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第34話 海斗

仲が良いと思っていた下野と春は、仕事上でしか話をしている姿を見ていない。お互いが淡々と仕事をしているだけだと感じている。 「春ちゃんねぇ…避けられてるかなぁ」 ビールを片手に左斜め上を見ながら下野は呟くように答えた。 「避けられてるかなって…仲良いんじゃないの?会社にいた時には、同期だって前に言ってたじゃないですか」 他人のことなので興味はないが、下野と春は同期入社だったと聞いたことがある。 「そうなんだけどなぁ…今はきっと怒ってるんだろうなぁ…うん。仕事を一緒にするのがやっとってとこかなぁ」 「はあ?なんですか、それ」 何だか下野らしくない言葉を聞く。人にはズケズケとなんでもストレートに言うが、春の話になると、うーん…と考え込んで、虚空を見つめる。らしくない。 「遅くなりました!」 海斗が下野に突っ込んで話を聞こうとした時に、後ろから声がかかった。 「蓉さん!お疲れさま。仕事無事終わった?今日はアレでしょ?レジのシステム改修の方でしょ?」 仕事終わりの蓉が飲み会に合流した。蓉の顔を見て安心した海斗が、話しながら席を立ち、蓉のカバンを受け取る。 蓉もここに合流するようにと、下野に言われ連絡をしておいた。そんなに遅くならずに来られたということは、仕事も順調だったんだろうと思う。 「ああ、IT部門の手伝いな。来週からもうちょい忙しくなりそうだって。あっ!海斗、明日スーパー行こうぜ!ちょっとパートさんたちに聞きたいことがあるんだよ」 まだ仕事を引きずっているようで、少し興奮気味に海斗に向かって喋る蓉がかわいい。明日は土曜日だから蓉とスーパーに行って、家でのんびり過ごしたいと、海斗は頷きながら考えていた。 「蓉!ほら、座れよ、ここ。いっぱいあるから食べろ。腹減ったろ?」 あっ…そうだった。下野もいたんだっけと、海斗は思い出す。蓉は下野にいわれたまま席に座っている。 「おい、海斗…お前、一瞬俺のこと忘れてたろ。いないと思ってたよな?今」 下野にバレている。 よく見られていると再確認した。 一杯だけビールを飲むという蓉と、改めて乾杯をした。下野は嬉しそうに笑っている。 「それで?陸翔の方の企画はどうだ?」 下野に聞かれる。店のウエイターの子が蓉を見てニコニコと笑っていた。多分、大盛りのパスタを出してくれるはずだ。ここでは最近、いつも蓉に特別メニューを出してくれている。キッチンにいるマスターと相談している声が聞こえる。 「陸翔の方ですか…詳しくはよくわかりませんけど、苦戦してるっぽいです。結局、営業第一部は陸翔だけ企業開拓が出来てるけど、その他の人は、新しい企業に話をつけるのは、なかなか難しいみたいで」 「だよな。同じ業種に売り込みに行くのは斬新でいいアイデアだけど、実際は難しいよな。レストランとかへの売り込みも結局同じだろうし」 蓉も同じような話は聞いているのか、驚くことなくそう言っている。 「そうか。俺としては、海斗が頑張ってくれてるこっちの企画が上手くいって、このまま正式契約を結べばそれでいいんだけど。なんだか、営業第一部は弱いよな。陸翔以外の人間がちょっと可哀想に思えてくる。昔はイケイケでガンガンやってたけど、最近は海斗のところの方が勢いあるんだろ?」 下野が言うそんな話も、周りからは最近よく言われることだった。ここ数年で部長も変わったし、確かに営業第一部の勢いは止まっているように感じる。それに、部内の人たちの繋がりも弱い気がしていた。 海斗が所属している営業第二部は活気があり、今回の企画の細部を手分けして行っていた。新たな試みなど様々な提案もあり、ますます部内が盛り上がってきているのを感じている。だから余計に第一部との差が浮き彫りになる感じだった。 「どうなんでしょうね。