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第6話 きっと俺を好きになる

「恋愛対象にはならない?」 「俺は同性愛者じゃない」 「それは、今まで男を好きになったことがないだけじゃないのか?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……正確には、男に限らず、誰かを好きになったことがないんだ。だから分からない。ただ言えるのは、おまえをそういう風に好きではないってことだ」  俺のこの言葉もまた、今まで誰にも言ったことのない「告白」だった。俺は恋愛経験がなかった。性的な経験がないというだけではなく、特定の誰かに対して、執着とか独占欲といった感情を抱いたことがなかったのだ。もちろん一緒にいて苦にならない相手、興味関心を共有して話が尽きない相手、そういった意味の「好感」なら抱くことはあった。でもそれはあくまでも友情や敬意の範疇だった。  性欲がないわけでもない。昨夜の行為を思えば脩吾にだって知られている。ただ、その欲求を「かけがえのない誰か」にだけ発動することがなかった。俺にとっての性欲とは、刺激すれば反応する、それだけのことだった。  こんな自分を後ろめたく思ってもいた。誰にも言えなかった。考えようによっては脩吾よりよほど深刻な、「一世一代の告白」だ。その告白を、脩吾は軽やかに一蹴した。 「今は、だろう? これから好きになるかも」 「前向きなのはいいが、いくらなんでも楽観的すぎるんじゃないか?」 「こう見えて俺は計算高い。勝ち目のない賭けはしない。希海はきっと俺を好きになる」 「大した自信家だ」  彼の好意を無碍にした罪悪感は一瞬にして消え去り、少しでも彼に悪いと思った自分が馬鹿らしく思えてくる。振られた直後の脩吾は、落ち込む素振りも見せずにあっけらかんと言った。 「今すぐどうこうするつもりはない。でも、とりあえず今、一緒に朝飯を食うぐらいは構わないだろう?」 「……分かったよ」 前日は丸一日、何も食べていない。脩吾の強引な誘い文句に気が抜けると同時に、空腹感が一気に迫ってきた。  TVをつけると、各局がこぞってこのニュースを報道していた。未知の情報はない。ただ繰り返し流される「日本人を含む乗員・乗客合わせて二六九人の安否については絶望的」のテロップに胸が詰まった。事故の翌日、つまり昨日の段階でソ連の参謀総長は「領空侵犯機は航法灯を点灯していなかった」と大韓航空機側の非を責める会見を行っていた。正式な手順の警告をしたが応答しなかった、日本海方面へ飛び去ったと撃墜を否認し続けた。しかし、「ミサイル発射」――あの傍受データはそれを否定するものだ。現に既にオホーツク海沖合で操業していた日本の漁船が機体の破片や遺品を発見していた。二六九人。何の罪もない民間人が、少しばかり航路を外れた飛行機に乗っていたからといって、そんな死を迎えていいものか。これは戦争ではないが、しかし、米ソの冷戦状態が引き起こしたものには違いなかった。   朝食を終えても俺はTVの前から動けなかった。脩吾はTVを消そうかとは言わず、帰るんじゃなかったのかと揚げ足を取ることもしなかった。  乗客二四〇名、乗務員二九名。計二六九名の国籍は発着国の韓国とアメリカが大半を占める。乗務員全員、そして七六人の乗客、計一〇五名が韓国籍だった。アメリカ人の乗客が六二名。次いで日本人乗客が二八名。その他台湾、フィリピン、英国領香港、カナダ等々。ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を出発し、アラスカのアンカレッジ国際空港を経由してソウルの金浦国際空港に向かう007便は、JALやパンアメリカン航空の直行便に比べて安価で人気があった。特に九州・西日本方面に向けてアメリカから帰国するに当たっては、成田よりソウルを経由するほうが利便性が高かった。犠牲者に若年層が多く含まれていたのはそういった事情もあっただろう。 「俺は数百キロ先の、山の向こう側に潜む戦車を数えていた」  俺はぼそりと呟いた。 「うん」 「その前は、コンクリ壁を隔てた隣の部屋のパソコンのタイプ音を拾って、その文面を再現した」 「そんなことできるのか」 「反射音から叩かれたキーの位置を割り出す。パソコンの機種が特定されていればキー配列は分かるし、簡単な原理だ」 「なるほど」 「飛んできたミサイルの軌道を計算して、海上で迎撃するシミュレーションもやった」 「ああ、それは俺も似たようなことをやったことがあるな」  次々に暴露する内容は機密事項ではあるが、しかし、とっくに実用化され、少なくとも同じ調別の脩吾には秘密とも言えぬものばかりだ。その程度の分別を残しているのは救いだが、言葉に出せば出すほど自分がヒートアップしていくのを感じた。 「なあ、脩吾」 「うん?」 「実戦だったら、その戦車は無人じゃない。ミサイルを発射する航空機にもパイロットが乗っている」 「そうだな」  傍受した「ミサイル発射」のロシア語を通訳する脩吾の声が、再び脳裏に響く。  「俺が撃ち落とそうとしているのは、本当にこちらに敵意を持った軍用機なのか? それが民間機でない保証は、誰がしてくれるんだ?」

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