに蕩けてしまった。
「ねぇ、このまま……キスのやり逃げとかしないでくださいね」
つい不安に襲われて、成宮先生にしがみつく。そんな不安な俺を、優しく受け止めてくれた。
「逃げるわけねぇじゃん。たださ、お前、それだけの覚悟あるの?」
俺の頬を両手で包み込んで、チュウッと強く唇を吸われる。
「今夜は抱き潰すからな……覚悟しろよ」
そのあまりにも自信に満ち溢れた顔が綺麗で……甘い吐息を吐きながらうっとりと見つめる。
指先から熱が伝わって、体中が火照って仕方ない。期待をしながらパチパチと瞬きをした。
ハロウィン当日、魔力は最大となり異世界へと続く扉が開くと言い伝えられている。
今俺の目の前で、確実に何か大きな扉が開いた気がした。
「葵、バニラのいい匂い」
「本当?」
「うん。早速食ってもいい?」
「え、あ、えっと……ちょっと待って……」
「嫌だね。お菓子くんねぇんだから、悪戯すんの」
甘い甘いバニラの香りに包まれて、身も心も、脳ミソまでも蕩けてしまおう。
【バニラの香りに包まれて END】
ともだちにシェアしよう!