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第20話 蓉

「なぁ…わかったから、もう手を離せよ。誰かに見られると思うと気が気じゃないよ。この辺、スーパーのお客さんだって多いんだし…」 お互いの気持ちがわかり、心臓が温かく動き始めても、海斗は握った手を離さず、相変わらず会えなかった時のことを、質問してくる。家に到着するまでは、時間がかかりそうだ。 「ダメ、今日はもう離さない。誰かに見らたっていいじゃん。何も悪いことしてないし、俺たち付き合ってるんだから。でしょ?それにね、まだちょっと許してないことあるよ?誤解だってわかったけどさ…俺、すっごく落ち込んでたんだから。先輩に連絡しても既読にもならないし、家に行ってインターホン押しても出てきてくれないし…」 「えっ?インターホン?鳴ってないぞ?」 「ウソだ!毎日押してたよ?めっちゃ押してた。夜遅い時は、携帯にメッセージだけ送っておいたけど。明らかに家にいるってわかった時は、毎日行ってたんだから」 「ヤバ…壊れてるのかな、インターホン」 マジかよ…と海斗は不貞腐れた声を出すが、顔を見ると嬉しそうに笑っている。 すれ違いから会えなくなると、二人の間に会話もなくなり溝も深くなる。だからこれからはどんなことがあっても、ひとりで勝手に考えたりせず、必ずお互いに伝え合おうということになった。 「ひとりで変なこと考えないでよ?」と海斗に言われた。変なこととは、社内の信憑性の無い噂話を信じるな、ということだ。 家まではあと少しなのに、立ち止まってはキスをし、抱きしめ合い、またキスをしてと繰り返しているので、なかなか家に到着しない。外でキスをするなんて、岸谷と玖月のようなイチャイチャに、かなり近づいてきてしまったと感じる。 「岸谷さん、なんて言ってた?玖月さんに迷惑かけちゃったな…」 「岸谷さんから『蓉がうちに来てるって玖月から連絡あったけど、お前も来るのか?』って連絡あってさ。慌てて、俺が今から行くから、先輩を引き止めておいてって伝えたら『なんだ、今帰ったぞ』って、また連絡あって。すれ違いかよって…」 「そうだったのか。俺…家に帰りたくなくて、川沿いのベンチに座ってたらさ、玖月さんに会って…雨が降って来たから玖月さんに連れられて、家に行ってたんだ。その時、俺のカッコ悪い話を玖月さんに聞いてもらってたんだ」 「蓉が元気がないんだろ?って岸谷さんが言うから、俺の知らないところでまた先輩は隙を見せて!って怒って走って来ちゃった」 元気がない蓉を、玖月も岸谷も心配してくれていたようだ。そんなそぶりも見せずに、蓉に話しかけてくれた玖月に優しさを感じる。 明日、玖月に連絡を入れておこうと思う。そう言うと、また海斗は嬉しそうに頷いていた。 「先輩?経理部、よかったね。やっと戻ってこれる。俺はずっと待ってたし、本当に嬉しいよ。やっぱり先輩は経理部でガツガツやってて欲しい」 「ああ、そうだ!そうなんだよ。吉田さんと優香ちゃんが頑張ってくれたって、下野さんが言ってた。来週からなんだ、あとちょっとだけ…休み入るからあと三日くらいスーパー勤務だから、最終日まで頑張って働くよ」 「優香ちゃん?そう呼んでるんだ…仲良くなったんだってね?あの女と」 「ああ、この前スーパーまで来てくれてさ。なんだかんだ話したんだよ。あっ、俺さ本社のIT部門にも顔出してるんだ。スーパーレジの開発でさ、」 「知ってる。あの女に聞いた。連絡先も交換したんだって?アイツも先輩と連絡取れないって言ってたよ。もう!なんで携帯の充電切れなんて起こしてんの?今どき携帯使えなかったら何も出来ないじゃん。そもそも何で放置してんの?携帯を!」 海斗は相当ダメージがあったらしく、連絡が取れなかった時を、すぐ思い出してしまうようで、この話はもう既に何回目かである。 川沿いを歩いて家に帰るだけで、何度も携帯の話になり、次はまたインターホンの話に戻る。この二つにかなり振り回され、悩まされたと海斗は言っていた。 「まぁ…さ、お前が結婚するって話を聞いたから、携帯にその連絡が入ると思ってたんだよ。彼女ができたとか、結婚するって連絡が入ったら、そんなの読みたくないし、文字で残ってるのを見るのも嫌だよ。だから携帯を放置してたんだ。それに…お前だって、その…総務の清田さん?を下の名前で呼んでただろ?」 優香とランチ中に聞いた海斗の会話では、女性を下の名前で呼んでいた。それも、モヤモヤする原因のひとつであった。 「えっ…もう!なんで今そんなにかわいいこと言うの?急にデレるのやめてよ!あー、清田さんね、はいはい。あれは辻井の仕事の件でさ、強制的に下の名前で呼べって言われてたんだ。普段は清田さんって呼んでるんだけど、外では下の名前で呼ぶように言うんだよね。そうじゃないと、アポイントも取ってくれないし、だから仕方なくさ。全くさぁ…勝手な噂で俺は迷惑だったけど、でも先輩のヤキモチだったってわかったから、まぁ、許す…よ?だけど、これからは絶対やめてね、連絡が取れないのは最悪だから携帯は放置しないでよ!」 やっと家の玄関まで到着した。まだ一緒にいたいな、どっちの部屋に入るかなとモタモタしていたら、こっちだよと、蓉の部屋を海斗が指差した。 蓉の部屋ということは…性欲の方という二人だけの合図もある。久しぶりだけど、今日はするのだろうか。 蓉が鍵を開けてドアを開けると、海斗も続いて入ってきた。久しぶりに海斗と一緒に家に入ると思うと、気分が晴れて嬉しい。 「先輩、期待しないでね?セックスはしないからね」 「えっ?そうなの?しないの?」 「言ったでしょ?俺、まだちょっと怒ってるんだよね。だから、セックスより恥ずかしいことするから。先輩は恥ずかしいことに耐えてね」 恥ずかしいこと?と、尋ねるも笑っているだけで海斗は答えてくれない。 クスクスと笑う海斗に後ろから抱きしめられると、首筋がくすぐったくて、首をすくめてしまった。

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