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いい子いい子してほしい① ―Dоm/Subユニバース―

 人間は男と女の二つに大別されている。  しかし、男女だけではなく、更にダイナミクスと呼ばれる力関係からなる『Dom(ドム)(SMで言うところのS)』と『Sub(サブ)(SMで言うところのM)』という性別にも分類される。  DomはSubを本能的に『支配しコントロールしたい』という欲求を持ち、逆にSubはDomに『尽くしたい、お仕置きされたい』といった欲求を持っている。  勿論、どちらにも該当しない『Normal(ノーマル)』と呼ばれる人種がほとんどの割合を占める。  DomとSubは確固たる信頼関係で結ばれており、お互いがお互いの欲求を満たし合いながら愛情を深めていく。  DomはSubを擁護し慈しみ、SubはDomのそんな愛情に応えるかのように一心に尽くす。  この絶妙なバランスを保ちつつ、二人の中で決められたルールを守りながら、大切に大切に愛情を育んで行くのだ。  ──葵、いい子だね。  そう優しく囁きながら、自分の頭を撫でてくれる成宮先生が俺は大好きだ。  自分を宝物のように大切に大切にしてくれるDom。出会えたことは、運命としか思えなかった。  成宮が優しく体に触れるだけで、自然と体はSub space(サブスペース)へと堕ちて行く。まさに甘美の世界。  その空間は、温かくて、フワフワしていて本当に気持ちいい。成宮先生のほっそりとした指に頭を撫でられるのが、大好きだった。 「はぁぁぁぁ……」 「ふふっ。デッカイ溜息だなぁ」 「だってつまんないんだもん」    俺は智彰が一生懸命机に向かっている処置室に居座り、診察台の上でゴロゴロしていた。  まだ研修医である智彰は、ちょうど俺と成宮先生のいる小児科病棟で研修中である。今は、兄でもあり指導医でもある成宮先生が出したレポートをまとめている最中のようだ。  そんな智彰を見つけた俺は、邪魔をしたら申し訳ない……と思いながらも暇潰しに付き合ってもらうことにした。 「今日は早く仕事終わらせてデートしようって約束だったのに……急に運営会議だなんて酷過ぎる……」  診察台の上で駄々っ子のように手足をバタバタさせた。   楽しみにしていたデートがお預けになってしまったことが、悔しくて仕方ない。  明らかにつまらない……と言った顔で、頬っぺたを膨らませれば、「まるで子供だね」と智彰がクスクスと笑っている。 「しょうがないだろ?急に院長の出張が決まって、しばらく病院を離れるんだからさ」 「わかってる!わかってんの!たださ……」 「ん?」  普段聞き分けが良い俺がいつまでも拗ねていることに、智彰がびっくりしたような顔をする。  でもたまには、俺だっていじけたり拗ねたりしてみたいんだ。 「たださ、千歳さんにお前は『何もできないんだから、大人しく待ってろ』って言われてる気がしてならないんだ」 「そんなこと兄貴が思ってるわけないだろ?」 「わかってる。わかってるけどさぁ」  わかってるけど納得できない……。  成宮先生があんなに忙しい思いをしているのに、自分はそれを見ていることしかできないなんて。  ……それに、最近ずっと忙しかった成宮先生が、わざわざ時間を作ってデートに誘ってくれたんだ。俺は、それが嬉しくて、この日をずっと待ち侘びていた。  ずっとずっと、楽しみにしてたんだ。 「本当に楽しみにしてんだね。葵さんは可愛いいなぁ。兄貴が葵さんを大事にしたいって思う理由がわかるよ」  智彰が俺のほうを向いて、優しく微笑む。  その顔が成宮先生とそっくりで……胸がズキズキッと痛んだ。 「俺……千歳さんに、いい子いい子してもらいたい」 「え?」 「千歳さんに構ってもらいたいんだ」 「そっか……」  俺は、本能的にDomとしての成宮先生を求めてしまっている。体の全てが彼を求めてやまないんだ。 「俺にもこんなSubがいたら、どんなに幸せだろう……きっと、凄く凄く大切にするだろうなぁ。本当、兄貴が羨ましいよ」  そう寂しそうに笑う智彰に、俺は気付いてやれなかった。  ただただ、俺は成宮先生に会いたかったから。 「早く帰ってこないかなぁ」  先程からスマホをチラチラ見ながら、しきりにLINEを確認する俺は、Domの帰りを健気に待つSubそのものだろう。  下唇を尖らせて、大きな瞳をユラユラ揺らす俺を楽しそうに眺めていた智彰が、突然口角を上げた。 「俺も、葵さんを虐めてみたいな……」 「え?」  突然何を言われたのかがわからず、俺は智彰を見上げる。そこにいたは、いつもの優しい笑顔を浮かべた智彰ではなく、獲物を目の前に目をギラギラさせる獣だった。 「なぁ、葵さん……」 「な、なんだよ?」  座っていた椅子をクルっと俺が寝ているベッドの方へ向けて、顔を覗き込んでくる。  そんな智彰は凄くかっこよくて……色っぽくて……。俺はドキドキしてしまった。 「兄貴じゃなくて、俺がいい子いい子してやろうか?」 「は?智彰が?」 「そうだよ。だって俺もDomなんだよ?Subを構ってやりたいって思うもん」 「だ、だからって、別にいい!」  俺は顔を真っ赤にしながら勢いよく起き上がり、壁際まで逃げ出した。そんな俺を見て、智彰はクスクスと楽しそうに笑っている。 「わかってないな、葵さんは。そういう怯えたり、恥ずかしがる姿が、Domの本能を呼び覚ますんだよ。支配欲を掻き立てて、血が熱く燃えたぎるような、そんな感覚……。葵さんには、わからないよね」  優しく頭を撫でられれば、不覚にもキュンッと胸が締め付けられた。

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