180 / 184
いい子いい子してほしい① ―Dоm/Subユニバース―
人間は男と女の二つに大別されている。
しかし、男女だけではなく、更にダイナミクスと呼ばれる力関係からなる『Dom (SMで言うところのS)』と『Sub (SMで言うところのM)』という性別にも分類される。
DomはSubを本能的に『支配しコントロールしたい』という欲求を持ち、逆にSubはDomに『尽くしたい、お仕置きされたい』といった欲求を持っている。
勿論、どちらにも該当しない『Normal 』と呼ばれる人種がほとんどの割合を占める。
DomとSubは確固たる信頼関係で結ばれており、お互いがお互いの欲求を満たし合いながら愛情を深めていく。
DomはSubを擁護し慈しみ、SubはDomのそんな愛情に応えるかのように一心に尽くす。
この絶妙なバランスを保ちつつ、二人の中で決められたルールを守りながら、大切に大切に愛情を育んで行くのだ。
──葵、いい子だね。
そう優しく囁きながら、自分の頭を撫でてくれる成宮先生が俺は大好きだ。
自分を宝物のように大切に大切にしてくれるDom。出会えたことは、運命としか思えなかった。
成宮が優しく体に触れるだけで、自然と体はSub space へと堕ちて行く。まさに甘美の世界。
その空間は、温かくて、フワフワしていて本当に気持ちいい。成宮先生のほっそりとした指に頭を撫でられるのが、大好きだった。
「はぁぁぁぁ……」
「ふふっ。デッカイ溜息だなぁ」
「だってつまんないんだもん」
俺は智彰が一生懸命机に向かっている処置室に居座り、診察台の上でゴロゴロしていた。
まだ研修医である智彰は、ちょうど俺と成宮先生のいる小児科病棟で研修中である。今は、兄でもあり指導医でもある成宮先生が出したレポートをまとめている最中のようだ。
そんな智彰を見つけた俺は、邪魔をしたら申し訳ない……と思いながらも暇潰しに付き合ってもらうことにした。
「今日は早く仕事終わらせてデートしようって約束だったのに……急に運営会議だなんて酷過ぎる……」
診察台の上で駄々っ子のように手足をバタバタさせた。
楽しみにしていたデートがお預けになってしまったことが、悔しくて仕方ない。
明らかにつまらない……と言った顔で、頬っぺたを膨らませれば、「まるで子供だね」と智彰がクスクスと笑っている。
「しょうがないだろ?急に院長の出張が決まって、しばらく病院を離れるんだからさ」
「わかってる!わかってんの!たださ……」
「ん?」
普段聞き分けが良い俺がいつまでも拗ねていることに、智彰がびっくりしたような顔をする。
でもたまには、俺だっていじけたり拗ねたりしてみたいんだ。
「たださ、千歳さんにお前は『何もできないんだから、大人しく待ってろ』って言われてる気がしてならないんだ」
「そんなこと兄貴が思ってるわけないだろ?」
「わかってる。わかってるけどさぁ」
わかってるけど納得できない……。
成宮先生があんなに忙しい思いをしているのに、自分はそれを見ていることしかできないなんて。
……それに、最近ずっと忙しかった成宮先生が、わざわざ時間を作ってデートに誘ってくれたんだ。俺は、それが嬉しくて、この日をずっと待ち侘びていた。
ずっとずっと、楽しみにしてたんだ。
「本当に楽しみにしてんだね。葵さんは可愛いいなぁ。兄貴が葵さんを大事にしたいって思う理由がわかるよ」
智彰が俺のほうを向いて、優しく微笑む。
その顔が成宮先生とそっくりで……胸がズキズキッと痛んだ。
「俺……千歳さんに、いい子いい子してもらいたい」
「え?」
「千歳さんに構ってもらいたいんだ」
「そっか……」
俺は、本能的にDomとしての成宮先生を求めてしまっている。体の全てが彼を求めてやまないんだ。
「俺にもこんなSubがいたら、どんなに幸せだろう……きっと、凄く凄く大切にするだろうなぁ。本当、兄貴が羨ましいよ」
そう寂しそうに笑う智彰に、俺は気付いてやれなかった。
ただただ、俺は成宮先生に会いたかったから。
「早く帰ってこないかなぁ」
先程からスマホをチラチラ見ながら、しきりにLINEを確認する俺は、Domの帰りを健気に待つSubそのものだろう。
下唇を尖らせて、大きな瞳をユラユラ揺らす俺を楽しそうに眺めていた智彰が、突然口角を上げた。
「俺も、葵さんを虐めてみたいな……」
「え?」
突然何を言われたのかがわからず、俺は智彰を見上げる。そこにいたは、いつもの優しい笑顔を浮かべた智彰ではなく、獲物を目の前に目をギラギラさせる獣だった。
「なぁ、葵さん……」
「な、なんだよ?」
座っていた椅子をクルっと俺が寝ているベッドの方へ向けて、顔を覗き込んでくる。
そんな智彰は凄くかっこよくて……色っぽくて……。俺はドキドキしてしまった。
「兄貴じゃなくて、俺がいい子いい子してやろうか?」
「は?智彰が?」
「そうだよ。だって俺もDomなんだよ?Subを構ってやりたいって思うもん」
「だ、だからって、別にいい!」
俺は顔を真っ赤にしながら勢いよく起き上がり、壁際まで逃げ出した。そんな俺を見て、智彰はクスクスと楽しそうに笑っている。
「わかってないな、葵さんは。そういう怯えたり、恥ずかしがる姿が、Domの本能を呼び覚ますんだよ。支配欲を掻き立てて、血が熱く燃えたぎるような、そんな感覚……。葵さんには、わからないよね」
優しく頭を撫でられれば、不覚にもキュンッと胸が締め付けられた。
ともだちにシェアしよう!