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第3話 招集
「海は海でも、本当は海保に行きたかったんだ」
「それが何故海自 に?」
「子供の頃から通信……手旗信号とか、無線とか、そういうのに興味があって」そこまで言ってから、業務に関わる発言だったかと気づき冷や汗をかく。だが、言ってしまったものは仕方がないし、向こうだって俺と同じ推測でだいたいの見当はついているだろうと気を取り直す。「大学のとき、担当の教授に海保に行きたいと相談したら、そういうことがしたいなら海自の技官がいいんじゃないかと唆されて。在学中に資格は取っていたし」
「すると、民間は経験せずに一直線にここか」
「ああ。脩吾はサラリーマンだったのか?」
「一年だけな」
「そうか」
どこまで聞き出していいものやら分からず、言葉に窮していると脩吾のほうから語り出した。
「地元を出たかった。誰も俺のことを知らないところに行きたかったんだ。田舎は知り合いばかりで」
それまで柔和な微笑みを絶やさなかった脩吾の顔が、ふと曇った。いや、微笑んでいるようでいて眼光だけは鋭かったのに、その瞬間だけはその眼差しが昏 く澱 んで見えたのだ。
「田舎で何かやらかしたのか?」
努めて明るく言ったつもりだった。実際に何かあったとしても、大したトラブルではないに違いなかった。シリアスな「やらかし」なら採用されるはずのない職だ。
「よくある話だ」脩吾はいつもの顔に戻って言った。「痴情のもつれってやつさ」
「脩吾が?」
「シャバじゃモテていたもんでね」
わざとらしくニヤけてみせる脩吾だったが、あながち嘘でもあるまい。整った顔立ちに、スーツ越しにも分かる鍛え上げられた体躯。駐屯地の中では制服姿だし、マッチョはごろごろいるから目立たないけれど、前線に出る訓練はほぼしない技術曹の中にあって脩吾のようなタイプは実は珍しい。
「さぞやたくさんの女性を泣かせてきたんだろうな」
俺が言うと、脩吾は意外そうに目を丸くした。
「希海がそんな風に言うとは思わなかった」
「そんな風って?」
「この手の話は嫌がるかと」
「痴情のもつれ?」
「ああ。生真面目そうだから、いっちょからかってやれ、と思ったんだが」
「……期待した反応じゃなくて悪かったね」
「いや、いい。おもしろい」
「おもしろいことは言ってないだろう」
「興味深いって意味だ」
そうこう言っているうちに駅に着く。互いの行き先を確認すると逆方向のようだ。残念そうにする脩吾が、なんだか可愛らしかった。
「次は飲みに行こう」
「ああ」
社交辞令のつもりで適当に答え、改札に向かおうとする俺の手を脩吾がつかんだ。
「金曜だ。次の……いや、今週はさすがに急すぎるか。来週だ、来週の金曜は極力早く切り上げろ。そうだな、このあたりの居酒屋じゃ誰かと鉢合わせそうだし、いっそうちに来るか。時間を気にせず飲むのもたまにはいいだろう?」
「強引だな」
「こういうことは速攻で決めることにしてるんだ。そのうちいつか、なんて言ってると永遠に実行できない」
「……一理ある、けど」
「けど?」
「いきなり押しかけていいのか?」
「一人暮らしだ、気にするな」
若い単身者は敷地内もしくはごく近隣の宿舎での集団生活、既婚者でも官舎住まいが原則の自衛官だが、一定の条件をクリアしていれば「外」に暮らすこともできる。ただ、「時間を気にせず」と脩吾は言うが、夜討ち朝駆けが常態だし、休日の急な招集だってありうる。週末とて、そうのんびりと過ごせないことが多いのが実情だが、だからこそ、魅力的な提案に思われた。同期の桜どころか、隣席の同僚にすら自分の抱えた任務を明かせない環境にあって、せめて秘密を抱える重圧ぐらいは分かち合いたいというのが本音だった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
決して人付き合いのいいほうではない俺だが、このときばかりは素直に脩吾と差し向かいで酒を飲んでみたいと思った。
脩吾はずっとつかんでいた俺の腕を、ようやくそうと気づいたようで、パッと離した。それから言い訳めいた口調で言った。
「誰でも彼でも誘ってるわけじゃないからな?」
「え」
俺が聞き返すと同時にきびすを返し、俺を置いて先に改札口に入ってしまった脩吾だった。
しかし、約束の金曜日を翌日に控えた一九八三年九月一日、ことは起きた。日付が変わって数時間ばかりしか経っていない深夜に招集がかかり、急いで駆けつけた俺の目に飛び込んできたのは、いつもと違う騒然とした現場だった。理由はすぐに分かった。
「樺太?」
「どこの」
「民間機か」
「まさか」
「待て、ミサイル発射と言ってる」
「訓練じゃないのか」
「そうだろう。相手機のことを言ってない」
俺と同じく通信の傍受、そして解析の任務を行っているらしき面々が勢揃いしていた。過去に同じチームで作業に当たったことのある者もいるが、そうでない者のほうが多い。こんなことは初めてだった。
傍受していたのはソ連の戦闘機が地上の管制塔と交信している音声だった。ロシア語の分かる者が逐一通訳するのを聞いては、どよめきが起こった。そして、その通訳こそ、脩吾だった。
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