営業第一部の仲がいい奴らからは、やりづらいって愚痴をこぼしてるのを聞いたことある。部内がまとまってないと確かにやりづらいですよ。営業第一部に入るのを目標にしてた奴もいるけど、今はちょっとなぁって言ってて。お前のとこが羨ましいって、言われることもあるし」 「営業部なんて花形部署だから、異動したい奴はいっぱいいるもんな。せっかく異動出来てもやりづらいんじゃなぁ、可哀想だよな」 蓉が途中で相槌のように答えてくれる。端的に返してくれる蓉の言葉はいつも気持ちがいい。海斗が甘えてしまい、グダグダとまとまらない話をしても、いつもすぐに理解してくれる蓉の言葉には救われている。 「ところで、蓉はどうなんだ?経理部だろ?順調にやってるのか?」 下野が会社を辞めてから海斗とはずっと連絡をとっていたが、蓉とは久しぶりだ。蓉の近況報告が知りたいと下野が言い出した、 「俺ですか?順調ですよ。ほら、陸翔の元カノいたじゃないですか、黒目ヒルズ店に俺を訪ねて来た女の子。あの子が今、めっちゃ頑張ってくれてて、戦力になってます。それと、海斗の部署にいた辻井が経理部に異動になったんですけど、そいつもまた本領発揮したっていうか…部内でグイグイと頭角を現してて、戦力になってます。だから今は問題なくやってます。決算期はやっぱり忙しいけど、部内がまとまってきてるから楽しんでやれてますよ」 「おお!良かったな、蓉。やっぱり適材適所っていうもんな。それにレジのシステム改修の第二フェーズにも関わってるんだろ?すげぇな。そんだけやれば、やりがいもあるだろうし。だけどなぁ、蓉が忙しくなると、海斗はまた心配しちゃうな」 下野の海斗への揶揄いに、蓉も笑っている。スーパーでの監視カメラの話を、蓉の前でまた下野にされてしまった。蓉の働く後ろを海斗が心配してコッソリ追っかけていた時の話だ。 「あはは、そうそう。そんなとこありますね、海斗には。だけど、今はコイツの方が俺より忙しいから、逆に俺が海斗のこと心配ですよ」 蓉からそんな言葉を聞かされて驚く。驚いていた顔を見られ、蓉と下野からはまた笑われた。 「蓉さん、俺はそんなに忙しくないよ?だから、大丈夫だよ」 「何言ってんだ?今は誰よりも忙しくしてるだろ?それに、外野がうるさいし…急に取り扱いが変わって、言われ方も変わると判断が鈍ることもあるから疲れるよな」 蓉に見られていると感じ、言葉が止まってしまった。 「鈍感な蓉にしては、よく見てるな」 ニヤニヤとしながら下野が蓉に向かい言う。鈍感とは、海斗の気持ちが蓉に伝わらなかった時のことを下野は言ってるはず。 「俺?俺は鈍感じゃないですよ」 「いや、鈍感だろ。な、海斗。あっ、でもそっか…そっちだけ鈍感なのかもな」 「何ですか、そっちって。わけわかんないですよ。つうか、パスタも食べていいですか?」 「おお、頼め頼め。久しぶりに蓉の食べっぷりを見るけど、相変わらず気持ちがいいくらいだな」 態度が変わっていく周りの人たちに対する海斗の気持ちを、蓉は理解してくれていた。そんなこと二人で話をしたこともなく、伝えたこともなかったけど、そばにいるだけで理解してくれていたんだと思うと、たまらないほど嬉しさが込み上げてきた。 「蓉さんだけは、いつも同じで態度は変わらない。それは本当に嬉しいよ。それに、蓉さんは最高に鈍感だし」 「なっ、なんだよ!お前も俺のこと鈍感って言うのかよ…鈍感じゃねぇし」 「そっちだけだよ?鈍感なのは。後は鈍感じゃないよ?わかってるって」 「だから、そっちってなんなんだってば!意味わかんねぇし」 お待たせしましたと、大盛りのパスタが運ばれてきた。それを見た蓉が「すげっ」と言い、ワクワクしているのがわかる。 最高に楽しい。 好きな人たちと仕事をすることも、好きな人に思われてることも、好きな人を思うことも。

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