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第4話 混乱

 後に知ったことだが、それと時を同じくして、航空自衛隊稚内分屯基地のレーダーサイトはソ連領域内を飛行する彼我不明の複数の航跡を探知及び追尾しており、やがてそのうちの一機が消失したことを受けて、行方不明機がいないかと日本、韓国、アメリカ、ソ連の各航空当局に照会していた。ソ連からは返答がなく、ほかの三ヶ国からは「該当機がない」との返答を得ていた。  一方では東京航空交通管制部に雑音混じりのコールが入っており、しかしながら間もなく途切れたという。それは何者かに撃墜された機からの「急減圧により緊急降下する」旨の内容だった。  夜が明けるにつれ、だんだんと明らかになっていく真相に俺たちは驚きを隠せなかった。 「撃墜されたのは大韓航空007便、民間機だ」 「何故ソ連領空に」 「機体トラブルか」 「分からん。ただ、ソ連は該当する航空機は国内にいないと言っているようだ」 「嘘だ。民間機を撃墜したことを隠蔽する気か」  だが、俺たちが真に驚愕したのは、ソ連防空軍が韓国の民間航空機を撃墜したことではなかった。 「傍受記録を米軍に渡す」  首相のその発言は、当然のことながら直接聞いたのではない。たかが一曹の前でそのような発表はなされなかった。俺が聞いたのは当時の曹長からだ。官房長官も防衛庁幹部も反対する中、アメリカに恩を売りたい首相が押し切ったのだという。 「何も言うな」  何も言っていない俺に、曹長は念を押すように言った。  政府は大韓航空機がサハリン沖で行方不明になったことを公式発表し、午前七時にはテレビやラジオのニュース速報としてお茶の間にも流れた。  その日のうちにアメリカは「ソ連軍機が007便を撃墜した」と発表した。その証拠として例の傍受テープの一部が放送された。  それは日本には存在しない、否、存在しない「ことにされていた」はずの、だからこそ業務の一切は他言無用と厳命されていた――「諜報機関」の存在を公的に認める行為だった。  一睡もしないままに金曜日を迎えた。精神は疲弊していたが目ばかり冴えて、日中は淡々と業務をこなした。空腹も感じず、水を少し口にしただけで時間が過ぎていった。脩吾との「早めに切り上げる約束」は互いに果たせなかったが、彼はそれとなく俺の動向を探っていたのか、夜の十時を越えて退勤した俺の前にふらりと現れると、当然のように隣を歩いた。二人共言葉を交わさなかった。そうしているうちに脩吾はいつの間にか俺の前にいて、俺は彼に促されるように彼の部屋へと向かっていた。  殺風景な部屋だった。俺の自室も大差はないが。脩吾は一枚しかない座布団を俺に勧めようとして、やめた。 「ひどい顔だ。とりあえず寝ろ」  そう言って布団を敷き始める脩吾に向かって、俺は愚痴を吐いた。仕事の愚痴を言うのは初めてだ。今回の顛末は脩吾も知っているはずで、機密情報でもなんでもない。それどころか一国の首相が自ら暴露したのだ。俺が言って何が悪いと自棄(やけ)にもなっていた。 「首相は自分が何をしたのか分かっているのか。世界中に調別が実在することも、その解析レベルもバレたんだぞ」 「どうせスクランブルも一斉に変えられているんだろう?」 「当然だ」  傍受テープが公開されたと同時に、一斉に通信傍受ができなくなっていた。あるいは、傍受できても今までのやり方では解析できないように暗号化のロジックが変えられていた。日本の電波傍受による諜報活動(シギント)を全世界に向けて公開したのだから当たり前だ。改変されたコードを読み解けるようになるまでにどれほどの時間を要するのだろう。おそらくは年単位だ。その間、日本は他国との情報戦に大きく遅れを取ることになる。アメリカに良い顔をするためにしては大きすぎる痛手だ。 「まったく、ふざけるな」  脩吾は罵倒を続ける俺の手を引き、無理矢理に布団に押し倒した。 「分かった分かった。とにかく寝ろ」 「おまえは本当に強引な奴だな。時間を気にせず酒を飲むんじゃないのか」 「そんなんで飲んだらぶっ倒れるだろうが」 「眠れねえよ」 「子守歌でも歌ってやろうか?」 「馬鹿言うな」  それでも俺は、脩吾の言葉に少しだけ笑うことができた。――ああ、俺は甘えているのだ。横須賀での教育期間の頃から認識はしていたが、ろくに口も聞いたことのないこの男に。その強引な優しさに。  俺は目をつぶり、自分の腕をまぶたに押し当てた。腕の重みで眠れたらいい、と思った。 「……なあ、希海よ」 「今度はなんだ。寝かす気があるのか、ないのか、どっちだ」  目隠し状態のままで、俺は言う。 「()ってるぞ」 「へっ」  さすがにすぐさま腕をどけ、目を見開いた。上半身を起こそうとする俺を、脩吾はまあまあ、とまた寝かしつけようとする。 「気にするな。疲れナントカってやつだ」 「だったら言うなよ。言われたら気になるだろう」 「……抜いてやろうか?」 「は?」  予想もしなかった言葉に俺は言葉も出なかった。国家防衛の危機に比べれば随分と矮小だが、二の句が継げないという点では同じだ。 「おまえは寝転がっていればいいから。それでそのまま寝ちまえ」 「いや、ちょっ……」

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