7 / 11

第7話 ある一夜

「……おまえも俺も前線には行かない。後方支援の技術屋に過ぎない」 「だから無罪なのか?」 「希海」 「軍用機だとしても、そのパイロットは誰かの息子で、誰かの父親かもしれないよな?」 「希海」脩吾は二度目の俺の名と共に、俺を背後から抱き締めてきた。「おまえの言う通りだな。でも、そうやってしか守れないものがあるんだ。守らなきゃならない人がいるんだ。誰かを守るには力が必要なんだ」 「……分かってる」 「こういうことに感情を同調させるな。呑まれるぞ」 「分かってる」  常に冷静さは必要だ。「事象」は「事象」に過ぎない。そこに個人的な情動を挟むと分析結果の解釈にバイアスがかかる。技術者は科学者でもあるわけだから、そのような恣意的なことをしてならないのだ。――それは、分かっている。でも、頭から離れないのだ。二六九名の死を告げるテロップ。傍受した音声。一国の長たる者の、我々への「裏切り」。 「脩吾」 「なんだ?」 「俺はおまえに恋愛感情はないが、ひとつ実験につきあってほしい」 「実験?」 「俺が何も考えられないように……昨日の、続きを」 「え」 「頭の中がうるさいんだ。これでは仕事にならない。元の自分に戻りたい」  脩吾は再び俺の顎をつかみ、後ろを振り向かせた。真剣な眼差しの脩吾が見えた。 「そういうことなら相手をするのは歓迎だが……元には戻れんよ」 「いい。この雑音を消してくれるなら」 「後悔はさせたくない」 「しないさ」  律儀に一度は畳んだ布団。同業者なら分かるだろうが、柔らかな布団とは思えないほどきっちりと角が合い、直方体のシルエットだ。それを脩吾が再び敷くのを、俺は手伝いもせず見ていた。 「カーテンは閉めたほうがいいな?」  脩吾が言い、もっともだと思った俺は窓際に寄り、濃紺のカーテンを閉めた。遮光性が高いのか、部屋が一気に暗くなる。 「それで、そのう、一応確認しておきたいんだが」  珍しく脩吾が言いにくそうだ。 「確認?」 「希望のポジションはあるのか? 上か下か」 「上か下か……ああ、そういうことか」 「そういうことだ」 「下というのが、女役か」 「その言い方はどうかと思うが、まあ、入れられる側という意味では、そうだ」 「そっちがいい」 「いいのか。大丈夫か」 「知らん。どっちにしろ初めてなんだ。慣れてる奴に任せる」 「慣れてると言えるほど経験があるわけじゃない」  でも童貞ではないのだろう。そう返そうとしたが、脩吾が急に抱きついてきたので何も言えなかった。 「夢みたいだ」  脩吾が囁いた。今までの女にも、あるいは男にも、そんな甘い言葉を言ったのだろうか。そう思うと胸の奥がチリリと痛んだ。――嫉妬? 今まで誰に執着もせず、嫉妬するほどの思いをかけた相手などいなかった俺が?  俺はせっかく着替えた服を再び脱いだ。こんな場面でさえ、二人して几帳面に畳んでしまうのが習慣で恐ろしい。 「嫌なときはそう言え。すぐにやめる」 「俺が何を言ってもやめるな」 「天邪鬼だな」  脩吾は笑って俺の肩を抱いた。ゆっくりと布団の上に(いざな)われる。  さっさと体を開かれるかと思いきや、脩吾は俺をうつ伏せにし、そこかしこを撫で回し、口づけを繰り返した。そこまでされて、三日間近く風呂に入っていないことを思い出す。 「ごめん、風呂を貸してくれ。そんなことされるとは思っていなくて気が回らなかった」 「構わない」  その言葉に嘘がないことを証明するかのように、脩吾は俺の肩甲骨に舌を這わせる。 「か、構うだろう。昨日も一昨日も風呂に入ってないんだ」 「希海の匂いが濃くて、いい」 「なっ」  何を気色悪いことを言っているのだと怯んだが、脩吾が行為をやめる気配はない。 「勘弁してくれ。俺が嫌なんだ」 「何を言ってもやめるな。希海がそう言ったんだよな?」 「……」  言った。確かに言った。そうでなければ優しい脩吾のことだから、すぐに解放してくれると思ったのだ。それではだめだ。この脳裏に焼き付く様々な思念を追い出したいのだ。でなければ明日からまともに任務に就ける自信がない。俺は観念して、脩吾に身を任せた。  それからのことはあまり覚えていない。ただ、何度も「希海」と呼ばれ、「好きだ」と言われた。そのたびにまるで暗示にかけられるように、受け入れていく自分がいた。 「すごい、これで本当に初めてなの?」 「希海のここ、俺のこと離してくれないんだけど」 「今、自分がどんな顔してるか分かってる?」  煽るセリフもいくつも言われた。無性に恥ずかしいと思い、同時に快感が体中を突き抜けていった。 「あっ、いいっ、脩吾、また、またイクッ」  自分もまた、そんなセリフを何度言わされたか分からない。  俺たちは何度も達し、やがて疲れ果て、どろどろに溶け合うように抱き合ったまま、静かに横たわった。 「脩吾」  俺は自ら手を伸ばして、脩吾と指を絡めた。脩吾のほうも強く握り返してくれる。 「希海」 「ありがとう」 「こっちのセリフだ」 「上の決めたことのせいで振り回されて……民間人を守ることもできなくて……なんのための任務なんだと苛ついて……でも、こんなこと、これからだっていくらでもあるよな」 「この仕事をしている限りは、そうだろうな」 「また頼るかも」

ともだちにシェアしよう!