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第33話 海斗

打ち合わせが終了となり、下野に海斗は呼び止められた。 「海斗、今日この後なんかあるか?」 「いえ、今日はもうこのまま終了です」 じゃあ、ちょっと付き合えよと言われ、急遽飲みに行くことになった。行き先は、黒目ヒルズ店近くのイタリアンバルだ。 ここ最近、この店は入れない時があるくらい繁盛していた。下野に初めて連れてきてもらってから、海斗と蓉は二人で何度か来ている。 この店に新しく入ったアルバイトの子に、ビールと食事を頼む。食事はお任せで、ガッツリ食べたいとリクエストをした。 既に顔見知りになっているバイトの子から「任せて!」と、愛想のいい返事が返ってきた。ここの食事は本当に何を食べても美味しいと、蓉がよく言い、二人のお気に入りの店になっている。 「下野さん、引っ越ししました?もうこっちに住んでる?」 「ああ、もう住んでるよ。ここから近いところだ。前の家とそんなに変わりがない場所に引っ越したんだ」 「へぇ…ここの店も、引っ越ししてから来た?」 「ああ、もう何度も通ってるよ。相変わらず美味いよな、ここは」 下野が会社を辞めた後、何度か連絡は取っていたが、実際に再会したのは、この前の関西出張の時だった。 会社を辞めた下野が、クラウドキッチンを経営し、デリカテッセンの店を出していると知った時は、かなり驚いたのを覚えている。 「上手くいきそうだな、モンジュフーズマーケットのデリ展開。お前からこの話を聞かされた時は、驚いたけどな」 「ああ、そうですか?だけど、俺がこの企画をやろうと思ったのは、下野さんの仕事がキッカケだったからね」 「お前はいつもそう言うよな。だけどまぁ、うまい組み合わせをよく考えたよ。業務提携を持ちかけてくれて、いやぁ、タイミングがよかったのかな。マジで楽しいよ。ありがとう」 「今回、企業拡大って話があったからこの企画を出したけど、そんな話が無かったとしても、俺は下野さんを巻き込んでやるつもりだったよ。だから、早かれ遅かれ、今回のことはやってたと思う。それよりさ、下野さんの会社すごいんじゃない?めっちゃ伸びてるって話をよく聞くよ」 レストラン再生活動としても、他の企業からも引っ張りだこらしい。下野のビジネスを成功させる力と目線は、今どこの分野でも注目されているようだった。 「そうだな…やっと多くの人を雇えるようになってきたよ。うちの会社は、こっちで新しい取り組みが出来るし、関西の方も相変わらず順調にいって忙しくなってきてる。まだまだこれからの課題は山ほどあるけどな…」 蓉が下野をカッコいいと褒めるとムカつく。だけど、確かに下野はカッコいい。こういう人を、大人っていうんだろうなと思う。 狙った獲物は仕留めるまで追い込み、確実に自分のものにしている。下野を見ているとそんなことを思い浮かべる。獲物を逃すなんて生ぬるいことは言わないし、考えないのだろう。獲物は確実に仕留めるだけ。下野のビジネスのやり方を間近に見て、海斗はそう考えていた。 「下野さんとさ、一緒にインタビュー受けるじゃん。俺さ、毎回やられたなぁって思ってんだ。誰とでも上手に絡んでさ、適度に冗談も入れながらスマートだし…インタビューしてるみんなが惹きつけられてるじゃん。あんなの俺には真似出来ないよ」 蓉はいないのに、料理が後からたくさん出てくる。下野が海斗を連れているので、蓉も来ると店のマスターは思っているらしい。 「いやいや〜、俺はお前の方がすげぇと思ってるぜ?いつも堂々としてるし。それに、どんな相手にも上手に合わせて話が出来て、感じが良いから好感度が高いだろ?あたりも柔らかで、爽やかなイケメンが、一生懸命に会社の事業を伝える姿に、インタビュー側の女の子たちはウキウキしてるじゃねぇかよ」 「えっ?そんなことないよ、毎回必死なんだってば。だけど、話し方のペース、会話のテンション、笑うタイミング、それをいつも打ち合わせでは気をつけろって、営業部では一番最初に下野さんに教わったから、その応用編を今もやってるってのはあるよ」 カカカと相変わらずの豪快な笑いをして、下野はビールを美味しそうに飲んでいる。 