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第24話 海斗
「蓉さん、じゃあ行ってくる。明日の金曜日には帰って来るから、週末は引っ越しのこと話するからね」
「おお、わかった。いってらっしゃい」
朝ごはんを食べている蓉にチュッとキスをした。今日は出張なので、海斗は蓉より先に家を出て、これから空港へと向かう。
朝食を食べている蓉は、相変わらず可愛らしい。食欲も旺盛であり安心する。ご飯を食べている時は隙があるので、キスをしても怒られない。それに隙がある姿を見ると、ベッドに引き摺り込みたくなる。だけど最近、平日朝のセックスは禁止と蓉から言われている。
蓉がスーパーの店舗勤務から、本社の経理部に戻って、もうどれくらいだろう。二年、いや三年になるかと、海斗はマンションを出た足を止めて、二人が住む部屋を振り返り眺めた。
この三年で色々なことが変わった。
いつまでも『先輩』と呼ぶのはその他大勢と同じであり、距離を感じるため『蓉さん』と呼ぶことにした。
最初は照れていた蓉だけど、三年も経てばもう普通になる。夜、ベッドの中で『蓉』と呼ぶと、喜ぶことも海斗は知っている。
仕事では、厳しく凛としている人が、自分には気を許してくれている。だけど、あんなに可愛い人だと、可愛さが漏れ出して、周りにもいつか知られてしまうのではないかと、海斗は気が気ではない。
だから、次は大きくて広いところに二人で引っ越しをして、蓉をもっと手元に置き、他人を極力寄せ付けないようにしておこうと考えていた。
次の賃貸更新とか、また別の場所に引っ越しとか、そんなこと蓉に考えさせないように、今度は家を購入しようと、海斗は考え蓉に伝えていた。
二人だけの家だ、二人で資金を出し合えば蓉は海斗から離れていくことはないだろう。じわじわと周りから固めていこうと思っている。
変わったのは自分たちだけではなく、周りの環境も変わっていた。
陸翔の契約ミスで取引がスタートしてしまい、結果的に会社に大きな損失を与えてしまったことは、後から明るみになった。
その陸翔が所属している営業第一部の部長は、スーパー店舗へ左遷となった。部下のミスを上司が被る形となり、責任をとったというところだ。
だけどまあ、陸翔の問題だけではなく、営業第一部はその他もポロポロと隠し事はあったようだから、左遷は仕方がなかったのかもしれない。
ただ、陸翔自身の異動はなく、現在も営業第一部に所属し、相変わらず中途半端な仕事を繰り返している。
会社の中には、その場しのぎをする人がまだ一定数いると感じる。そんな一定数いる人たちからの違和感は、これから自分たちが対応していく世代になるだろうと、海斗は思い始めている。
それには以前下野に言われたように、偉くなるのが近道であり、自分が会社の方針に対して影響力、発言権を持つための手段であると考えていた。
蓉とはそれについて話をしたことはないが、きっと同じことを考えていると思う。
自宅を出て、電車を乗り継ぎ空港に到着すると、春 の姿が見えた。
春は、マーケティング部リーダーの佐藤 春樹 だ。佐藤という苗字の者は、社内にたくさんいるので、下の名前である『春 』と呼ばれていた。海斗も蓉も春さんと呼んでいる。
小柄で線が細い春は、一見大人しく見えるが、仕事には厳しく、遠慮なくハッキリと物を言うタイプである。
今日の出勤は、そのマーケティング部の春と一緒に関西へ向かうことになっていた。
契約している企業から相談というか、依頼が入ったので、春と一緒にその打ち合わせである。
顧客の声や依頼を、マーケティング部にも確認してもらい、ニーズに応える商品やサービスを作る商品戦略を立案してもらうのが狙いだった。
「春さん、チェックインしました?」
「ああ、海斗か。うん、さっきした」
以前の海斗は、仕事で春と激しく言い合いすることが多かったが、最近ではそれも少なくなってきており、関係はスムーズであった。
「今日は関西に一泊ですもんね。長い一日になりそうですね」
「海斗は今日行く会社と、付き合いは長いのか?」
「それが、担当の方とはメールだけの付き合いで、お会いするのは今日が初めてになります。元々は営業第一部が契約した企業なんですよ。それが、何でかこっちに引き継ぎされて…」
「また陸翔か…そうだろ?お前はいつもアイツの尻拭いばっかりしてるんだな」
「尻拭いっていうか…でも、今日はその担当者の上司の方から話があるようです。それが、この前メールで春さんに連絡した、商品展開の相談なんです」
「ああ、だったら後は値段交渉だけか」
「そうなるかと思います。上手くいけばいいですけどね」
春の言う通りだった。陸翔の中途半端な仕事が回って来る確率は高い。尻拭いをしてるつもりはないが、余計な仕事を増やしてくれるなぁとは思っている。
「お前と陸翔は兄弟なのに似てないな」
「そうですねぇ、小さい頃から似てるって言われたことはないなぁ」
春はケラケラと笑っていた。へぇ、この人でも笑うんだなと思って見入ってしまう。春の笑う顔はあまり知らない、というか、見たことがなかった。
だけど、蓉と春はよくランチを共にしており、春との会話は楽しいと蓉から聞いていた。春も大食いだから蓉とは気が合うらしい。そんな時はきっと楽しく笑ってるんだろうなとは思う。
「なんでそんなに見てるんだよ…」
「いや、春さんでも笑うんだなって思って…あっ、でも、蓉さんがよく春さんの話してるから知ってますけどね」
「お前は本当に蓉のことばっかりだな。そういえば、蓉とお前は家が隣同士なんだって?」
「そうなんですよ。蓉さんと俺は隣同士で…って、なんで知ってるんですか!蓉さんが言ってました?」
「えー…俺は何でも知ってるんだよ」
春は茶目っ気のある顔をして笑っている。揶揄われているのだろうか。こんな感じの春の姿も初めて目にする。
しかし、何で春は海斗と蓉の暮らしを知ってるんだろう。蓉が春と仲がいいから話をしたのだろうか。そんな話は聞いたことがなかった。
まぁいいかと思い直し飛行機に搭乗する。関西に到着はもう間も無くだった。
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