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第16話 蓉
本社のIT部門に呼び出され、優香とランチをした日以来、蓉は何となく海斗を避けるようになってしまった。
メールもSNSの連絡も避けている。自分でも、どうしてだか理由はわからない。
ひとり暮らしの部屋にある、丸いテーブルが目に入る。
使い勝手が悪く、食べ物を置くにもたくさんは置けず、実用的ではないと、ここに引っ越してきた当初はずっと思っていたが、今では特に気にならず使えている。
こうやって気に入らないことや、気に入らないものでも、無理矢理受け入れていけば慣れていき、特に何とも思わなくなるもんなんだなと、ひとり暮らしに学ぶ。
海斗との関係もそうだろうか。
二、三日前に、海斗が蓉の部屋に訪ねてきた。その時、お互いの家の合鍵を返そうと蓉が海斗に提案をした。
どうしてだと理由を聞かれ、ちょっと動揺したが、生活の時間帯が違うと伝えた。
今の海斗と蓉の生活には少しズレがある。
二人は出勤時間も帰宅時間も違うから、生活にズレが出ている。
最近海斗は仕事が忙しそうであり、夜遅く帰ってくることがある。蓉の方は早番出勤だと、早朝に家を出なくてはならない。
二人で一緒にいると、どちらかが相手に合わせることになる。
人に合わせると、どちらかがいずれ疲れてしまうことになるだろう。
お互いの生活のために、一度ひとりで暮らしたいと蓉が海斗に話をした。
海斗は、蓉の生活を心配していた。
ご飯は?寝るのは?セックスは?と、蓉の欲求が強く出たらどうするんだと、海斗は何度も言っていた。
そんなもんは自分で何とかする。自分の欲求だ、今までもそうやって生きてきたと、蓉は海斗に伝えた。
海斗は、なんだかんだ理由を付けて、合鍵を返したくないと言っていたが、それを蓉が許さず、結局お互いの鍵を返し合った。
そもそも、隣同士で住んでいるだけなのに、いつのタイミングでお互いの家の合鍵を持つようになったのか。
どのタイミングで、いつも二人一緒にいる生活をしていたのか、その始まりがなんだったのか、蓉は思い出せない。
鍵を返し合う時、海斗は怒ったような顔をしていた。その日以来、蓉は海斗には会っていない。
海斗と離れていると三大欲求の全てがなくなった。満たされることはないが、欲求もない。
何となく嫌なしこりが残っているが、生活できないわけではない。
スーパーで働き、家に帰り、ご飯を食べて寝る。それが蓉の毎日の生活となった。ごく一般的で平凡なひとり暮らしの生活だ。
だけど、食欲がなくなり、一日に菓子パンひとつだけで満足する日もある。
夜はなかなか眠れず、寝返りをうってばかりで、明け方にやっと眠れる日もあった。
あんなに欲求が抑えられなかった性欲も、数週間前に海斗とセックスをしたのが最後で、ひとりでオナニーもしていない。
海斗はどうだろう…
海斗も性欲が強いと言っていた。誰かとセックスをしているのだろうか。
あのレストランで一緒だった女性としているのだろうか。考えたくもないが、気がつくと海斗のことばかり考えている自分がいる。
あの女性が海斗の部屋に来る日はあるのだろうか。
出来ればその時は家にいたくない。
二人の声が隣の部屋から漏れて聞こえてきたら、その時はどうしたらいいかわからない。想像するだけで、心臓が冷たくなってしまいそうだった。
『好きな人に想いが伝わらないのは、つらい』と、海斗が言っていたことを思い出す。
何でそんなことを言ったんだろうと思うと同時に、自分にはそんな経験はないと蓉は思った。
こんなに近くにいたのに、海斗の好きな人も好きなタイプもよく知らなかった。
今まで聞いたことも、そんな話をしたこともなかった。
だけど、はっきりわかっているのは、海斗に好きな人がいるということ。
それと、そんな海斗のことを考えたくないのに、常に考えてしまう、自分がいるっていうこと。
今日もきっと眠れないだろう。
そんな気がしている。
ひとりってこんなにさみしいものなのかと、この部屋で初めて蓉は感じていた。
だけど、丸テーブルと同じように、いつの間にか受け入れて慣れていくのだろうと、ひとり暮らしの部屋で蓉は考えていた。
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