営業マンとは…ということを、下野からたくさん教えてもらった。海斗の仕事のやり方は下野に教えてもらったことで出来ている。 「そんなこと言ったっけ?ああ…言ってたかもな」 「そうだよ、言ってたよ。あの頃は楽しかったなぁ、毎日下野さんにくっついて色々教えてもらってさ。仕事も何もかも新鮮でさ…」 「なんだよ、今は楽しくないのかよ。自分のやりたいことを始めてるじゃないか」 営業部に配属したばかりの頃、よくわからずただガムシャラだったが、押したり引いたりの駆け引きや、仕事の難しさが、いかに楽しいかを下野に教えてもらっていた。 「今も楽しいですよ。やりたいことが出来るようになって、仕事の幅も広がったし。だけど、ちょっと最近は疲れちゃったかも。手のひら返したような周りの反応にもウンザリだしさ」 「ああ、今回の企画か?営業第一部の企画とどっちがいいかって話になってるんだろうしな」 「うーん…まあ、そうだね。みんなの態度に躊躇ってしまうってのはあるかな」 デリカテッセンの企画についてインタビューを受け、雑誌などに掲載されている。 海斗が進んでメディアに露出している甲斐があってなのか、やたらと社内でも声がかかり疲弊している。 営業第一部と第二部のそれぞれ出した今回の企画は、陸翔と海斗が手がけているため、社内では兄弟対決と言われている。 経営企画部にプレゼンをした時、社長である父親が海斗の企画に好反応を示したことから、海斗を支持する動きに社内の風向きが変わってきていた。 事実、デリの売り上げは好調なので、理由付けにはなってはいる。 海斗が考えたデリの企画は、胸を張って売り出せるものである。なので、多くの人が支持してくれるのは嬉しい。 だけど、違和感を感じる。 父からの好反応がなければ、どうなっていたのだろうか。 皆、海斗ではなく、陸翔の企画を後押ししていたと思われる。 その判断は正しいことなのだろうか。自分の意見ではなく、社長である父の意見や、機嫌が最優先なのだろうか。 それに、やたらと『応援してます』『やってください!待ってます』という声も多い。海斗はそう言われると、何に対しての声なのかわからなくなり、苦笑いしか出ない。 海斗が会社内の理不尽なことから救ってくれる、救世主だと思われている節があるようだ。そんなに理不尽なことが多いのかと、ふと考えてしまう時もある。 そして、今までは、陸翔が会社の後継者として皆噂をしていたが、急にノーマークだった弟の方に軍牌が上がり、海斗が後継者だと言われ始めている。 人気が急上昇しており、以前の陸翔のように扱われているのを、海斗は感じていた。態度が変わる人を見るたびに、気持ちが冷めていく。 「みんな今までとは対応が違うなって。なんか、冷めた目で見ちゃうんですよ」 「親父さんの顔色を気にしてばかりの奴がいるってことか?なんだチヤホヤされ始めて、居心地悪くなったか」 「うん、まあ…急に色々と助言されたり、誘われたりするからさ。こんなこと、どうでもいいんですけどね。ただ、周りの態度と俺の気持ちに差があり過ぎて、折り合いつかないっていうか…」 「それはさ、お前が教えてもらう立場から、教える立場や、会社を動かす立場に変わったからだろ?その辺は上手く使えよ。そんなこと言う奴らは、これから先の方がもっと出てくるぞ。そうか…じゃあ…どうだ覚悟のほうは。覚悟を決めたか?」 二人で話をすると下野は時々そう聞いてくる。そして必ずこう言う、覚悟を決めろと。覚悟を決めて会社を背負って立て、後継者争いでも何でも、正面から入っていけと。 「下野さんいつもそう言うよね…俺ってさ、自分で言うのもなんだけど、何でもそつなくこなせるんですよ。勉強もスポーツも、それこそ人間関係も。だけど、拗ねてるんです、内心は。自分はそんなに大事にされてないし、重要じゃない、いつも二番手だから、それくらいはそつなくこなせるようにしておかないとって、ずっと思って、何となくなんでも出来る術を身につけてました」 いつも上には兄の陸翔がいる。兄は両親から愛情をかけてもらって、大切にされている。だからいつか陸翔が会社を継いだ時は、自分がその下で陸翔を支えようって、そう思いながらずっと過ごしてきた。 