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第8話 蓉

「先輩!どういうこと?何て言ってた?吉田部長から連絡あったの?」 「海斗…帰ってきたら、ただいまだろ?」 何となくいつもの癖で海斗の部屋のベッドで睡眠欲を満たしていた。最近は海斗のベッドで寝ることが多かったから、こっちの方が安心する。それに、自分のベッドはセックス専用のような使い方をしているから、頭の中で勝手に分類分けして使用していた。 ただいま…と海斗が言い直している。素直な奴だ。でも、海斗が慌てている理由は、異動のことを言っているとわかっている。 「電話あったよ。明後日から黒目ヒルズ店に行ってくれってさ。だからさ、さっき歩いて行って見てきた、黒目ヒルズ店。でっかいのな、それでやっぱり高級って感じ。中にも入ったけど、綺麗だった。最近、外に出てなかったから久しぶりに歩いてスッキリしたよ。歩いて通うのもいいかもな」 「なんで受け入れてんの!アイツらのせいなのに!あのバカのおかげで…異動なんて完全なとばっちりじゃん。これは会社がズルイ。ダメ!絶対!」 「あははは、ダメ!絶対!って何だよそれ。警察のポスターみたいだな、ウケる。あははは」 久しぶりに笑った。海斗が怒れば怒るほど冷静になっていく。蓉は、現場に出て、新しい仕事を知るのもいいかもしれないと考えている。 「先輩、そこの店舗に行くの?」 「行くに決まってるだろ!異動だぜ。とりあえず今日様子見に行ったらさ、店長にばったり会ったんだ。下野(しもの)さんがそこのスーパーの店長だって、お前知ってた?」 下野(しもの)は以前、営業第一部の課長であった。面倒見が良く、慕っている人間も多かったが、いつの間にか異動になっていた。 下野が異動となった当時は、色んな噂が飛び交っていたが、今回、実際異動に巻き込まれた蓉は、下野も自分と同じような何か問題に巻き込まれたんだなと感じた。 「…知ってる。下野さんは俺が営業で一番お世話になった人だから。今あの店舗で店長をしてるのも知ってる」 「そうか…営業部も大変なんだな」 海斗の怒りがトーンダウンしたようで「どうする?」と聞き出した。どうするとは、食欲か性欲のどっちをするか?と聞いているということだ。 性欲ではなく、食欲かなと思い「ご飯?かな」と答えると、すぐに海斗は着替えてキッチンに行き、作り始めている。 最近、キッチンでは海斗の手伝いも始めているので、蓉も一緒にキッチンまで行く。食料も二人でお金を出し合って買っていた。 ワンルームのキッチンは狭いから、邪魔かもしれないが、海斗は何も言わずにいてくれる。手伝いとはいうものの、何もできないので、皿を持って待ってたり、海斗の隣で話をするだけだ。 「会社でさ、話あった?」 「先輩のこと?それともあのバカ、陸翔のこと?」 「あははは、陸翔にバカって付けるなよ。元々バカなんだからしょうがねぇだろ」 「だってさぁ…あいつのミスなのに周りが必死になってやってるんだよ?あっ、あのバカ女はあれから会社に来てないんだってさ。ま、どうでもいいけどね、どうでも。それとさ、三ヶ月は最初の契約で納品しろってやつ?それに『はい、わかりました』って返事したって聞いてさ、陸翔にお前バカじゃねぇの?って言ってやったんだよ」 「お前…あんまり、バカバカって言うなよ。お前まで自宅待機になっちゃうぞ?そんなに熱くなって食ってかかるなよ」 「だって、許せないよ…陸翔が自分の兄だってことが本当に恥ずかしい。先輩が経理部に戻って来れるようにって思ってたのに、明後日から先輩が店舗に異動になるって聞いたら、俺、マジで許せないから。どうやったら先輩は経理部に戻れるんだろう」 海斗が喋る横顔を見てる。ずっと怒った顔をしているのがおかしかった。クククと笑うと「何で笑うんだ」と口を尖らせて言い、海斗はムッとした顔をするので、それもおかしかった。 やっぱり簡単には経理部に戻れないらしい。タイミングが悪かったのかもしれない。しかし、関係ない海斗が、あまり首を突っ込まないで欲しいと蓉は思っていた。 今日は餃子だった。大量の餃子とシュウマイもある。味噌汁に白米と、あったかいご飯もある。 「餃子!あー、マジで食べたかったんだ。嬉しい!餃子、大好き!うう、シュウマイも!」 「先に食べてて。もう少し餃子焼くから」 「いいよ、もう。お前も一緒に食べよう?今日は一緒に食べる方がいい」 明後日から新しい職場だ。働くリズムを取り戻したい。ずっと寝て食べてヤルだけの毎日だったから、今日からは少しずつ変えていこうと思う。そう海斗に伝えると、納得出来ない顔をしていた。 「だから…何で海斗がそんな顔するんだって。これは俺の問題だよ?パワハラで訴えられるよりいいじゃん」 「パワハラなんかじゃねぇし…先輩は1ミリも悪いことしてないじゃん。俺は許さないよ。陸翔もあのバカ女も。それと会社も」 「まあまあ…あまり首突っ込むなよ?お前まで自宅待機になったら俺たまんないよ。それにな、本当にもう寺内さんのことをバカとか言うな。陸翔にもだぞ?そんなこと言ってても何にもならないって」 優香にバカと言ってるのが知れたら、海斗も自宅待機になってしまう。そう考えると慌てるが、海斗の勢いも止まらない。 「それに、俺が無力過ぎて何も出来ないのが嫌だ…自分にムカついてる」 海斗の怒る横顔がおかしいと言いながら餃子とシュウマイを平らげた。ひとりで食べるより、二人で食べる食事の方がずっと美味しいと感じる。 不思議だった。 大食いだから一回の食事に対する消費量は人より多い。だけど、二人で食事をすると、そこまで大食いにはならない。話をしながら食べるからかもしれないが、海斗と一緒に食べる夜ご飯が、一日の中で一番美味しくて、一番楽しいと感じる。 「海斗のご飯って美味しい…」 「えっ?本当に?」 明後日からは新しい仕事だ。

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