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第28話 海斗
冷凍うどんを美味しくいただくためには、自宅に帰るまで、冷凍庫に保管しておくべきだ。それはわかっている。蓉に美味しく食べてもらいたいから、適当にできない。
東京の会社に戻った海斗は、真っ先に会社の冷蔵庫に向かう。高級スーパーマーケットを経営する会社だけあって、本社の冷蔵庫も冷凍庫も、業務用であり大きい。
高級食材と呼ばれるものや、サンプルの食品、調味料など、色々な物がこの冷蔵庫の中にはたくさん入っている。
冷凍庫にうどんをしまってから、営業第ニ部に戻った。席に着いて早々に部長から声がかかる。
「おっ、海斗!戻ってきたか、おかえり。どうだったか?」
「あっ、部長。問題ありません。予定通り契約してもらえました」
「おお!よくやった。あっちから振られた案件だもんな…いつも海斗にお願いしてばかりだけど、本当に助かる」
あっちとは営業第一部のことだ。中途半端な対応はこの数年で増えている。
「海斗、帰ってきて早々で悪いんだけど、午後からの打ち合わせに出て欲しい。お前のこと待ってたんだよ」
「あっ、はい。何だろう、何の打ち合わせですか?」
「社内でちょっと大きな動きがある。だからその前に、営業第ニ部としての方向性を決めておきたい。海斗、お前が中心になって欲しい。あの話…してきたか?」
「ああ…はい。関西で昨日、ちょっと話をしてきました」
昨日契約した企業へは、春と一緒に行っていたが、その後、夜遅くに海斗ひとりで別の打ち合わせもしていた。
春がうどん屋で『かすうどん』を食べている時間帯に、ふらっと海斗も1時間ほど外に出て、話をしてきた人がいる。
部長には、事前にその話をしていたので、きっとそのことを言っているのだろう。
「海斗、お前が考えてきたことを、具体的に話し実現する時だと思う。会社は今、事業の拡大を考えている。営業第一部も、うちも、なんらかの企画を考えてるだろ?経営企画が、両方の案を聞いてどっちかに転ぶってとこだな。だから、営業第二部はお前の案を全面協力したいと思ってる」
こんな話が近いうちにくるだろうと思っていた。だからそんなに驚きはしない。
「わかりました。俺の頭の中では大体出来上がってるので、概要でも話は出来ますよ。とりあえず、簡単な資料だけでも作っておきますか?」
「ああ、お願いできるか?今日は部内だけの打ち合わせだからメモ程度でもいい。その後に社内全体でってなったら、その時はそれなりの資料を頼むことになる」
午後の打ち合わせのために、コンビニで買ってきたおにぎりを食べながら、急遽資料作りをした。
◇ ◇
「あはは、だからそんな顔してんのか。食べられちゃったなんてウケるんだけどっ!でもまあ、もうひとつあるんだから、別にいいじゃん」
「そうだけどさ、何で勝手に食べちゃうんだよ…俺は蓉さんに、二杯は食べてもらいたかったのに」
関西空港で原田にオススメしてもらったうどんを、会社の業務用冷凍庫に入れて置いたら、商品開発部の人が間違えて、ひとつ食べてしまった。
そう蓉に話をしたら、漫画みたいな展開でウケる、それに落ち込んでる海斗の顔が面白いと爆笑されている。
「うどんに名前も書いてなかったんだから、仕方ねぇよ」
ちょうど今、開発部が出汁の研究をしていたらしく、海斗が買ってきた関西うどんは出汁のサンプルだと思われたようだ。
間違えたものは仕方がないと、気を取り直して残った二食入りうどんパックひとつを自宅に持ち帰ってきたが、やっぱり思い出すと何となく面白くない。そんな海斗の姿を蓉は笑っていた。
「そんなに笑わなくったっていいじゃん...今度はちゃんと名前を書いておくよ」
「いや、海斗のそんなとこがまだ見られて嬉しいなってさ。お前のそういうところ好ましいよ。でも、本当にこのうどん美味いな」
