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第5話 キスと告白

 慌てて身をよじって逃げようとするが、日頃から鍛えている脩吾だ、腕力では到底敵わない。しかもこちらは丸二日近く寝ていないと来ている。  結論を言えば、脩吾は俺の手足を押さえつけてはいたものの、決して乱暴にはしなかった。おそらくは手で扱かれただけで終わったはずだ。はずだ、と言うのは、脩吾の言った通りに、その行為が始まって十分も経たないうちに俺は眠りに落ちてしまったからだ。  翌朝目が覚めると、見慣れない天井に一瞬驚いたが、じきにここが脩吾の部屋であることを思い出した。その脩吾はすぐ隣で寝息を立てている。技術曹にも一応は入隊後の教育期間が三ヶ月ほどあり、集団生活を余儀なくされるが、そのときの就寝場所はひどく狭かった。その賜物か、二人とも狭い場所にまっすぐに寝ることは得意らしい。一人分の布団に平行に行儀良く並んで寝ているさまは、端から見ればさぞかし滑稽だっただろう。そんなことを考えているうちに昨夜の一件を突如思い出し、飛び起きた。 「起きたのか。少しは眠れたか」  目を擦りながら脩吾も目を開けた。 「あ、ああ。久しぶりに熟睡できた気がする」 「そうみたいだな。昨日よりはだいぶいい男に見える」 「そ、そんなことより、その、昨日……」  あれは本当の出来事だったのか。夢ではないのか。夢なら夢で、あんな夢を見るのは問題がある気がする。俺はなんとはなしに下半身に手を伸ばし、自分の着衣を確かめる。 「これ、俺のじゃない」 「着替えさせた。パンツもパジャマも俺ので悪いな。洗濯済みだから安心しろ」 「……俺、汚した、のか」 「問題ない」 脩吾が顔の角度を変えて何かを見ようとしているのが分かった。視線の先には部屋干しされた洗濯物があった。フェイスタオルや靴下なんかに紛れて、見覚えのある下着がぶら下がっている。――問題はある。問題だらけだ。あれが夢ではなかったことが確定したし、その上俺は下着を汚し、それを脩吾に洗わせたのだ。 「いや、なんと言って謝ればいいのか……。とにかく悪かった」 「謝らんでもいい」 「ほとんど初対面のようなものなのに、図々しく家に上がり込んだ上に一方的に愚痴って、しかも、あんな、その」 「初対面とは水くさい」  脩吾も起き上がり、俺の頭に手を置くと長くもない髪をくしゃりとつかんだ。   「初対面ではないが、親しくもないだろう」 「じゃあ、いいきっかけになったじゃないか」  頭の手がするすると下がって、俺の頬に添えられた。男同士でそんな仕草をすることはない。不快ではないものの心地良いとも言えず、だが、後ろめたさからその手を払いのけることは憚られた。結果的にされるがままになっていると、頬の手は俺の輪郭をなぞるように顎へと移った。 「希海は髭が薄い性質(たち)なんだな」  脩吾が突然そんなことを言う。確かに俺は二、三日に一度の髭剃りで事足りる。対して、脩吾のほうはうっすらと髭がある。案外と色白なだけに目立つ。が、そんなことはどうでもいい。いつまでも顎から離れない手が、さすがに鬱陶しく思えてきた。 「なんのつもりだ?」  俺が咎める口調で言うと、脩吾はニッと笑った。 「俺はおまえと親しくなりたい。初めて会ったときからそう思っていた。昨日希海にしたことを申し訳なく思うな。俺にとっては棚ボタだ」 「は?」 「好きだと言っている」  意味を図りかねているうちに、顎を引き寄せられ、唇を塞がれた。脩吾とキスしている。そう理解するまでに数秒かかった。数秒後もまだ唇は重ねられていた。俺が脩吾を押しのけて、ようやく二人の体が離れる。 「何をする」 「キスだが」 「そんなことは聞いてない」 「だから、俺は希海が好きなんだ。好きだからキスした。……多少順序が前後したが、昨日のアレだって同じだ。好きだからしたことだ」 「何を言ってる」 「お得意の難しい暗号文を唱えているわけじゃない。至ってシンプルな告白だ」 「……」  俺は無言で立ち上がった。それかピンチハンガーから自分の下着を取り、片隅に畳んであったズボンを拾い上げると、借り着からそれに着替えた。後から思えば性的な意味を含んで俺に好意を持っている男の前で一瞬でも下半身を露出したわけだが、このときはそこまで気が回らなかった。 「パンツ、乾いてたか」 脩吾がからかっているのかいないのか、それすらも分からなかった。 「世話になった。帰る」  と言いつつも、自分の荷物が見当たらない。 「朝飯ぐらい食っていけ」俺は脩吾を見た。おそらくは「睨んで」いた。「そう怖い顔をするなよ。おまえが嫌ならそう言ったらいい。……不快な思いをさせたなら謝るが、俺は本気だ。本気で好きだと言ってる」  嘘ではないのだろう。脩吾の表情からそれは分かった。だが、残念ながら到底受け入れない申し入れだった。 「正直、助かった。今回の撃墜の件は俺も相当参っていたからな。一人だったら昨日も眠れなかったと思う。おまえがそばにいてくれたおかげで寝られたし、話を聞いてくれただけでもだいぶ楽になった。……だが、それだけだ」

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