だけど、本心はどうなんだろう。このままでいいのだろうか。 本当にいつも二番手でいいのだろうか。 理不尽な陸翔のやり方を気にせずに、これからも仕事をしていけるのだろうか。陸翔が社長になった時、後悔しないのだろうか。そんな疑問が湧いてきているのはわかっていた。 「そうだな、お前は能力はあるのにワザとセーブしたり、隠したりして、陸翔を目立たせるようにしているよな。陸翔の弟のポジションをキープしているのがいいって思ってるんだろ?それで両親も陸翔もみんなが幸せになるって思ってんだろ?だから、陸翔のやり残した仕事でも引き受けて、サラッとやり終えて無かったことにする。みんなに迷惑をかけないようにってな。健気なのか、欲がないのか、俺はいつもお前を見ていて心配だったぞ」 「あはは、俺そんなに良い奴じゃないですよ?だけど、ちょっとは当たってるかも。でもこの前の、蓉さんが巻き込まれた時から、考えが変わってきたんです。俺の大切な人がいつかまた、同じような問題に巻き込まれることがあるかもしれない。その時、正しい道が出来ていなかったら守れないかもしれない。そしたらどうしようかって…俺は何ができるのかって…考えてて」 「理不尽なことがあっても、許せないって言って騒いでるだけじゃ先に進めないもんな。そこはやっぱりお前が偉くなって、社内に健全な道を作るのがいいんじゃないか?」 「うん、やっぱりそこに行きつくかな。だからもう、大切な人を守る手段を考えようかなって。そのためには俺がやるべきなのかもなって思って…ちゃんと父に会社の後継者の話をしようかと思ってる」 蓉は社内の揉め事に巻き込まれて、理不尽な理由で自宅待機となった。その原因であった優香も実は悩んでいた。正しい判断をしないと、不幸は連鎖してしまう。 「正しい考えだな。男として一番かっこいいだろ、好きな人を守るためって。あとはお前が決断するだけだ。会社はそれを快く判断するだろう。社長はわかっていると思うぞ。お前の覚悟待ちだろ」 「そう…ですかね。この企画が決着ついたら話をしてみます。って…俺、好きな人を守るって言いました?」 「そうだろ?好きな人だろうが。蓉を守るためってことだろ?蓉のこと、やっと手に入れたんだよな、よかったな。まぁ、あれだけ追いかけてたら…でも、蓉は最高に鈍感だし…その辺はお前マジですげぇよ。蓉がスーパー勤務の時なんて毎日来てたじゃねぇか。監視カメラに写ってたぞ?コソコソ蓉の後ろを追っかけてる海斗の姿が。マジで面白かったけど」 笑いながらあっさりと下野に言われた。海斗が蓉を好きな気持ちは隠していないし、わかりやすいと思うが『蓉を手に入れた』ことは、どうしてわかったんだろう。 「なんで蓉さんを手に入れたってわかるんですか?」 「何ていうんだろうか…いい意味で落ち着いたって感じが見られたから、こりゃ、付き合ったなって見て感じたよ」 「へぇ!すごいね、下野さん。あー、でも下野さんに気が付かれたって知ったら、蓉さんなんて言うだろうな」 「蓉は特に何も言わねぇよ」 「ですね」と海斗は言い、下野と一緒に笑った。そうだな。蓉はきっと何も言わないだろう。 「蓉さんと一緒にいると、嫌な自分の姿が全部跳ね返ってくるんです。あの人、嘘がなくて真っ直ぐだから。だから俺なんて拗ねた子供みたいなんですけど、そんなのも全部ひっくるめて蓉さんは笑って俺のことを見ててくれるから…だけど、このままじゃダメだって思った。今度は俺が大人にならないとなぁって」 「お前ならできるだろ。俺は、お前が親父さんの後を継ぐべきだと思ってる。ほら、いつもの腹黒い方の海斗を出せばいいんじゃないか?あっちの海斗は振り切ってて、頼もしいぞ」 「もう、なんですかそれ。腹黒いって…それさ、春さんにも言われたことあるよ?俺はそんなに腹黒くないって。あっ、そういえば春さんは?プライベートで飲みに行ったりしてないの?」 下野は、春の話になると一気に口が重くなるようだった。今回のデリの企画では、春と絡むことが多くあるはずなのに。

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