出汁のうまみが強い関西のうどんは、汁を全部飲み干しそうだし、後味がいいから箸が止まらない。
「うん。関西うどんの出汁って美味しいね。春さんは、夜遅くにひとりでうどん屋に行って食べたんだってさ。春さんも蓉さんと同じくらい、すっごく食べるよね」
「そうそう、春さんも大食いなんだよ。だけど春さんは俺と違って、甘い物が好きだからケーキとかすっごい食べるぞ。そっち系が特にすごいよ」
「へぇ、蓉さんも春さんもそんなに細いのに、見かけによらないね」
たわいもない会話をしながら食事をするのは楽しい。明日は休みなので余計楽しく感じる。
「それより、事業を拡大する計画があるんだろ?経理部にも噂が流れてきてるよ。営業の一部と二部で競うとか」
営業一部と二部で競い合いが始まるとか、会社の中では色々な噂が流れているみたいだ。
噂に振り回されそうで、ウンザリしてしまう。陸翔の仕事が回ってくるのも、本当は疲れる。自分で考えて仕事は進めたいと思っているのに。
ああ…モヤモヤする。
「ああ、うん。どうなるかわかんないけど、うちは俺の案を出す予定。だから経理部にも数字の確認とかしておこうと思ってる。経理の意見や精査が入らなくて、コストの見積が甘かったってことがないようにしたいと思ってさ」
「そりゃ、賢明だな。優香ちゃんと辻井もいるし、協力はいくらでもできるよ」
「優香?あの女、頑張ってるんだ。ふーん、辻井もねぇ...」
蓉が一時期経理部から外れる原因を作った優香は、今では経理部の戦力になっているという。あの時がキッカケになり、いい方向に向かっていると蓉は言っていた。
営業部で海斗が面倒を見ていた辻井は、営業部から経理部へ異動となった。
営業部では、全く喋らずにいた辻井だが、経理部に異動してからは、蓉の右腕になるくらい頭角を現しているという。
「いや、マジであの二人には助かってるよ。辻井、すごいんだぜ。下への指導が上手くてさ、あいつの声が今まで聞こえなかったなんて嘘みたいだよ」
「…へぇ」
「あっ!それとさ、また陸翔の奴、契約金額間違えやがって、優香ちゃんが見つけてさ『お前!まだこんなことやってるのか!よく懲りないな、頭悪いんじゃないのか!』って、営業部に殴り込みに行ったんだぜ。あはは、笑っちゃうだろ?」
「うん…」
「正論をビシッと言ってるから、経理部の中では姉御肌で慕われてきてるよ。今はさ、辻井と優香ちゃんのペアが最強なんだよな。あの二人仕事は早いしさ、かなり俺の仕事を手伝ってくれてるんだよね」
「ふーん…」
面白くない。
買ってきたうどんは食べられてしまうし、仕事はモヤモヤとしているし、極めつけには蓉の口から他の人を褒める言葉が流れ出てるし。
「なんだよ、ふーん…って」
と、言いながら蓉はニヤニヤと笑って海斗を見ている。海斗の気持ちがわかっているから笑っているはず。きっと仕事がモヤつくのも、蓉にはわかってそうだ。
「だってさ…蓉さんが他の人を褒めるのも、認めるのも、いいことなんだけど。わかってるけど…なんか面白くない」
「あははは、そうか。お前は相変わらず素直だな。お前のそういうところ、好きだよ。じゃあ…そろそろあっちの部屋にいくか?」
海斗のモヤモヤや、重い気持ちも、笑い飛ばしてくれる。それに、そんな海斗が好きだと蓉は言ってくれる。
「俺の方が、もっと蓉さんのこと好きなんだからね」
と、不貞腐れた顔が元に戻らないまま蓉に伝えた。
「大好きだよ…蓉さん」
「ほら、あっちに早く行こうぜ」
蓉の肩口に、頭をグリグリと押し付けている海斗を、宥めてくれる蓉の手が気持ちいい。
「そしたら今日は寝かさないからね!」と、調子に乗って言ってしまうと、蓉に笑いながら生意気だと頬をつねられた。
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