15 / 46
第15話 蓉
営業第二部が力を入れている新商品のオリーブオイルは、本社の近くにあるランチで賑わっているこの店にも置いてあった。
飲食店にも置き、スーパー店舗でも売れ筋になりつつあるようで、新発売したオリーブオイルは順調に売れていると感じる。
そのオリーブオイルを付けてパンを食べてみる。クセがなく美味しいと感じる。目の前にいる優香も、美容にいいと言われているこのオリーブオイルのファンだと言う。ボトルもこだわりがあり、おしゃれである。
「それで?IT部門との話は終わったの?」
「うーん、またこっちに来ることになった。一度じゃダメみたいだなぁ…何度かに分けて話を聞きたいって言ってたよ」
「へぇ…そしたらまたランチしようね」
「っていうかさ、寺内さん、陸翔 と会ってる?陸翔、元気?」
「えっ、ああ、元気なんじゃない?別れたからよく知らないけど」
「げっ!マジで!」
「そんな大きな声出さないでよ。マジよ、マジ。陸翔、最近浮ついてて…ありゃダメだな。だから別れましょうって言って、それまでよ」
優香から別れを切り出したそうだ。キッパリさっぱりしている彼女は、何だか男らしい。
「やだぁ、あははは」と、後ろから華やかな声が聞こえてきた。半個室になっているレストランだから、後ろの人の姿は見えないけど、声は聞こえてくる。こっちも大きな声を出すと聞こえるだろう。優香と少し声を抑えて喋るようにした。
「げぇっ…後ろ、バカ海斗だ」
後ろの席にいるのが海斗だと優香は言った。姿は見えないが、よく聞くと海斗の声のような気がする。女性と食事をし、二人きりのようだ。やけに女性がはしゃいでいるのが聞こえてくる。
「最近さ…あの女が海斗を狙ってんだって。あのはしゃぎっぷりは絶対そう。ほぼ毎日一緒にランチ食べてるらしいし、多分、夜も一緒に飲みに行ってるんじゃない?あの女、周りには、私、結婚するかも!って言いふらしてるらしいよ?バカ海斗、女の趣味悪い…」
小声で優香が教えてくれた。後ろの席で、海斗と一緒にいる女性を『あの女』と呼ぶ。
最近、海斗と一緒にいるらしい女性は、社内の人間と、優香は言う。そろそろ結婚するんじゃないかと、みんなは噂しているらしい。
食事の手が止まってしまった。
急に味がしなくなったような気もした。オリーブオイルもランチのパスタも、どれも同じ味のような気がしてくる。
「へぇ…相手の人って誰?」
聞きたくないけど、知っておきたいから優香に小声で尋ねてみる。
「相手ねぇ…総務の女で、清田 陽奈 あれも猫かぶりタイプだな。知ってる?」
「ああ、ううん…知らない」
蓉が答えた時に、後ろの席からまた二人の会話が耳に入ってきた。周りの音は掻き消されてしまい、二人の会話だけがクリアに耳に届く。
「海斗くん、今日はどうする?夜も行くでしょ?」
「ああ、うん、行きたいな。陽奈ちゃんは大丈夫?あっ、あれどうする?昨日食べたいって言ってたよね。持って行こうか」
女性の声で海斗の名を呼ぶのが聞こえた。後ろの席には間違いなく海斗がいるとわかる。
もう聞きたくない。海斗が毎日遅く帰ってくる理由がわかった。
ここ最近、蓉は海斗にずっと会っていなかった。会っていない間、陽奈と呼ばれる女性とデートをしていたと、今はっきりわかった。そして、今日の夜も海斗は約束している。嫌でも耳に入り、全てを聞いてしまった。
「いいよ、ここは俺が払うから」
「えーっ、いいの?海斗くん、いつも奢ってくれて…ありがとうございます。今日も美味しかったです」
「あはは、どういたしまして。じゃあ、行こうか」
海斗がスマートに会計をしているのが、気配でわかる。声は海斗だが、会話を聞くと知らない人のようだ。カッコいい男が、スマートに女性をエスコートしているような会話だ。
後ろの席にいた海斗たちは既に食事が終わっていたらしい。会計をして帰って行った。
途端に静かになる。それでも蓉は食事の手が止まったままだ。食事を再開することもできず、これ以上食べられそうにもなかった。
「芦野さんって細いからやっぱり小食なんですね。私なんて、本当はもっと食べられますよ」
急に食べなくなった蓉に向かい、優香が思ったことを口に出していた。
「ああ、ごめん。お腹いっぱいになっちゃった」
別人のようだった。海斗の声だけど、知らない人の話を聞いているようだった。
優香と別れて、蓉は自宅に帰る。今日は本社に出勤するだけで、スーパー勤務はしなくていいと、黒目ヒルズ店の店長である下野に言われていた。
自宅に帰りたくないが、帰る場所はそこしかない。自分が何故こんなに気分が落ち込んでいるのかわからない。そんなの、考えたくない。知りたくもない。
モヤモヤとする。自宅に帰り、早く寝てしまおうと思った。
ともだちにシェアしよう!