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第11話 蓉
下野は、黒目ヒルズ店の近くに住んでいるという。歓迎会の後は、じゃあなと言って蓉と海斗とは反対方向に歩いて帰って行った。
蓉と海斗も電車には乗らず、歩いて帰ることにした。ここからだと、ダラダラと歩いて30分位で家に着くだろう。丁度いい酔い覚ましになると海斗は言っている。
「下野さん、変わらないな」
「うん、そうだね。先輩の異動はムカつくけど、下野さんのところで良かったよね」
下野と久しぶりに会い、海斗を交えて飲んで食べて、目一杯話もできて楽しかった。
スーパー店舗への出勤は意外と緊張していたようで、三日間気が張りっぱなしだったと思う。だけど、何とか仕事が出来たのは海斗の言う通り、下野のところに配属できたからだと感じる。
「お前さ…陸翔の話になると怒った顔するだろ?それはさ、俺に対してだったんじゃないか?」
「はあ?何それ。何で先輩に対して怒る必要あるの?俺は、陸翔に対して怒ってんの。今は何事もなかったようにしてるし、それもムカつくよ」
住宅街から誰も歩いていない川沿いの道に入る。昼間は散歩やランニングをする人が多く賑やかなこの道は、夜に歩くと雰囲気が変わる。ゆっくりと時間が流れているようだ。遅い時間だからだろう、誰もいない道を海斗と二人で歩くのは気持ちがよかった。
「俺さ、このままスーパーの店舗で働くのもいいかもなぁって、さっきまで思ってたんだ。下野さんも一緒だしさ」
「えっ!マジ?ちょっと、」
ギョッとした顔で海斗が振り向くから「違う違う、話を最後まで聞け」と笑いながら答えた。
「自宅待機になってさ、何で俺?って思ったよ。陸翔や寺内さんが変わらず普通に仕事してるって考えると、何にもやる気がしなくなってさ。バカバカしいって思ったり…会社から異動って言われてからは、もうなんでもいいやって気分になったし…そんで、これを受け入れようって思った。運良く異動先は下野さんのところだしさ、このままここで働くのもいいかもなって。そんな仕事の熱量が下がった俺を見て、海斗は嫌だったんだろ?」
隣に歩く海斗を見ると、微妙に怒った顔をしている。いつもならすぐに言い返してくるところだが、最後まで話を聞けと言っているので、頑張って口を閉ざしてる。そんな海斗の姿がおかしくもなり、何だか嬉しくもあった。
「わかるよ。もし、お前が俺の立場で同じように下がった熱量を見せられたら、俺もそんなふうに怒ってると思う。なんだこいつ、今までそんな仕事してたのかよ!それでいいのかよ!って思うもんな」
カカカっと笑うと、静かな川沿いの桜並木に蓉の笑い声が跳ね返り、小さくこだました。
「自宅待機になって、不貞腐れて、さっきまで色々と迷ってたけど…俺さ、やっぱり経理部に戻りたいと思う」
自分の気持ちをハッキリと口に出すと、煙たいと思ってた目の前の道が、サッと晴れた気がした。
さっき飲んでいた時、下野に言われたことがあった。『仕事がなくなると、自分の無力さを痛いほど感じるはずだ。自分がいなくても問題なく会社や同僚が動いていくのを見ているのはツラい』と。
『だけど、それは目が覚めるいいキッカケになる。それに居場所が無くなったわけじゃない』と、言っていた。
「下野さんカッコよかったよな。多分、俺の迷ってる気持ちわかってたんだと思う。自分に驕 らず目を覚ませって言われたような気がしたよ。そうだよなぁって、もしかしたら自分を過大評価してたかもなって思ったよ。それにさ…俺は、お前が近くにいてくれてよかった。本当にそう思う。腐らずに過ごせたんだもんな。気持ちを前に向かわせてくれたのも、揺れ動く気持ちを固められたのも、海斗がそばにいてくれたおかげだと思う」
海斗がいなかったら、きっとこのままずっとスーパー店舗で働いていていいと、受け入れていたはずだ。
海斗は必死に毎日言い聞かせてくれていた。他人のことなのに、自分のことのように考え『本当にそれでいいのか』と、蓉の心に訴えかけてくれていたと感じる。
今まで、自分は経理部に必要な存在だからいるんだと、驕っていた部分があったと思う。自分から望み、掴み取ることをせずにいた。与えられた仕事をしていたのは、優香ではなく蓉自身だったかもしれない。それが、海斗と下野と話をしていてわかったことだ。
「それにさ…経理部を退いて、第一線から外れたら、さっきみたいな下野さんとお前の会話には入っていけなくなる。そしたらもっと俺は悔しいと思うだろうな…だから
外された仕事だけど、もう一度やり直したい。自分から望んで動いてみるよ。そうしたいって強く今は思っている」
隣の海斗が立ち止まって下を向いてしまった。大きな身体の男がジッと動かないのはちょっと怖い。
「…おい、海斗?」
「先輩!本当に?ねえ、本当?俺、嬉しい!すごく嬉しいよ」
海斗を下から覗き込んだ瞬間に海斗に抱きしめられた。嬉しい!嬉しい!と海斗は言いながらギュウギュウと抱きしめてくる。
「やめろ!離せよ、足が!宙に浮く!」
ギュギュギュと身体が浮くぐらい抱きしめられたから、全身で抵抗してやった。
「俺、頑張るね…」
「何で、お前が頑張るんだよ。頑張るのは俺だろ?」
また二人でゆっくりと歩き始めた。隣にいる海斗は気持ち悪いくらいずっとニヤニヤとしている。もう不貞腐れることはないだろう。ちょっと安心する。
「それにさぁ…俺も悪かったと思うんだよな。寺内 さんの面倒をちゃんと見てあげてなかったかも。やり直せるなら、一から経理部として教育してあげたいな。人って覚える速度が違うから、教えるのも相手に合わせてあげないとダメだなってわかったんだ。俺さ、まだ三日しかスーパー勤務してないけど、すっげぇポンコツなんだよ。料理のことわかんないから、お客さんから調味料の質問されてもわかんなくってさ。パートさんたちに助けてもらってばっかり。寺内さんもそれと同じように悩んでたことあったのかもな。悪いことしたな…」
もしかしたら優香 も仕事のことで悩んでいたことがあったかも。それなのに、相談も出来ないような空気にさせていたかもなと、反省している。
「そうかな…どうだろ。でも俺、先輩のそういうところ好きだよ。カラッと前向きでさ、俺みたいにぎゃあぎゃあ怒らないじゃん。それに先輩は周りを何かと気遣って、手助けしてる。俺にもそうだけど、親身になってくれるじゃん。自分では気がつかないのかもしれないけどさ、それはみんなわかってて口を揃えて言ってるよ。だから経理部のエースって言われてんだよ」
「あはは、ありがとうな。俺もお前のバカみたいに真っ直ぐなとこ好きかな」
「先輩あのね…その好きと俺違うからね」
「何言ってんだ?お前」
もうすぐ家に到着する。お腹もいっぱいで満たされている。それに気持ちも決まったし、晴々としていた。
「こっちだよ」
海斗に連れられて、蓉の部屋へ二人で帰ってきた。蓉の部屋ということは、何するかは決まっている。明日は二人共休みだ。時間を気にする必要はない。
玄関でモタモタと靴を脱いでいたら、海斗に後ろから抱きしめられた。
「ちょっとだけ…ごめんね、先輩。ちょっとだけ、こうしてていい?」
海斗の心臓の音が背中に響く。ドキドキと速い音だなと思いながら、じっとしている。
「よし!じゃあ、こっちね!」
海斗は後ろから抱きしめるのに区切りがついたのか、前に回り込み、こっちと手を引いている。
「こっちね!じゃねぇよ…お前が仕切るな!ここは俺の部屋なの」
こっちこっちと、ベッドに誘導されてしまった。相変わらず押しが強い奴だ。
今日は何回セックスをするのだろうか。期待しているのは、自分は性欲が強いからな…と、そう考えながら海斗の背中を見ていると、くるりとこちらを振り返り、口を尖らせ海斗は文句を言う。
「それから、下野さんのことカッコいいって言うのはやめてよね!」
「なんでだよ!」
その後は、ふざけながらベッドに二人で入る。今日は長い夜を楽しく迎えることができそうだ。
いつものように、服を手際よく脱がされていく。
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